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【つれづれ日記】人生は何かをするには短すぎるが、何もしないには長すぎる

そう思う。


あなたには人生の目的や目標があるだろうか。

こういった書き出しをしておいてなんだが、ボクには残念ながら明確な「コレだ」というものが無い。
逆に、そのような「自分を頑張らせるものを持たない生き方」自体が目標になっているかもしれない。
そう、ボクは頑張りたくないのだ。


以前にも触れたが、ボクはフリーランス失敗組だ。
当時のボクは若かった。
仕事に対してもっと前向きだったし、自分の力量を過信していた。

「24時間働けます!」バリに動いてはみたものの、世の中はそう甘くは無かった。
会社組織の理不尽が嫌で、自由になりたくて始めたはずなのに、頑張れば頑張るほどしがらみが増えた。
そしてその増えるしがらみに反して収入はついてこなかったのだ。


結局自分の無力を悟り、今の職場に派遣社員で流れ着いた。
その時点でボクのライフはもうゼロだったのだ。
「一生を賭けたチャレンジに失敗したから、あとはもう全てを諦めて生きよう」と思っていた。

なので、仕事に対するやる気もゼロだった。
必要以上の仕事をするつもりも無かったし、積極的に職場の人と関わる気も無かった。

しかし、皮肉なものでそうして無心で仕事をこなした方が仕事自体はうまく回った。
余計な仕事を引き受けなかったから時間に余裕が生まれた。
職場の人と必要以上に絡まなかったから仕事が終わればすぐに帰れた。


こうなってみて分かったのは、ボクに必要なのは「冷静に自分の状況を俯瞰する目線」だったということだ。
新卒の頃は「頑張っているけど方向性がズレていた」。
フリーランスの頃も「頑張っていたけど視野が狭かった」。
今は「頑張らないようにするため、無理を無理と判断するようになった」。
結果、今が一番うまく回っている。
やる気と結果は必ずしも一致しないのだ。


最初の話に戻ろう。
改めて言うがボクは仕事を頑張りたいと思っていない。
「仕事に情熱を傾けて生きる」というスタンスを取っていない。
さりとてそれ以外に情熱を向けるものも持っていない。

自由な時間があって方向性の無い生き方をしていると、考えることがだんだんと哲学に寄っていく気がする。
すなわち「人生とはなんぞや」と。
ギリシャの哲学家たちも奴隷に労働をさせることで時間な自由を持て余していたと聞く。
何もしない長い人生を答えの無い問いに費やすことで過ごしたのだろう。


あなたは今の生活において、「時間が無い」と感じているだろうか。
それとも「時間を持て余している」と感じているだろうか。


「時間が無い」と感じる状況は正直に言って結構しんどい。
しかししばらくして振り返ってみると、そう感じているときの方がやりたいことがたくさんあって充実してたりする。

ボクは相変わらず頑張らない。頑張れない。
これからの人生をどうしようか日々考えている。


アンニュイな気分の日の日記。


今日はこんなところで。
では!

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