わたしたちのMission
こんにちは。にしみやさやかです。
前回は、Vision「地球を愛の星にする」について書きました。
今日は、シャーンティ・ローカ・ジャパンのMission(ミッション)について書こうと思います。
私たちのMissionは「冤罪(えんざい)のない世界の実現を目指して、内なる平和を日本から発信する」です。
地球を愛の星に…
そこになぜ「冤罪(えんざい)」というキーワードなのか?
実は、私たちは「冤罪(えんざい)」を少し広い概念で捉えています。
「冤罪(えんざい)」という言葉を辞書で調べると、
「罪がないのに、疑われたり罰を受けたりすること。無実の罪。ぬれぎぬ。」(大辞林)
とあります。
しかし、実際には「冤罪(えんざい)」は法律用語ではなく、法制度上その意義が確定されているものではないと言います。つまり、現在の日本の法制度は、冤罪は「ない」という前提であるということです。
とはいえ、実際は、誤った有罪判決が存在することは、報道などで周知の事実といえます。一度確定した判決をやり直す「再審」に関する法律の改正も、多くの法曹関係者や冤罪事件の実情を知る方々から強く望まれています。
私自身、身近なところで冤罪事件を目の当たりにし、世の中の裏の側面を知ることとなりました。
その体験から、どうしたら世の中から冤罪(えんざい)をなくしていけるのか…と自分なりに考えるようになったのです。
少し話がそれますが、私が小学校高学年の時に、両親とデモ活動に参加したことがありました。
大人たちが「戦争反対!」とメガホンで声を上げる中で、メガホンが回ってきた私は、次のような言葉を口に出しました。
「戦争は人の内側の戦いから起こる。
まず自分の内側の戦いをなくしていこう」
その時、自分がそういう思い方をすることは初めて知りましたし、
あまりに毛色の違うシュプレヒコールに、周りの大人が不思議そうな顔をしながらも、ともにそれを言ってくれたことを覚えています。
その後、ヨーガに出会い、インド哲学を学ぶ中で、その思い方が、自分のオリジナルではない、古代から深められ受け継がれてきたものだったことがわかりました。
インド哲学や古(いにしえ)から伝わる智慧によると、
人は内側の深いところで大いなる意識(呼び方は様々ですが)とつながっていると言います。
そこにその人自身の想念によってたくさんのレッテルが貼られた結果、
顕在意識は、本来内側にある愛や平和からは離れていってしまう。
そのレッテルは「自分にかけている冤罪」と言えるものであり、
私も含めて、そういった「人」の意識が、「社会における冤罪」をも作り出し、または容認してしまっているのではないか、と考えるに至りました。
シャーンティ・ローカ・ジャパンで大事にしている思い。
それは、
まず、
自分が自分とともにいること。
そして、いのちの温かさを感じながら、
自分自身が人や自分との関係の中で貼ったり貼られたりしているレッテルをまっすぐ見つめていくこと。
そのことに気づいて、不必要なレッテルなら、自らの意思で外していけるようになること。
そのように
自分を見つめられる人は、
社会に起きている、人を無闇に傷つけるような「冤罪」や「レッテル貼り」に気づくことができるのではないか。
そして、
そのような市民が一人ずつ増えていくことが
冤罪のない世界の実現につながっていくのではないか。
自分を「安心」して見つめられ、明日への「勇気」を育める環境を作っていこう。
というものです。
そして、同じ思いを持つ仲間とともに立ち上げたのが、このNPOです。
(その思いに至ったストーリーは、メンバーの数だけあります。追々、このノートで語ってもらいますね^^)
改めて、私たちのMission(ミッション)は
「冤罪(えんざい)のない世界の実現を目指して、内なる平和を日本から発信する」です。
ここでいう「冤罪」とは、
「刑事事件における誤った有罪判決のみならず、メディアやSNS、日常の他者や自分自身との関係性の中での不必要なレッテルの貼りあいまで含める」
「世界」とは、
「目に見える世界も、人の内側にある世界も」
「内なる平和」とは、
「ひとりひとりの内側にある愛と平和の意識」
「日本から」とは、
「私たちが生まれ育った、この日本から誇りを持って」
そのような意味合いが込められています。
次回は、そのMissionを支える「5つのキーワード」について、書こうと思います。
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