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大事な人の大事な人でいたい
自分の大事な人に他の大事な人ができたときに少しだけゾワッとした感覚が身体を巡ることがある。
それはどうしようもない不安で、もしかしたら大事な人が、私のことをつまらない人間だと気付いてしまうのではないか、もう遊びに誘ってくれなくなるのではないか、興味をなくしてしまったのではないか、という不安。
大事な人というのは、ほんの一握りで、少なく、その相手に対してだけは、ひどく臆病になる私を感じる。そして、その大事という気持ちが、一方通行かもしれない、と思うと、より臆病になる。
数多の同級生、クラスメイト、隣の席になれば少し会話を交わすひと、大人数であれば遊ぶことがあるひと、クラスが変わって挨拶もなくなるひと、二人で遊ぶことがあってもまだ心を開けないひと、相手から心を開かれていると感じることが圧になるひと、部活の後輩、また先輩。
そういう有象無象のひとに、不安に感じることはない。そして、行動することに、億劫になることもない。例えば、喧嘩をしたときであっても、真意はどうであれ、簡単に謝罪をし、場を収めることに、ストレスは溜まれど、何ら思うことはない。
しかし、私は大事な人に、ひどく臆病で、行動をすることが億劫で仕方なくなる。
以前、大事な人と、喧嘩別れのようなことをしそうになったことがある。
喧嘩、をしたわけではないが、いつも険悪な雰囲気が漂っていて、二時間のバスで、隣の席であるにも関わらず、お互いに一言も喋ることがなかった。
素を出せる相手であったにも関わらず、当時は、話すとピリピリとした空気をまとい、表面上の薄っぺらい会話しかしなかった。
その子はバレー部のキャプテンを務めていたのだが、顧問のパワハラとも言える言動によって、うつ病になり、学校を不登校になる直前の出来事だった。
不登校になってからはラインで、何度かやり取りをした。彼女が入院していたときは、病院の食事は味が薄いだとか、そんななんともない会話をしていたと思う。
その後、三ヶ月ほどで、学校に登校したが、すぐにまた不登校になり、そのまま退学し、通信制の高校に通うことになった。
そのときの私と彼女の関係は、曖昧なもので、以前であれば、共に下校することがあったり、休み時間には彼女が私に話しかけ談笑することが多かった。
しかしそのときは、私は、電車から自転車に、登校手段を変え、私から彼女に話しかけることも少なかった。
その登校していた少しの期間、今思えば、私はもっと行動すべきだった。彼女がまた、不登校になったときにそう思った。
彼女がまた不登校になってから、私は一切連絡を取らなかった。すごく億劫だったからだ。もちろん大事な人であったことも大きいが、どうしようもないすれ違いで、謝ることでもないし、どうしていいかわからなかった。
お互いが成長する過程で、その速度の違いで、隣に立てなくなったのかもしれない。そう思った。
彼女がお母さんと、退学に向け、今までの荷物をまとめに学校に来ている、と聞いたとき、やっぱり会いたくて、友だちとロッカールームまで向かった。
彼女はキラキラした笑顔で笑った。星の屑を振りまくように、目に惹かれる、太陽のようで、少し圧のある、でも多くの人に好印象をもたせるであろう笑顔。でも、偽物の笑顔。貼り付けた笑顔。
私たちがまだ初対面であったこと、すごく昔に見た笑顔だと思った。私が知っている彼女は、そんなふうには笑わない。少し照れくさそうに、でも元気ハツラツと笑うひとだと思っていた。
その笑顔を向けながら、会いたかったよー、と言われたとき、私はまともに返事ができなかった。久しぶりだね、なんてなんともない返事だったと思う。
本当は、あのとき、私は、謝りたかったんだ。でも、謝れなかった。
私に興味をなくしてしまったんだ、と思った。
もう要らないんだ、捨てられたんだ、と思った。
何日も、ラインの画面を開いては、何も言わずに閉じる。すれ違ったまま、もうこの先、一生会わないんだろうな、漠然と思った。
何か一言いえば変わったのかもしれないけれど、私は臆病で、また貼り付けた笑顔で、貼り付けたような言葉を返されるのが怖かった。自分に興味がない、と突きつけられるのが怖かった。
怖くてどうしようもなくなってしまうけれど、私はただ大事な人の大事な人でいたい。
大事なひとに切り離されることが、どうしようもなく怖くて、臆病で、弱いんだ。
だからこそ捨てられないように、大事な人を大切にしたい。
PS 彼女とは仲直りして、良好な関係です