持病がある人の保険の話
私は高校3年の夏休みに大学受験を断念し、専門学校への進学をめざしてその学費を自分で稼ぐために就職した。
就職試験の面接では、当時お決まりの「結婚しても働きつづけますか?」という問いかけがあった。接客の仕事だったため、入社するときには眼鏡禁止で必ずコンタクトレンズを使用するようにと教育を受けた。まだ、コンタクトレンズが高額な頃だった。
試用期間を終え、年金手帳が渡されたとき、「これは一生にかかわる大切なものだから決してなくさないように」と母に言われた。その職場は金融機関だったので、私は先輩に勧められて18歳でクレジットカードを持った。その先輩は1カ月分の給与と同額のバッグを買うような人だった。
専門学校を出て職についた事務所は社長を含めたった5人で、社会保障はなかった。私が入社後しばらくしてからやっと加入したようだった。私はまだ若くて社長と喧嘩して飛び出すまで何もわかっていなかった。
当時の流行語「プッツン」(笑)。私と同年代の人にしか通じないであろうこの言葉どおりに、私は会社を飛び出した。先輩が電話をかけてきて会ったり、なにやら高額のプレゼントをもらったりもしたが、頑なな私は交渉に応じることはなく、二度と会社には戻らなかった。
だが、会社から「雇用保険被保険者証」が届き、私は少額ながら初めての失業保険を手にするのだった。
次の職場はフリーランスが一緒に仕事をしているような形態で、社会保障は何もなかった。私は身体が丈夫だと過信するほど健康だったので、病院にかかることはなかったし、朝まで飲み歩いても健康そのものだった。
そうこうしているうちに私は一型糖尿病に罹患する。それからは医療費が毎月1~2万かかるようになった。
結婚して出産したときには、母が「あなた名義の保険があるから」といって医療費を出してくれた。本当にありがたかった。
そうそう、ここまで読み進んできた読者は、まったく登場しない「つれあい」の存在に不信感があるかもしれない(笑)。
ここでお断りしておきたいが、私は彼について書くことを禁止されているのである。私はものすごくおしゃべりなので彼のことを書くのはプライバシーの侵害行為なのだと。だから、存在はしているのですが、私たちは共同作業することはあまりなく、それぞれが好きな仕事をしているのでお互い自由に暮らしています。
さて、子育てが始まってからも、私に家でできる仕事を回してくれていた人が、51歳という若さで突然亡くなった。私は自分自身の今後についても考えるようになり、「ここからは人生折り返しだな」と思った。
しばらくしてから亡くなった方の奥さんから保険屋になったという知らせが届き、私は彼女の助けになればと思って私と夫2人の保険契約を交わした。ただ、私は持病があったので当時は医療保険には加入できなかった。そのため、私が契約したのは「年金払い積立傷害保険」だった。
持病があっても保険に加入できるようになったのはいつ頃からだったろうか。最近、やけに「持病があっても入れます保険」が増えているが、それはもう保険契約者が頭打ちになったからなんだろうな、と私は思っている。
日本には医療費が高額になったときに、支払い額を一定の額でストップしてくれる「限度額適用認定証」というものがある。
話が長くなってきてしまったのでこの続きはまた明日にしたいと思います。