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「ゲーム実況者」はめちゃくちゃカッコいい

ゲーム実況グループ「ナポリの男たち」に捧ぐ

こんにちは。さくまると申します。
(ツイッターではくまです!お世話になっております。)

もうすぐ春ですね。大変なご時世は続きますが、今年も咲く花々たちが鮮やかに色づくといいな、と切に願う毎日です。

前回のナポリ記事「界隈違いのオタクが「ナポリの男たち」に飛び込んだ話」を想像以上に沢山の方々に読んでいただきました。本当にありがとうございました!

そして、「狂気山脈」への登頂、そして下山。本当にお疲れ様でした。

登山前から並々ならぬ盛り上がりを見せ、本当に一つの「大きな山」となったこの「狂気山脈」。

タイムラインの益々の盛り上がりを見て、クトゥルフTRPGのような壮大なストーリーに「ナポリの男たち」が「ゲーム実況者」として対峙していく意味をめちゃくちゃ考えていました。
全てのゲームに全身全霊をかけて向かい合う、「ゲーム実況者」。その頂は、きっと簡単なものではない。コンテンツの飽和したこの時代で、ゲームをプレイするという動画が多くの人に届くことが、どれほど困難か。「ゲーム実況」という文化を担う彼らへのクソデカ感情がキャパシティをぶち越えております。

この「狂気山脈」を通して考えた「男たち」への思いを、どうかこのタイミングで、自分の文字で、残しておきたいと思いこの度は筆を執らせて頂きました。お時間の許す限り、読んでいただけたら嬉しいです。


・「狂気山脈」という衝撃を経て


来たる、2021年2月19日。


界隈のツイッターに突如流れ込んできた情報と、ざわつくタイムライン。
元々ゲーム実況界隈ではないところからこの沼に飛び込んだ私には「クトゥルフ神話TRPG 狂気山脈」を自分の応援している実況グループがプレイすることがどれほど重大なことなのか、分かっておりませんでした。

この通知が来たすぐ後、実況界隈に10年肩まで浸かっている生きる実況wikipediaの我が妹から、すぐさまLINEが飛んできました。

「お姉ちゃん、まずいよ」

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心の大悟もこんな顔です。

聞けば、他の実況グループでこの山を共に登ったオタクたちが、まだ降りられていないほどのTRPGであるということを知ります。でもそもそも、「TRPG」って何???から始まる知見の乏しいオタクは、まず「男たち」の前作TRPG「Life goes on~人生は続く~」の「TRPG」の勉強からはじめました。思ったよりも難しかった~~!TRPGって何?とフォロワーさんに聞いた時に「サイコロはリアルで降るんですか…?」と聞くほどの情弱文系オタク、ダイスのExcelみたいな出方に相当苦戦する。みんなが出した出目に正しく反応できねえ....!それはどういう効能なんですか....?と血眼になりながら「TRPG」のルールを覚えました。

TRPGはもともと用意されたシナリオ、ダイスの出目、そしてPLがどのようなロールを演じるかで結末が変化していく物語。彼らがこのクソデカシナリオに挑むということの重大さを段々と実感していくことになります。

全てのゲームに全身全霊をかけて向かい合う、「ゲーム実況者」。その頂は、きっと簡単なものではない。コンテンツの飽和したこの時代で、ゲームをプレイするという動画が多くの人に届くことが、どれほど困難か。「ゲーム実況」という文化を担う彼らへのクソデカ感情がキャパシティをぶち越えている状態で、配信当日を迎えました。

配信一週間前。ツイッターのTLが、だんだんと並々ならぬ盛り上がりを見せておりました。

「TRPG」はこんなにもこの界隈を「祭り」にするのか。

こんなにも世界には「ナポリの男たち」に囚われたオタクがいる.....。今回の狂気山脈で嬉しかったのは、その繋がりも大きな要因だったかもしれません。登頂前のタグのヌメを見て、リアルタイムで応援したい人たちを追えることの多幸感をひしひしと感じ、TRPGのTの字も分かっていなかったオタクも、無事7時間の生放送を完走いたしました。当日は私情でドタバタしていたこともあり、18時からの放送を仕事の帰り道でひっそりイヤホン付けながら視聴。帰りの電車の中で聞いたタピオカのくだりも、最強えべたんキックも、すべてが愛おしかった。あんなに高揚感に満たされた経験は久しぶりでした。登頂後の朝、見上げた空がやたらと綺麗で涙が出そうだった。「ナポリの男たち」と、そういう経験をした。大好きだった。その時点で、この配信が、既に大好きでした。

