サントリーホール館長は、81歳現役の世界的チェリストです。
こんにちは、サントリーホールのトビラです。
サントリーホールの入口で、いつも両扉を広げて皆様をお迎えしている私トビラが、このホールにまつわるさまざまなエピソードをお伝えしていきます。
第1回は、われらが「館長」をご紹介したいと思います。
♪ やさしさと、情熱と、あふれるエネルギー
いつも静かな笑みをたたえた温厚な紳士。
「おはよう」「ありがとう」とスタッフ一人一人に丁寧に声をかける姿からは、包み込むようなやさしさがにじみ出ています。
ひとたび相棒のチェロを手にステージに上がれば、ものすごい熱量で音楽を奏で、聴く者の心を揺さぶる圧倒的存在。
それが、サントリーホール4代目館長、堤 剛(つつみ つよし)です。
御歳81。
8歳でリサイタルを開き、1963年にミュンヘン国際コンクール第2位、カザルス国際コンクール第1位と華々しいデビューを飾って以来、多くの名演によって世界的に知られる、現役チェリストです(もはやレジェンドですね)。
教育者でもあります。2007年サントリーホール館長に就任当時は、日本屈指の音楽教育機関、桐朋学園大学の学長でもあったんです(2004〜2013年)。さらに遡ると、10代でアメリカに留学して以来、母校インディアナ大学も含め北米の3つの大学で50数年間にわたり(半世紀以上!)教鞭をとりました。現在は、韓国国立芸術大学の音楽部門客員教授、並びに桐朋学園大学の特命教授です。
演奏活動に飛び回りながら、サントリーホール館長として、300人超のスタッフのトップに立ち、昼夜合わせて年間約600件ものコンサートが開催されるホールの方向性を、見据えていきます。
さらに、次世代の音楽家を育み、国際コンクールの審査員を務め、日本で最も伝統ある「霧島国際音楽祭」の音楽監督、さらには日本芸術院会員として活動し、全国各地の小中学校に出向いて生の音楽の魅力を届ける……
そのエネルギーは一体どこから? と聞きたくなりますが、ご本人は、
「まぁ、なんだかそんなことになってしまいましてね」
などと、静かに微笑みます。
♪ サントリーホール誕生の決定的瞬間を語る
堤館長とサントリーホールとの関係は、実は、サントリーホールが生まれる前から始まっていました。
1980年代当時、クラシック音楽のコンサート会場は、東京では主に東京文化会館やNHKホールなどで、コンサート専用に運営されているホールはひとつもありませんでした。
音楽文化をより豊かに発展させるためにも、オーケストラの響きを存分に味わえるコンサート専用ホールがほしい! そんな日本の音楽家・音楽ファンの夢を実現すべく、サントリー株式会社の佐治敬三社長(当時)が動き出します。
その際、新しいホールはどのようにあるべきか、演奏家の視点から一緒に考えてほしいと声をかけられたのが、世界で活躍するチェリスト堤 剛だったのです。
「演奏活動を始めた初期に、第2回鳥井音楽賞(現在のサントリー音楽賞)をいただいて、ご縁がありましたし、当時カナダで暮らし、北アメリカ、ヨーロッパで演奏活動をしていたので、佐治敬三一行が欧米の名だたるコンサートホールを視察する旅に、同行することになりました」。
1983年。佐治敬三、建築家の佐野正一、堤 剛らサントリーホールプロジェクトの視察は、ウィーンの楽友協会(ムジーク・フェライン)から始まり、次の訪問地ベルリンで、ホールの姿を決定づける大きな出来事があったといいます。
20世紀を代表する大指揮者、ヘルベルト・フォン・カラヤンとの出会いです。
世界最高峰のオーケストラ、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の終身常任指揮者であったカラヤンは、その本拠地として、フィルハーモニーというコンサートホールの設計に深く関わった経験から、日本の私企業が新たにつくるホールにも大変興味を持っていたそうです。
(まだ西ドイツと東ドイツに分断されていた1963年、”ベルリンの壁” にごく近い西ベルリンに、フィルハーモニーは建てられました)
「コンサートは舞台上の演奏家と聴衆が一体となってつくり出すものというカラヤン先生の信念から、フィルハーモニーはステージを中央に配置し、その周りを客席がぐるりと囲む “ヴィンヤード(ぶどう畑)形式” になっています。段々畑に太陽が降り注ぐように、段々に配された客席のどの場所にも等しく音楽が響く。そういったコンセプトをカラヤン先生から直接伺い、その一体感と豊かな響きをベルリン・フィルの演奏で体感。そして、サントリーホールも絶対にヴィンヤード形式にするべきだとカラヤン先生から強く勧められ、佐治敬三の心は決まったのです」。
決定的瞬間に立ち会った堤館長の、歴史的証言です。
ヴィンヤード形式のホールなど日本初の試みであり、さまざまな苦労と試行錯誤を経て、1986年10月12日 サントリーホール誕生。それから38年間、ここにはずっと音楽の時間が流れてきました。そしてその一部としてチェリスト堤 剛も、オープン以来1年も欠かすことなく、このサントリーホールで演奏を重ねてきたのです。
♪ 生きている、と感じられる場所
堤館長は言います。
「サントリーホールは、人が集まる広間です。たくさんの人がいて、すばらしい音楽が響いて、その時(とき)を皆で共有し、楽しんで、自分が生きているという証を感じられる場所。演奏している人も、聴いている人も、ホールも生きていて、新しい何かを一緒に創り出していける期待感や、人生の生き生きとした側面を感じられるのです」。
ステージも客席も、木がふんだんに使われた空間に、楽器の音や肉声が発せられ、人と音楽とホールが響きあうのですね!
