
謙虚さ | 主観と客観
謙虚さの定義は難しい。謙虚であることは自己評価の低さや自己卑下、意志の弱さとして否定的に捉えられることがある。その一方で、謙虚さとは、自分には特別な力があることや重要な役割を持つことを認識しながらも、全能ではないことを知り、それを受け入れる受容性の高さであると考えられることもある。謙虚さがあるとされる人ほど、自己に対する否定的な評価を受け入れることでき、自己認知を高めることができるとも考えられている。さらに認知バイアスの1つとして知られるDunning–Kruger effect(ダニング・クルーガー効果)から、自己認知ができていない人ほど自分を肯定的に捉えるという事実が普及している。だが例えば、もし自分は謙虚だという認識を持っているとして、その認識が自己満足的な解釈でないと言い切ることができるだろうか。美徳もしくは能力の高さだとされる謙虚さを自分は備えているはずだという自己への特別視は謙虚さの定義から逸脱するようにも思う。主観だけに頼ればこのような問題は生じる。だから客観的な認知とのバランスをとる必要はあるが、おそらく謙虚さの尺度は、社会的な背景によっても変動する。全ての側面を切り分けることは難しいが、社会が自分に与える影響、自分が社会に与える影響の双方を先入観なしに解釈できるよう努めることは大事なことだ。主観および客観に対する理解、そして自己認知を慎重に進めていく姿勢を養っていたい。
いいなと思ったら応援しよう!
