Shaggy@海外移住の話
初めてオールブラックスの試合観戦に行ったのは 2000年の南アフリカ戦。 前年にワールドカップがあったこともあり、 クライストチャーチでの国際試合は久しぶりということもあって、 もちろんスタジアムは満員。 当時のスタジアムは、バックスタンドと片方のゴール裏が 「エンバンクメント」という立見席になっていて、 ローカルの試合を観る時はいつもエンバンクメントで観戦していた。 だって、チケットが激安。 スーパー12(当時)で10ドル(約700円)もしなかった気がする。 今回は
「オーナー辞めちゃいました・・・」 よくよく話を聞いてみると、 いろいろと事情があったらしい。 1999年はラグビー界、特にニュージーランドにとってはかなり大きな ニュースがあった。 ニュージーランド代表・オールブラックスの ユニフォームサプライヤーの変更・・・ プロフェッショナルスポーツの世界ではよくある話。 アディダスやナイキなどのグローバル企業がスポンサーに、 という時代ではなかったラグビー業界 オールブラックスのジャージと言えば、「カンタベリー」 日本でもある程
日本に帰国して3ヶ月ほど経ったころ、 ニュージーランドへ戻る時期も考えて オーナーに連絡をした。 エアメールで。 LINEもないし、自分はEメールアドレスを持っていたが、 オーナーは持っていなかった。 アルバイトを掛け持ちして渡航資金を貯めつつ、 ワークビザの申請の準備も始めた。 当時は観光での日本からの渡航者も増えていた時なので ワークビザを取得する上で日本語が話せるというのはかなり有利。 現在はワークビザの申請には 雇用主がニュージーランド国内で能力に見合った人材
バイトを終えて帰国までは約1ヶ月。 とりあえず一人旅へ。 南島は1周したので今回は北島へ。 日本で一緒にラグビーをしていたニュージーランド人の友人が 首都のウエリントンにいるので会いにも行きたいし。 今回は長距離バス、小型飛行機、鉄道を利用してみる。 南島の北にあるピクトンという町まではバスを利用する。 こんなところに飛行場なんてあるのか・・・というぐらいのどかな町。 ここから北島のウエリントンまではフェリーでも行けるが、 時間がかかるのと船酔いが怖いので飛行機にした
バイト終了まであと1ヶ月。 やっと仕事にも慣れてきた頃、 自分が辞めたあとに働いてくれる人を探さないといけない。 ちょっと前に自分と同じように履歴書を持ってきた人がいた。 もちろんラグビー経験者。 話しをしていると、日本では自分が所属していたクラブチームとも試合をしたことがある有名なクラブに所属していたらしく、 自分が所属していたクラブの監督のことも知っていた。 「Shaggy、この間お店にきた日本人はナイスガイだと思うか?」 とオーナー。 「もちろん!ラグビーしてる奴に
「習うより慣れろ」 実践に勝る練習はないんです。 ホントに英語は難しい・・・ 仕事中に英語がわからなくてどれだけへこんだことか・・・ 語学学校で学んだ英語は、日本で習った英語よりも100倍役に立つ。 ホームステイで学んだ英語はもっと役に立ったかも・・・ オーナーがお客さんとどんなことを話してるのか、 どんな表現をしているのか、 聞き耳たてて聞いてみる。 こんな時はどう説明したらいいのか? このシャツのこの部分の名称は? 覚えた言葉を実際に使ってみても通じない・・・ また今
とりあえず仕事はゲットしたが、 仕事を覚えるのに必死だった・・・ 当時の最低賃金は確か、1時間 7.5ドル だったような気がする。 為替レートは 1NZドルが 65円ぐらいだったような。 円換算すると時給500円にもいかない・・・ 日本食レストランや観光客向けのお土産物屋さんで働いていた知り合いは ほとんどがこの最低賃金で雇われていた。 いわゆるブラックな「Under the table」の 給料明細も出ない現金払いのレストランでは 時給が 5ドル という噂もあった。実際
自分がワーキングホリデービザで渡航した時は 滞在期限は入国から1年間。 それより前に必ず出国しなければいけなかった。 学生ビザやワークビザへの切り替えはできず 必ず出国。 中にはどうしても滞在を延長したい・・・という人もいて、 一度オーストラリアに出国して、 再びニュージーランドに観光ビザで入国、 という裏技を使った人もいた・・・ 現在は渡航前にネットでNZeTAという訪問者ビザの申請が必要だが、 数年前までは、入国から3ヶ月以内に出国できる往復航空チケットを持っていればビ
