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サステナビリティと正直なこころ

9月に入り何となく忙しい日々が戻ってきたなぁと思っていたら、昨年以上にパズルごとく日々のスケジュールがどんどん埋まってく状態に。という事もあり、最近は”この日のこの時間帯はデスクワークの時間”を自分のスケジュールに予約している状態です。空き時間の確保が重要な在宅勤務のこの頃です。

今月も何度かお話しさせていいただいた機会がありましたので、その時のメモをまとめて記事にしてみました。

今月は、農水省あふの環プロジェクト、サステナウィークのコラボ企画のトークイベント「サステナビリティは企業変革のチャンス」(公開は後日)、水俣高校でのオンライン講演「水俣とSDGs」、大阪市主催の時事問題講座「海洋プラスチックごみゼロ実現への道~みんなのブルーオーシャン大作戦!~」において、「プラスチックごみ問題は解決するのか?ー 地球丸ごと1個で考えてみる」の講演をさせていただきました。それぞれ特徴のある会で、話す側の私も色々と楽しませていただきました。

1.サステナビリティは誰のチャンス? - 農水省あふの環プロジェクト -

サステナビリティとか、サステナとか、持続可能な社会とか叫ばれているけど、サステナビリティとは誰にとって重要なのでしょうか?私、あなた、みんな、一部の人、企業の人?今回のトークイベントでは「サステナビリティは企業変革のチャンス」と題して、今よく言われている企業の責任の再認識に基づいて、サステナビリティ、特に農林水産業分野からトークを行いました。

そもそも、企業はなぜビジネスを始めたのだろうか?お金を儲けるため?会社を大きくするため?上場するため???それらは小手先の目的でしょう。それは、何かの社会的課題を解決するためです。例えば身近な例だと、この時間に追い詰められているせわしい世の中で、おひるごはんを買いに行く時間を減らしたい、そうだ、近くて便利なコンビニに行けば色々な種類からお磯雄ご飯が買える、しかもATMもあるのでお金も下せるし、レジで振り込みもできるし、困っていることがすべて解決。それとかこのコロナ禍だとなるべく外出したくないのでお買い物が困る、そんなときにはオンラインモールでのお買い物。じっくり選べるし、色々と比較して一番気にったものをぽちれば、早ければ明日届く、素晴らしい。このような社会的課題を解決するために、企業の皆さんが私たちにモノやサービスを届けてくれることで、現代社会が成り立っています。企業の皆様、ありがとうございます。

でも、このSDGs時代はもう一つ重要な社会的課題を解決しなければなりません。それは地球規模環境問題。約270年前の産業革命からじわりじわりたまってきたつけが、ここ数十年で一気に爆発的な影響が出て、気候危機・自然危機・汚染危機と三大地球規模危機に発展しています。その影響は普段の生活で感じるほど。今年の大阪も暑かったです。8月前半は毎日38℃ぐらいの最高気温、と思えば、後半2週間は毎日豪雨・大雨。ドイツでは豪雨災害、アメリカ西部では大規模山火事など、まさしく地球は燃えてしまっています。

だからこそ、サステナビリティと言う新たな軸を今の経済社会に組み込まなればなりません。この意味で企業にとっても新たな社会的課題解決、すなわち世の中をサステナビリティにするために、サステナブルなモノやサービスを社会に提供していく必要性が求められています。想像してください、コンビニに売っているものがすべてサステナブルなモノだったら、そんな社会が求められています。

でも忘れてはいけないのが、 SDGsステージの主役は一般市民の私たちであること。一人一人がサステナビリティアクションを普段生活から行うことが重要です。人それぞれ違いますが、皆さんの守備範囲でサステナビリティアクションを実践しなければなりません。その違う守備範囲がつながることで、私たちの社会全体でサステナビリティアクションを実施しましょう。二宮尊徳の言葉では、一円融合、そして報徳主義、これがサステナブルにつながる哲学です。

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2.水俣とSDGs

ジョニー・デップ制作/主演のMINAMATAが最近公開されたので、水俣関係者としてはぜひ見たい映画です。その公開日の前日に、水俣高校でオンライン講演をする機会がありました。その時の主テーマは「水俣とSDGs - すべてはここにある」です。水俣で学んだ経験、特に患者さんと一緒にお仕事させていただいたこと、その時肌で感じた患者さんの壮絶な人生とそこからのやわらかい思い、それは僕の人生観となっています。何か問題があった時、その思いを心に合わせることで全てが解決できます。その思いとは、「何があっても正直であれ、正直にまじめに」です。