スゲーーーーっ!!!
TRPGもすごいし、ナポリもスゲーーーッ!!!!
ほんとにダイスの目で決まるのかよ.......というほどの完璧な流れと、生き生きとしたキャラクターの姿。息をのむような展開で決めてくる、完全なる「男たち」。単純に、単純に、これが本当にリアルタイムで作られたセッションだとは思えないほどの、最高の物語でした。

ハァ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 山 !!!!!!!!!
上ったっきり降りれない。頂の景色の美しさを目の当たりにしたのは、我々のほうかもしれません。むつーさんのNPC3人の役割の使い分けもすごかったし....絶対実況ハマってなかったら知らない界隈だった。ほんとにすごい。MISIAのEverything聞きながら山上ったので(なんで)情緒もおかしなことになる。

*

・誰も知らない物語をやってのけた

それぞれの感性をもった4人が紡いだ、「狂気山脈」という物語。
翌日のFAの量を見て、驚愕しました。
まず最初に言及しなければいけないのは、もう勿論、この男だろうと。

志海三郎。

この山脈の、おそらく最骨頂。あんなにも拳を強く握ったのはいつぶりだっただろう。配信前は心のどこかで「きっと4人で登って帰ってくるのだろう」そう思っている自分がいました。その終わりはあまりにもあっけなく、しかし、生への果てしない渇望を感じる最後でありました。

八木山「志海、お前一応確認しておくが…
お前、ここに残ったりしないよな?」
志海「いや、大丈夫。大丈夫ですよ」

「キャラに徹する」を本当に遵守したshu3。スゲエ。スゲエの一言しか出てこない。志海に対する解釈はTLでも多くの皆様が素晴らしい文章でまとめられているので割愛しますが、誰よりも早くその頂を見た男が狂気の山に呑まれていく姿は、到底想像がつかないほど美しかった。
そしてこのシーンでの志海の何かが見えていた八木山。本当に、hacchiという男の天才さを噛みしめずにはいられませんでした。

友のために登ることがこんなにも美しいことがあるか。そんで、こんな形で志海の人生と繋がるのか。

だけど4人で笑ってるFAとか見ると、ヴ、ヴェ~~~~~!!!!!!!となる。絶対山に住んでてね。

*

「約束したから」
「約束だから」

そしてNPCと積極的に関わり、「約束」を果たしたえべたん。えべたんのキャラ設定が満を持して最後に発表されたの激アツすぎて.......マジでジャック・オ・蘭たん。狂気山脈大トリ。えべたんしか。

NPCの3人がこれだけ心に残るように動かしてくれたのも本当に、「男たち」の成す技だなと思った。彼女の動きは本当に素晴らしかったし、「ジャック・オ・蘭たん」だった。ゲームをする上で、様々な角度からキャラクターを見て、引き出していく。ああ、こういうところに「ゲーム実況者」としての腕が出るのか。えべたんの一言一言が、今回のTRPGをどんどんと深い物語にしていっていたような気がします。えべたんの功績はデカすぎた。次のキャラ人気投票はもう、もうほんとに、間違いないな。

*

・ハッピーエンドを求めて何が悪いねん

すぎる................あなたという男は本当に..............
「人間界最強の杉山徹心」と「すぎる」の感性が重なり合って最高がK点越えした......ほんとうに ........どこまで........「最高」以外の感情が死んでしまうだろ.........

結局、すぎるなんだな。俺を熱くさせるのは。(?)すぎるさんの根底にある、アホ実況の裏の理性と品性。すぎるさんの汚れて傷ついて、それでもなおキラキラした透明な部分が胸の奥で光っているような、柔い暖かさ。それも、彼のその優しさは、太陽の眩しさのようなそれでは無い。どうしようもなく落ちてしまった時に優しく灯る、オレンジ色の間接照明のような、そういう温かさがある人だ。すぎるさんの話す言葉の端々から感じられる、奥底の優しさ。この人は本当にいろんな経験も飲み込んで、「表に出すべき言葉」を選んで話せる、そういう人だから本当に大好きです。

 今回のTRPGでも、杉山徹心というキャラクターからにじみ出るPLのすぎるの感性が好きすぎて普通に泣いてた。「すぎるの持つ感性の全てが好きだ」以外の感情が圧倒的に死んでいる。どうしても好きだ。
何かを犠牲にしなきゃいけないかもしれない局面、すぎるが黙り込んで救える方法はないかと考えてる時間の優しさが本当に大好きなんだよね 
 大きな声で無責任な綺麗事にしない部分も全部、すぎるという人間の感性が素敵すぎるんだよな(すぎるだけに)(しょうもない)

