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属性ってやつ
ふと気付いた。
私、目の前で話している人の属性とか考えず話を聞けるようになってる。
ずっとずっと、他者の属性が気になっていた。
独身とか既婚とか、子持ちとか子なしとか、学生とか社会人とか、年上とか年下とか。
他者の属性が気になるから、自分の属性も気になった。
だから結婚したかったし、子ども欲しかったし、地位とか知名度とか欲しかった。どこかのコミュニティに属して、どこどこの人と思われたかった。
今日、よく知る人の彼女と話した。
彼女と話すのは初めてではなかったが、ちゃんと話したことはなかった。
彼女が話している間、私はずっと「彼女」を見ていた。
彼女の年齢とか、彼女のお子さんのこととか、よく知る人のこととか考えず。
「彼女」と、彼女の話す彼女の人生のことを考えていた。
私はいつも、誰かの彼女とか誰かの奥さん、とか聞くと、その「誰か」の付属物のように思っていた。
だから私も私を「夫の付属物」だと思っていた。
みんなが私と仲良くしてくれるのは、私という人間に魅力があるからではなく、夫の付属物だからだ。
と、思っていた。
誰々さんの奥さん、誰々ちゃんのお母さん、どこどこに勤めてる人、最近離婚した人、小さい子どもがいる人
私にとって、属性とはその人を知るための分かりやすいツールのひとつだった。
目の前の人のことを知ろうとする力に自信がないから、分かりやすいツールに頼っていたのだ。
今日、彼女と話して、単純に楽しかった。
属性を見て彼女を知ろうとするのではなく、彼女の人となりを彼女と話して知ることができて、楽しかった。
もっと話したい、もっと知りたいと思った。
こんな風に人と話せるようになるんだな。
何故そんな風にできるようになったのかはっきりとは分からないが、たぶん、自分が持った印象や感想を否定せず、大事にしようと思えたからだ。
普段、夫と話していて、私が何か意見を述べた時
「それは違うでしょ」
と言われてしまうと、「これは間違ってるんだ!」と慌てて意見を引っ込めていた。
みんなで話している時、自分の意見に自信が持てなくて、誰かの意見を聞いてから自分の意見を決めていた。
間違うことが怖かったから。
誰かに否定されても、誰かの意見が参考になって「それいいね!」と思っても、私の意見を大事にしていい。私が抱いた印象を感想を否定しなくていい。なかったことにしなくていい。
そう思えるようになった。
私があまり他者に興味を持てなかったのは、私が常に属性で判断して作った色眼鏡をかけていたから。
相手を本当に知ろうとしなかったから。
他者に属性で判断されたいと思ってきたから。
人と話すことを楽しめる。
相手を知ることを楽しめる。
嬉しいなぁ。