三大地球危機の影響を受け、地球上に存在している約870万種の動植物のうち、約100万種が絶滅の恐れが出てきています。それもたった1種類のせいで...人間のせいで。唯一理性を持っているその一種類は、欲望を満たすために目の前の目的を常に求めてきた、そこで手にしたのが莫大な富、そして消費と生産が基盤となっている資本主義、オカネとモノと、モノとオカネと、ヨクボウがヨクボウを増大させていく社会、そこには何も失うものはない、と信じていました。でも徐々に破壊しているものがありました、それは母なる地球。地球の声は小さかったです、その小さいときに手を打つことができたらこんな状況にはならなかったでしょう。気が付いた時には既に遅し、でも人間の英知を、人間の本来あるべき姿、自然と一体化した人間社会、今で言うと自然と人工の力をフル活用して自然と一体化した人間社会へ活用したときに、地球規模課題は全て解決するでしょう。このための重要なキーワードは、もちろん、サステナビリティ。

2020年代はSDGs時代と言われています。過去起きてしまった地球環境問題を解決に向かわせるための重要なステージです。そのステージの主役は誰でしょうか?SDGsの旗振りをしている国連?政策提言やそれを実施している政府?社会にモノやサービスを提供している企業の皆さん?、ではありません。市民の皆さん一人一人です。世界共通語のSDGsを自分なりに解釈して、そして生活に溶け込ませて、一つ一つコツコツと生活をサステナブルにしていかなければなりません。

ここに一つのお話しがあります。むかしむかし、ある町では:

第二次世界大戦後、この街にも産業のさらなる急成長が続いていました。産業と技術革新の基盤を作り(SDG9)、働きがいも経済成長も徐々に手にしていました(SDG8)。しかし、気がついたら目の前の海がなんかおかしくなりました、残念ながら海に豊かさを破壊してしまったのです(逆SDG14 )。そして気がついたら深刻な健康被害も目のあたりにしました、最初は奇病と言われたその病気、原因不明、でもその恐怖は人々の間に広がり、患者さんの数も増えていきました。しかもそれは治らない病気...(逆SDG3)。しかも、原因不明の奇病から患者さんに対する間違った偏見が広まり、また、漁師さん等の自然と一体化に生きている人たち、しかし現金収入が限られている人たちに発病が多かったことから、患者さん家族は苦しい家計と戦わなければなりませんでした(逆SDG1)。この負のスパイラルは時間と共に広く、そして深くなり、その影響は街を産業推進派と健康・環境保護派と二分させるまでに拡大し、大きな社会問題に発展しました(逆SDG10)。ついには、 同じ街に住む人たちに間に大きな分断を生じさせました。そこには見られたくない事実を隠したり、曲げた情報を公式に使ったり。つまり逆SDG16不公正が曲がり通る社会に(逆SDG16)。そして、人々のつながりは完全に分断。 パートナーシップ、そんなのは要らない(逆SDG 17)。最終的に人々の正直な心は完全に押しつぶされてしまった。つまり、そもそもSDGのような考え方すらまったくない社会だった。

この街がどこだったかはお判りでしょう。この逆SDGsのスパイラルを止めて、再び人間らしさを取り戻したのは「何があっても正直であれ、正直にまじめに」です。自分自身の心にウソをつかず、相手を尊重し、自然を尊重し、自然の流れに乗って生かされていることを認識し、その道を外れずに、人間として生きていくこと、人として一番重要なことです。この人として一番重要なことを肌で感じ学ぶ大切な場所が水俣です。私も、水俣で生活した4年間の日々の生活に感謝です。そしてそれが人生の基盤となり、こうして国連職員として水俣条約や世界の環境問題に関する仕事ができることに感謝しています。

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3.プラスチックごみ問題は解決するのか? - 地球丸ごと1個で考えてみる

問題を起こしたら、責任をもってそれを解決しなければならない。身近なことではそんなの当たり前、問題が発生したという事は何か原因があり、その原因を突き止め、そこを改善していく、そしてその問題で迷惑をかけたのであれば謝罪しなければならない、人間社会の常識ですね。

でもそれがもっと大きい中の一部だったら?しかも今手にしている社会では、どう考えてもその問題を日々引き起こしており、しかもそれはほぼすべての人たちが同じだとしたら?まいっか、となってしまいませんか?

