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6年間やったフリーランスをやめて、就職した理由。

どうも、工藤です。

僕の人生を簡単に説明すると、鍼灸の専門学校に行き鍼灸の国家資格を取得後、地元で1年半開業、その後3ヶ月ケニア、タンザニアへ、帰ってきてからは師匠にデザインを学びながらエコビレッジなるところで畑を半年ぐらい、その後東京に行き、別の師匠のとこで、映像やらを2年ないぐらい、その後渋谷と三浦で2拠点生活を1年ぐらい。その後名古屋に3ヶ月ほどいて、今は松阪で弁護士秘書をやりながら、チームを組んで名古屋中心にデザイン関係の仕事もしながら松阪・栄の2拠点生活中。

あっ、12月末まで渋谷も借りてます。

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(渋谷はCiftってコミュニティで、拠点はいくつかあるけど、この写真はキャストビルの13Fワンフロアにコミュニティの仲間がシェアなり、1人なりで住んでるところで、そのメンバーの素敵なベランダ)

ざっくり書くとよくわからない経歴だけど、細かく書くと長くなりすぎるので(細かく書いてもよくわからない)とりあえず今回は6年間やってたフリーランスをからなぜ就職したのかを書いていきます。


・フリーランス時代

最終的には、映像、デザイン、鍼灸をやっていた。

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自慢できるほど稼いでいないが、生きるのには困らないし、ありがたいことに仕事で海外も行かせてもらったり満足いく形で暮らせていた。

今思うと、就職してる同い年と同じぐらい稼いでても、時間が余りすぎててお金を結構使う日々だったなと思う。


次に本題、なぜフリーランスを辞めて就職したか

厳密に言うと、shaft designというチームを作ってデザイン関係続けてるし、発注がきて映像とか作ってるから辞めてはないのですが。

1番の理由は今の働き方に満足したから。

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刺激的な日常を過ごしていたのですが、その刺激的な日常に慣れてしまった自分がいたのかなと。

次を考えた時にやったことがないことで、興味があることが海外で働くか、就職するか。

とりあえずイギリスのワーホリを申し込んでみまして。

その時にちょうどコミュニティのメンバーの弁護士に地元の三重の松阪に帰ってやるから秘書しない?って誘われるという奇跡。

次にやろうと思ってたことできるじゃんと。笑

それでワーホリ外れて、今は松阪で弁護士秘書に就職する形になりました!

たまたまですが、就職しないと弁護士関係に携わることはできなかったので、個人的には就職という形を活かして、めちゃくちゃいい経験を詰めてるなと思ってます◎


就職する上で譲りたくなかったこと

というか人生で譲りたくないこととして

好きな人と働きたい


どんなことしてても好きな人が誰かいれば楽しめるタイプでして、当たり前かもしんないけど。

これだけは譲りたくなかったです。

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就活してとかも楽しそうなんだけど、個人的には上司が誰になるかわからないのは博打すぎるなと。

人生運だけで生きてるんで、それでもいい人に巡り会えそうな気はしてるんですが 。。笑


最後にフリーランス・就職してみて思ったこと

まだ就職して2ヶ月なんでこの先どんな考えになるかわからないですが、就職だろうが、フリーランスだろうが、働くことに関しての形はあんま関係ないなと。

僕は"好きな人と働く"これがブレない限りたぶんどんな形でも幸せに暮らせると思う。

これが、この地域で!でもいいだろうし、この仕事がしたい!でもいいだろうし、お金がひたすらほしい!でもいいし、何か自分に必要なピースがわかってそれを大事にできれば大抵なんでも乗り越えれるし、幸せになれるのかなと。

それがわかるまではひたすらトライアンドエラーの繰り返し、ちゃんと振り返って何がダメで何が良かったのか、自分がどんなことに反応するのかを丁寧みたり、人に話を聞いてもらったりして、人になに言われようが自分はこれがあれば幸せだなーって基準を見つけたら、大変な時代でもあんま関係なく幸せに暮らせれるはず!

少しでも誰かの役に立てばと思い、自分の備忘録もかねて書いてみました。

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最後はこんな一緒にやると思ってもなかったであろう謎に東京に会いに来てくれて、はじめてちゃんと喋った日の相方若杉将樹でさようなら。笑

これがまだ去年11月20日だったからまともに喋ってからまだ1年も経ってないとか、人生何が起こるかわからない!!笑笑


くどうまさき




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