アイドルの脱偶像化 ・商品化していく有名人のプライバシー

かつては、アイドルなどの有名人とそれを応援するファンとの間の適切な距離は、「商品」の売り手である有名人にとって必要なものであっただけでは無く、買い手であるファンにとっても有用なものであるはずだった。

売り手サイドと買い手サイドをはっきりと区別しておくことは、売り手が自身のプライバシーを守るためだけでは無く、買い手が「自分が買った自分の商品」を好きに解釈し、咀嚼し、楽しむ自由度を持つために必要なのであった。

ファンは自分が手に入れた思い出や体験をもとに、自分だけの理想の偶像を自分の中に築き上げ、それを自分の中で勝手に、購入元である有名人に重ねる。そのような「商品の楽しみ方」においては、有名人自身のプライベートな情報は不要なものであり、時には邪魔なものでさえあった。

ところが、SNSの普及、および同時期に「会いに行けるアイドル」のキャッチコピーを引っ提げて登場したAKBグループの爆発的な流行は、このような距離についての売り手サイドと買い手サイド双方の意識を変容させた。

以前であれば直接会うことが難しく、想像上のアイコンに近かったアイドルが、お金を払いさえすれば握手も会話もできる、SNS上では毎日の実際の生活を発信してくれる、そんな実在性を強く帯びたものになっていった。

アイドルのそのような実在性に価値を見出した買い手であるファンは、アイドルとファンとの距離は近ければ近いほど喜んだ。買い手から見たアイドルの商品価値は、実在性が増せば増すほどに上がるからだ。

売り手であるアイドルは、自分のプライベートを積極的に晒すことで自身の商品価値を高めていった。「身近」で「みんなと同じようなことを考える」ような、買い手と距離が近い商品でいる事が重要になった。

AKB48が活動を開始してからおよそ15年、Twitterが日本でサービスを開始してからおよそ12年半、Instagramが日本でサービスを開始してからおよそ10年が経った今、有名人(特に若い年代の有名人)がファンとSNSで直接交流することは何も珍しいことでは無くなった。また、Youtuberやミスター・ミスキャンパスなど、既存メディア出身ではない、今までファンの側にいたような「普通の人」が有名人になるようなことも当たり前になった。

有名人とファン、売り手と買い手の距離はとても近くなり、また、距離が近いことが良いこと(商品価値を高めること)であるという価値観はますますスタンダードなものになっている。

買い手であるファンは当然のように売り手である有名人に、売り手自身のプライベートまで含めて「商品」であることを求めている。アイドルは踊って歌うだけで良く、俳優はドラマで演技をするだけで良く、芸人は漫才コントテレビショーをこなすだけで良く、アスリートは自身の競技をするだけで良いという価値観は前時代的なものになった。

買い手は、自分だけの理想の偶像を築き上げることを止め、代わりに実在する売り手そのものが自分にとって都合の良い形をしていることを求め出した。

当然、以前も売り手そのものが都合の良いものであることを求めていた買い手が多くいただろうが、そのような「勝手な想像の押し付け」は、両者の間に適切な距離があったからこそ成立していたものだった。これこそがアイドルの偶像化であろう。

その距離が無くなった今、「勝手な想像の押し付け」といつどの場所でも整合性を取ることを求められて、売り手のプライバシーは完全に商品化してしまった。

距離が近いことを喜ぶ、あるいはもはや距離が近いことが前提となってしまった「私たちの大学のアイドル」や「みんなが好きなゲームを実況するYoutuber」の存在にはもはや、偶像化させるためのファンの想像の余地は残されていない。

プライバシーの商品化が続く限り、我々ファンはもはや、「ファンのみなさまの多くが喜ぶであろう私の姿」をした有名人を、ただそこにある実在としてしか買うことができない。


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