人間は生きている限り二酸化炭素を排出し続けます、呼吸という意味ではありません、生活そのものです。化石燃料がエネルギー源の社会構造が270年ほど続いてきました。その結果、ありとあらゆる地球の環境が”自然と”バランスを取ろうとして、過去の自然環境とはまるで違う環境になってしまいました。

その新たな問題としてここ数年社会が重要課題としているのが、プラスチック汚染。ストローが刺さった亀、漁網が絡まったイルカ、レジ袋を誤飲してしまった奈良の鹿、マイクロプラスチックを摂取している魚、など、衝撃的な映像がたくさん出ています。この問題も我々が解決していかなければなりません。

普段生活しているとプラスチックを見ない瞬間がないくらい、私たちの社会はプラスチックに依存しています。言い換えれば、プラスチックがなければ存在しないのが私たちが手にしているこの社会。プラスチックがない世界を想像できますか?イメージ的には...江戸時代以前の100%天然資源依存社会。

プラスチック問題とは誰のせいでしょか?製造者?使用者?廃棄物業者?リサイクル業者?国連?政府?悪いのは、それぞれの帽子を脱ぎ捨てた時の、私達一般市民です。使ったものをちゃんと捨てない、環境中にポイ捨てしない、この一言に集約されるのではないでしょうか?人間が使っているものは最終的にすべてごみになります。そのごみを責任もって100%環境負荷のないように最後まで取り扱う事、これができないから〇〇汚染、一例としてプラスチック汚染を引き起こしています。捨てる瞬間まで、あなたのプラスチックはあなたにとって”必要な製品”。捨てると決めた瞬間に”不要物”、捨てた瞬間に”プラスチック汚染”源となっているかもしれませんね。

そもそも環境問題とは何ですか?三大地球危機と言われる気候危機・自然危機・汚染危機はなんで起きたのでしょうか?プラスチック汚染はなんで発生したのでしょうか?環境問題の本質とは何でしょうか?

環境問題とは私たち人間の問題です。 地球上に住んでいる約870万もの種類のうち、理性を持っているのはたった1種類。我々人間です。 理性があるからこそ、常に前を向き、常に前進し、常に未来を見続け、そしてよりよい社会になるようにしてきたのが私たち人間です。でも今まで進んできた道は正解でしたか?資本主義を軸とした経済社会は正解だったかもしれません。でも環境的にはどうでしょうか?不正解だったでしょう。なんせ三大地球危機に直面していますので。その原因は?私たち人間です。

環境問題解決には、私たち人間の思考や考え方、習慣など、私たち人間が普通だと思っているこの生活を環境にやさしい、そして持続可能な社会にしなければなりません。そのためには、今私たちの思考をすべて変えなければなりません。

そもそも今私たちが解決すようと思っているプラスチック問題を含めたすべての地球環境問題、気候危機・自然危機・汚染危機は、本当に解決する問題ではなく、私たちの目の前に現れている副次的な問題です。本当に解決しなければならないのは、私たち自身。地球上に住んでいる動植物のうち、唯一理性の持った動物。その理性があるからこそ、ここまで経済社会・技術を発展させ、唯一無二の人間社会を作りあがてきました。

しかし、私たちは重要なことを置き去りにしていました。それは、地球上全ての動植物は、自然と共にあるべきである、という事。当たり前のことですが、人間社会ではそれをすっかり忘れ、人間の欲望を達成するために目の前の利益・目的をこなしてきたのが、私たち人間。日々、三大地球危機を肌で感じ取る、今を生きる私たちが、人間がど真ん中に置くべき自然と共に生きることを、次の年代に伝えていかなければなりません。

人間は英知があります。私は国連職員として、最新の科学データや政策・技術に基づき、様々な環境対策を実施していますが、そこから行きつく先は、実は孔子の論語に代表される哲学になります。中国の孔子や老子(無い自然)、西洋哲学者のカントやスピノザ、日本でも二宮尊徳や福沢諭吉、西郷隆盛も、言葉は違えど、みんな同じ軸を持っています。それが、自然と共に生きろ、です。という事はこれが人間の道であることには間違いありません。
 
プラスチックごみ問題を解決するために政策的・技術的な対策を取ることは重要です。でもそれだけでは、残念ながらプラスチックごみ問題もごみ問題も、そして三大地球危機も解決しません。本当に解決することとは、私たち自身なのです。人間は他の870万種の動植物と同じ、自然と共に生きるべき主なのです。
 
と言っても、ここまで動いてきた人間社会を基に戻すことは不可能でしょう。

環境問題とは、今日初めて明日解決するものでもありません。少なくとも約300年間かけて破壊し続けてきたち地球環境の事実を、人間の種としての過去の過ちを認め、自覚し、そして我々は今後世代を超えて、おそらく破壊した時間以上の時間軸で、人間の英知をさらに高度化させていき、人工ながらも人間と自然が同等に暮らす社会を作っていく事が必要です。

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