父のノックと水谷実雄
5歳ころの記憶。
山のふもとにはもくもくと煙を上げる高い煙突があった。
その当時、父親は工場勤めだった。
家から工場までは徒歩圏内で朝から夕方まで働いていた。
不定期な日課ではあったが、私は勤めが終わった父を近くの土手まで迎えに行っていた。
手にはバットとグローブとボール。
野球好きの父が幼い私に買い与えてくれたもので、バットは木製。
5歳の男の子に重い木製バットを買い与えるというのが正解かどうかは別にして、帰宅途中の父親を待ちわびるには理由があった。
家路に向かう父親は炭鉱夫のように泥だらけだった。
今でもどんな作業をしていたんだろうと思うくらいに。
そんなヘトヘトに疲れた父親だが、遠くから私を見つけると笑顔で手を振ってくれた。
私はそんな父親に走り寄り、野球のコーチをねだるようにノックやキャッチボールをしてもらった。
父は大のカープファンで、私はカープの帽子をいつも目深にかぶっていた。
山本浩二、衣笠祥雄が大人気だった時代に父は「水谷実雄(みずたにじつお)」といういぶし銀の選手がお気に入りだったらしく、私のカープ帽のつばに水谷実雄の背番号である「4」をマジックで書いていた。
それを嬉しいとも嫌だとも理解できていない子供だったが、私にとってこの頃の記憶は父親が「良い父親」であった数少ない記憶だ。
辺りが暗くなるまで父親に相手をしてもらったら、ふたりで手をつないで歩いて数分の家に帰った。
帰ったらボロボロのわが家で夕食だ。