「ホールそのものが大きな楽器なのです」。
「チェロやヴァイオリンなど木の弦楽器も、上手な人が弾いていると楽器がどんどん良く鳴るし、そうでもない人が弾いているとだんだん鳴らなくなってしまうんです。サントリーホールでは世界の一流のオーケストラやソリストが演奏してくださっているので、ホールも楽しんで聴いてくれているんじゃないかな。すばらしい音が鳴っている時、ふと、ホールも一緒に呼吸したり歌ったり、共鳴しているような感じを受けます。これは、他のホールとちょっと違うところですね」。
♪ 新しい世界を切り拓いていくのが生き甲斐
「Classic(クラシック)という言葉には、“ 特別な ” とか “一流の ”という意味があり、後世まで残っていく音楽を指します。15世紀ぐらいからの古典と、21世紀の現代音楽が同時に存在しているのが、クラシック音楽の世界。そして、皆で音楽の今をシェアし、一緒に歴史を刻み上げていく場が、サントリーホールだと思っています。音楽の可能性を広く探り、将来に対する希望さえ共有できるのです」。
堤館長自身、世界中で一流の演奏家たちと共演する中で、演奏される機会の少ない邦人作品を広く知らしめ、数多くの世界初演にチャレンジしてきたチェリストとしても知られます(1987年のサントリーホール オープニング・シリーズ 堤 剛リサイタルでは、世界初演3作品を演奏する快挙を成しました)。
その姿勢は今も変わりません。昨年の80歳記念リサイタルでは、気鋭の作曲家・権代敦彦が堤 剛のために書き下ろした「無伴奏チェロのための“Z”ゼータ」を世界初演。超難曲だそうですが、チェロと一体化した渾身の演奏で、大ホールを沸かせました。
「チェロという楽器には未知の表現の可能性がまだまだあると思いますし、私自身の可能性もまだ追求できると信じています」。
実はこの作品、館長の奥様からのバースデー・プレゼントとして委嘱されたそうです。(委嘱=作曲家にオファーし作品を書いてもらうこと)
「いやいや、まあそれはその……」と急に口をもごもごさせる館長(笑)
穏やかな笑みを満面に浮かべながらも、
「何か新しい世界を切り拓いていくのが私の趣味というか、生き甲斐なんですね」
と、キッパリ。
♪ 未来に向かう風を吹かせたい
毎年6月にブルーローズ(小ホール)で開催される 「サントリーホール チェンバーミュージック・ガーデン(CMG)」も、「室内楽(チェンバーミュージック)の面白さ、多彩な響き、奥深さを、多くの方々に味わっていただきたい」と、堤館長就任後に、世界でも類のない試みとして始まりました。
2週間にわたって国内外のトッププレイヤーが集い、室内楽の喜びを分かち合う “庭”。毎年そのオープニングを飾るのが、名物企画「堤 剛プロデュース」です。
「普段のリサイタルではなかなかできない特別なプログラムにチャレンジできる、とてもラッキーな場で、いつもワクワクします。さまざまな作品、共演者と出会え、新たな発見があり、世界が広がります」。
この室内楽の庭(CMG)では、堤館長がディレクターを務めるサントリーホール室内楽アカデミーの受講生たちも、学んできたハーモニーの妙を披露します。
「自らの可能性に挑戦し、よりすばらしいものを創ろうと切磋琢磨する若い音楽家たちが、演奏家として世界に羽ばたいていく準備の場」を、堤館長は同じ音楽家として共にし、彼らが大輪の花を咲かせる過程を見守り続けてもいるのです。
堤 剛の原点には、二人の偉大なる師の存在があると言います。
一人は、戦後の荒廃した日本から世界レベルの音楽家を育てることに身を捧げた教育者でチェリストの齋藤秀雄。小澤征爾をはじめ世界的音楽家を幾人も輩出した、齋藤門下で、小学生の頃から指導を受けました。
もう一人は、19歳からアメリカで師事したヤーノシュ・シュタルケル。
「当時すでに世界的なトップチェリストとして活躍されていたシュタルケル先生ですが、演奏することと教えることは自分にとって欠かせない、車の両輪みたいなものだとおっしゃり、生涯、真摯に教えてくださいました」。
「私も二人の先生のようにあらねばと思いますし、私にとって教えることは何か特別なことではなく、とても自然に身の中に入っているように思います。同時に、日本に戻る時にシュタルケル先生がただ一言、"Don't forget you are a cellist." とおっしゃってくださったことが、私の中に染み付いていて、今も演奏家としていられるのだと思います」。
「未来に向かう風を吹かせたい」と語る音楽家、堤館長の熱い想い、届いたでしょうか? ぜひ、サントリーホールでその想いを体感していただけたら、うれしいです。トビラもお待ちしています!
あ、最後にこっそり。堤館長、子どもの頃からかなりな鉄道マニアのようでして、「今でも一番うれしいのは、汽車に乗って窓から外を眺めながらお弁当を食べること」なんだそうですよ。
はじめましてのご挨拶、"ようこそ、「サントリーホールのHibiki」へ。” はこちらからご覧ください!