6:06:02 登頂後「(3人に)トランシーバーで報告しようや」
6:50:05 ロストしかける志海に対して「やめてな」「やめろよ」
6:50:36「僕ら体力残ってるけど助けられないの?」

この言葉たちが即座に出てくるその感性に大泣きしてしまった 。

杉山というキャラクターから滲み出る「すぎる」の元々の感性の素敵さに改めて気づいて本当に最高のゲーム実況者だなって、この度改めて思った。

TRPG的にはPLの感情が先行するのは良くないことなのかもしれないけれど、PLあってのキャラクターだとも思うので、やっぱり「すぎる」が演じるからこその杉山徹心であった思う。エンディングに関して、「タピオカ」にこんなにも素敵で綺麗な役割を持たせられる人、世界探してもすぎるの演じた杉山徹心しかいない。タピオカのどえらい解釈がすぎる。あんなにも拍子抜けな声を出しておいて、えべたんと話したその伏線を最後に回収していくんだな。すぎる、ありがとう。きっとずっと、一生推しだ。

*

やっぱり、「ゲーム実況」という文化は本当にかっこいい。この沼に来たことを本当に噛みしめた数週間だった。「ナポリの男たちが好きだ」の気持ちが飽和しまくった日々を送っていました。

ナポリのおかげで数年間忘れかけてたゲームの楽しさを思い出すことができた。ゲーム実況者以外の面を持ち合わせる、この世界にふつうの人間として生きる彼らが「なんでもない日も自然とそこにいる」ことがどれだけ幸せなことなのか。そういうことを、考え続けた日々でした。

この物語優しさで紡いだ、ナポリの男たちでよかった。愛されるキャラクターを、真剣に演じてくれる彼らで良かった。ゲーム実況者はここまでやるんだ。彼らの爪痕は、只者ではなかったのだと思い知らされた。
彼らの歯車が合い続ける瞬間を、ずっと半永久的に眺めていける幸せを噛みしめる。そんな配信でした。


7人と、登って良かった。それだけが、ただひとつの揺るぎない所感です。
この山から降りたくないな。こんな狂気の舞踏に。

ナポリ、前人未踏の世界最高峰へ。

やっぱ絶対降りたくない。全然全然降りたくない。
さよならに込めた永遠こそが僕の誓いだというならば、何度でも上ってやるよ狂気山脈。「まだ登っていたい」山に取りつかれた男たちの名前を、ずっと胸に刻むよ。

*

・「ナポリの男たち」

ナポリはいつまで続くのか?」という問いに対し、明るい回答をしたメンバーはいなかったグループが今、ゲーム実況者としての本業をこんなにも情熱的に成し遂げている。

人生のささやかな癒しの軌跡を丸ごと飲み込みたいと思えるほど、彼らには価値がある。そのたどってきた軌跡には、苦虫を噛み潰したような後味の悪さと、一つの大きな山を登り切った後のような華がある。

この山から降りたくない。彼らが残したこの爪痕に、ずっと浸っていたい。

酸いも甘いもを乗り越えて、彼らはこれから、どこへ行くんだろう。
「ゲーム実況」という夢も希望も乗せた船の終着点は、いったいどこなんだろうと、「ゲーム実況者」としての永遠を、ふと考えた。

今までも、いろんなコンテンツにハマってきた。そんな時いつも、「ああ、デビュー前から応援していたかった」「コンテンツ始動時から知っておきたかった」と思う事のほうが多かった。これから応援しようとするアーティストやコンテンツの辿ってきたその軌跡を、丸ごと飲み込もうとしてきた。

 私が彼らをリアルタイムで追えたのは、せいぜいナポリがサンリオとコラボし、突然彼らが怪人になった頃からだ。ナポリテンも経験していないし、「どす恋!」も、Youtubeへの移行も、FFCM発表時だってリアルタイムで追えていない。
それでもいい。今の彼らが楽しそうなら、そんな彼らの癒しを享受して生きていければ、「ナポリの男たち」というグループを人生のささやかな癒しとして据えていきていけるなら、そんな幸せなことはない。前回のnoteまでは、そう思っていた。