日本人はやはり日本食。 衣・食・住の「食」は生活するうえでかなり大きなウエイトを占めている、という人も少なくないでしょう。 自分はホームステイでの食事・・・おいしかったんですよ。 基本的に、イモ、肉、野菜のコンビネーション。 金曜日は料理をしない日だったので、テイクアウェイ中心。 テイクアウェイはフィッシュ&チップスだったり、中華だったり。 ホストマザーのグリル料理はおいしかった~ チキンを丸ごと、それにポテトやカボチャ、ニンジンなども一緒にグリル。 いたってシンプル、だ
ニュージーランドの校庭は芝生です。 それも手入れが行き届いてます。 基本的に冬は枯れずに青々としていて、 夏場は水をしっかりまかないと茶色になってしまいます。 本当にニュージーランドの子供たちはうらやましい・・・ こんな環境が普通なんです。 一緒にラグビーをしていたニュージーランド人の友人が、 土のグラウンドでラグビーをするなんて、 日本人はタフだな・・・と言ってました。 このタフという表現には、「かわいそう」という意味もこめていたんだと 改めて思いましたね。 昼休みになる
仕事があるから出産に立ち会えない。 仕事があるから日曜参観に行けない。 仕事があるから毎晩、残業・・・残業・・・残業・・・ 仕事があるから家族との時間が持てない。 ニュージーランドではありえません。 たぶん日本でず~と働いていたら自分もこんなマインドになっていたかと思うと、ゾッ!とします・・・ 少しは日本も変わってきたのかもしれませんが。 1日8時間働くフルタイムワーカーは1年で「3週間」の有給がもらえましたが、もうだいぶ前に「4週間」に改定されました。 自分は有給
もちろん授業は全て英語です。 初日はレベルチェックテスト。 クラスがレベルによって分けられているので、 午前中に筆記テストとインタビューがあり、 午後からは早速クラスに参加。 毎週月曜日に新しい生徒が入ってくる。 クラスも2週間ごとにレベルチェックのテストがあり、 英語が上達していくとクラスがレベルアップする。 ・・・しかし、全くわからない。 筆記テストはまあまあだったが、 インタビューで適当に知ってる単語を並べて話していたら、 日本人で適当にベラベラ話している人は珍し
ニュージーランドはなんだか居心地がいい。 時間がゆっくり流れている。通勤電車に乗ることもない。 どうせなら長く滞在したい。 と感じた。 日本ってこの先どうなるんだ? 平和ボケしている間にご近所さんがミサイルでも打ち込んでこないか? 本当に打ち込んできたアホな国もあったので、 あながち予想は間違っていなかった。 就労ビザも更新しないといけないし、 どうせなら永住権でも申請してみよう。 それまでにもリサーチしていましたが、 いろいろと大変なんです。 弁護士さんを通して申請
語学学校に通っている間はホームステイをしてみようと思い、 とりあえず3ヶ月間ホームステイをしてみた。 まあ結果的に、帰国するまで1年間同じファミリーにお世話になってしまいましたが・・・ 語学学校を申し込んだときに一緒にホームステイも申し込んだ。 どんなファミリーにあたるのか・・・ 一応、自分の趣味や希望などを伝えると、語学学校がマッチングをして 希望に沿ったファミリーを紹介してくれる。100%希望が叶うわけではない。子供がいるファミリー、老夫婦、スポーツ好き、音楽好き、いろ
とりあえず、最初の関門はビザ取得。 今はすべてオンライン申請。 すっかりネット社会になってしまいました。 当時のビザ申請は渋谷のニュージーランド大使館でしたね。 申請用紙と辞書片手ににらめっこ。 滞在資金があることを証明するために、英文の銀行の残高証明を取ったり、 ややこしかった記憶が・・・ 当時のワーホリビザは、1年間滞在したら期限までの出国は必須。 学生ビザや観光ビザへの切り替えはできず、必ず出国。すなわち帰国。 延長なしの1年間を無駄にしないように決心できたのは あ
高校の時に赤点とったな~ 現在形、過去形・・・複数形、三人称・・・ ホントにわけわからんかった学校の授業。 それでも洋楽だけは聞いていた。 CDを買ったら英語と日本語の歌詞を見比べながら。 こんな訳し方は習ってない・・・ この単語にはこんな意味もあるのか・・・ 聞いていたのがハードロックかべヴィメタなので、 スラングが多かったのかもしれないが 結構留学生活で役に立ったりするんです。 そう、学校で習う英語と、実用英語は違います。 数十年前の英語教育の話なので、今はどうなのか