今は、彼らの辿った軌跡を、酸いも甘いもを、飲み込みたくなっている。

「ナポリの男たち」は、刺さる人に、どこまでも刺さる。「喧嘩をしない」ことが「仲が良い」には繋がらない。もともと、利害の一致で繋がった彼らが、「仲良くなる」必要なんてそもそも無いのに。複雑化したこの時代に、肥大化したネットワークの中に、世間は「癒し」を求めている。「癒し」にまでストレスを抱える必要なんてない。それなのに、彼らが歩んだ目も背けたいと思うような鈍い音のする過去にさえ、手を伸ばしたくなっている。

今、こうして一つの大きな山を乗り越え、「ナポリの男たち」としての歩みを4人で駆け上がっている。彼らが、いまのこの姿になるまでの軌跡を、今なら噛みしめて向き合うことができる気がする。


「ナポリの男たち」という船の行きつく先に、
ハッピーエンドを求めて、何が悪いねん。


難破船だった船はやがて大きな帆を上げ、
彼らにしかとれない舵を取っている。
あなたたちがいい。幾何のチームの中でも、ただただ、あなたたちが良い。
彼らが彼らであることを望んでいる。その事実こそがゲーム実況者における永遠の名前なのだろうな、と思っています。

550円という自分のアイデンティティがここにあることがめちゃくちゃ嬉しい。それだけで空が青いし、カフェオレが美味しいし、出先に向かう足取りも軽い。ナポリの生きている人生は、本当にその水準が上がっているなと思うんです。そんな存在になっています。

幸い、ゲーム実況と交わってこなかった私の人生には、振り向けば取りこぼした供給がゴロゴロと転がっている。そのアーカイブを全部見尽くしたその時、私は何を思うんだろう。

彼らと出会って、パンダが好きになった。ハロウィンが例年の数倍大好きになった。ゼルダの伝説をまた一からクリアしたくなった。前髪センター分けのキャラデザにめっぽう弱くなった。パスタの絵文字をたくさん使うようになった。Vaundyのnaporiをしたり顔で聞くようになった。ゲームをまた、大好きになれた。


深夜の飲み会後のような、ハイになったテンションでのにぎやかなゲーム実況とはほど遠い。

ストイックで、真面目で、真摯で、「ゲーム実況」という枠組のなかでできる最善をいつだって、まっすぐ追い求めている。

そういう姿勢が、眩しいほどかっこいい。
彼らが楽しくあればいい。その姿に、きっとチャンネル会員は付いていく。そして、彼らが目指すその永遠へと上り詰める姿に、これでもかというほど涙を流すのだろう。

リーダーの「ゲーム実況者」としてその覚悟に、何度もあてられている。
詰みゲー音割れ実況者の、その深淵の優しさを、痛いほどに知っている。
千里眼でゲームの戦略を見抜く参謀。突然の深夜生ほどテンションの上がる通知は無い。
バランサーのふりをした爆弾。あなたの文学に呑まれている。

4人全員のいいところが、「ナポリの男たち」というホームがあることによってのびのびと生きている。彼らの絶妙な親和性とはまったピースを丁寧に、愛していくその姿に、いつも救われている。

土曜日の夜が本当に楽しい。どれだけ自分の人生が落ちてても、ここでチャクラを回復できる。彼らの、酸いも甘いもを飲み込みたい。だんだん、その存在が大きくなっている。その幸せを共有できることも本当に嬉しい。ひとりだったらこんなに楽しくなかった。ひとりじゃないって最強だ。

穏やかではない日々を過ごした彼らの過去も見つめて、それでも大人として「ゲーム実況者」として生きる彼らのその姿勢をずっと見つめていたい。

「ゲーム実況者」は、きっと何者にもなれる。
その姿に誇りをもって前へ進む彼らが、本当に格好いい。

なんでもない日も、自然とそこにいる。
そんな、麗かな春のような「男たち」へ。

永遠のように長く感じるような、彼らと共に上ったこの山を、この後の人生でどのように思い出すのだろう。もしかしたら、この思い出が人生で一番眩しかった時間なのだろうか。だとしたら、この胸の憤りにも頷ける。

底抜けの幸せを一度味わったら、欲張りになってしまう。

毎週土曜にこんなに素敵なご褒美がある人生になれるなんて、
思ってもいなかった。
好きになった実況者が、あなたたちで本当に良かった。


誰も見たことのない、「男たち」だけの物語を。
何者にでもなれるあなたたちへ、精一杯の、愛を、これからも。





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