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ロバート キャンベルさんのコンサート時間  第一回「ニューイヤー・コンサート2025」の祝祭的時間

クラシック音楽を愛する文学者ロバート キャンベルさんにコンサートで過ごす時間について語っていただく連載の第一回目。
2025年の元旦、サントリーホールに出かけたキャンベルさんが過ごしたひとときとは。


ロバート キャンベルさん
日本文学研究者。ニューヨーク生まれ。早稲田大学特命教授、
同大学国際文学館(村上春樹ライブラリー)顧問をつとめるほか、著書多数。

新年ならではの祝祭的時間

2025年の元旦は、サントリーホールで行われた、ウィーン・フォルクスオーパー交響楽団のニューイヤー・コンサートに出かけていきました。
コンサートは14時スタートだったのですが、早めに到着してみると、ホワイエの左手にあるブルーローズ(小ホール)でプレ・コンサートが行われていました。本番を控えた楽団のメンバーが演奏しており、人々が飲み物を片手に楽しんでいました。私もシャンパンを注文し、ウィーン・フォルクスオーパーのアンサンブルを楽しみました。
本番前なのに、奏者の方々は愉しげなやわらかな表情で、管楽器の美しい音がブルーローズの空間を心地よく満たしていました。人々も演奏を見つめるでもなく、周囲の人たちと軽い会釈や微笑みを交わしながら、お酒やコーヒーを味わい、ゆったりとひとときを楽しんでいる。新しい年を祝う共通した思い、一体感がそこにあり、まさに祝祭的でした。

開演前にブルーローズ(小ホール)で行われたプレ・コンサート

心にくいほど考えられたプログラム

実はニューイヤー・コンサートという言葉に、心のどこかで、おなじみの曲が並んだ年中行事的な、挑発的なところのない大味なコンサートなのでは、と予想していました。しかし、その予想は見事に裏切られました。
最初から最後まで、大きな船に乗って気持ちよく揺れるように過ごしたのですが、そこにはさまざまな展開があり、きびきびとした緩急があって、よく考えられた構成だったのは、うれしい驚きでした。
最初はウィーンの年末の定番である『こうもり』の序曲で始まり、前半は口ずさめるようなウィンナワルツやヨハン・シュトラウスⅡ世 生誕200年らしいシュトラウスの曲が続きました。国威発揚としてつくられ、皇帝臨席で初演された「皇帝円舞曲」の力強い演奏もありました。

華やかにしつらえられた大ホールの舞台で。ウィーン・フォルクスオーパー交響楽団による
ヨハン・シュトラウスⅡ世 生誕200年記念特別プログラム

休憩をはさんで、後半の1曲目はホリクが編曲した「一月一日~ヨハン・シュトラウス風」。私は初めて聴いたのですが、唱歌「一月一日(年のはじめのためしとて)」の旋律が現れてきて、あっと思いました。「一月一日」は1892(明治25)年に稲垣千穎の作詞で発表された歌です。明治時代は西洋的な音楽に歌人や国学者による伝統的な日本語をのせた曲が多くつくられ、情操教育として第二次大戦中まで学校で歌われていました。「一月一日」もそうした曲のひとつですが、それをもう一度、ホリクという現在も生きている作曲家が引用しながら新しい曲にし、元旦に演奏されるというのは、ウィーン・フォルクスオーパーから日本の聴衆へのすばらしい贈り物だなと感じました。
この後、またウィンナワルツが続くのかな…と思ったら、次の曲はレハールのオペレッタ『ほほえみの国』から「君は私の心のすべて」でした。オペレッタはハプスブルク家の時代の最期の頃に一世風靡した芸術で、レハールはハンガリー=オーストリア帝国の終末期にハンガリーで生まれた作曲家です。『ほほえみの国』はこの時代のウィーンの社交界、最後の貴族的文化の爛熟を感じられる作品です。初演されたのは1929年、世界恐慌が始まった年でした。オペレッタは途中いろいろあってもハッピーエンドというのがお決まりのなかで、『ほほえみの国』は初めての悲劇的結末のオペレッタ。ハプスブルク帝国の衰退とも重なるこの曲を、テノールのズザボル・ブリックナーさんが甘く切なく、ゆたかに歌いきっていて感動しました。

「君は私の心のすべて」を歌うズザボル・ブリックナー(テノール)

「トリッチ・トラッチ・ポルカ」というスラブ文化を感じさせる短い曲をはさんで、再びレハールのオペレッタ『ジュディッタ』から「私の唇 それは情熱な口づけをするため」。ヨーロッパ諸国が北アフリカに進出していた時代で、このオペレッタはスペインとモロッコを舞台にしています。エキゾチックな色彩の名曲で、ソプラノのシピーウェ・マッケンジーさんが全身スワロフスキーのクリスタルを配したような華麗なドレスで登場し、エモーショナルな曲を見事に歌いあげました。途中でフラメンコの踊りを見せたりもしました。音楽が包括する時代性を感じて、ニューイヤー・コンサートという言葉からは予期していなかった刺激的な展開でした。

シピーウェ・マッケンジー(ソプラノ)とズザボル・ブリックナー(テノール)は
歌声に加えて踊りも披露

エンターテイナー、指揮者アレクサンダー・ジョエル

指揮者であるアレクサンダー・ジョエルさんがハプスブルク王朝末期の爛熟した雰囲気や20世紀はじめの時代について深く理解しているからこそ、このコンサートがすばらしいものになったのだと思います。
彼の指揮した演奏をDVDやストリーミングで聴いたことはこれまで何度もありましたが、生で聴くのははじめてで、楽しみにしていました。開演直前に隣の席の方から「彼はビリー・ジョエルの弟さんだよ」と耳打ちされてびっくりしましたが、たしかにビリー・ジョエル同様、パフォーマー、エンターテイナーとして長けた方なのだと思いました。

オーケストラから豊かな色彩の音色を引き出していた、指揮者のアレクサンダー・ジョエル

ジョエルさんはオーケストラの能力を知り尽くしていて、さまざまな音色を引き出していました。たとえば、最後の曲は、誰もが期待している「美しく青きドナウ」だったのですが、最初はまるで虫の羽音のように軽やかに小さな音で始まって、徐々に、とてもソフトに音を起こしていき、ドナウの流れが出来上がる。魅入られました。ヴァイオリンパートの、ストロークが正確に揃った、しゃりっとした音のエフェクトもすばらしかった。最後に指揮台から振り返って、客席に向かって「あけましておめでとうございます!」と言ったのも、楽しいパフォーマンスでしたね。みんなが笑顔になり、ひとつの時間、空間をともにしている歓びがあふれました。

「美しく青きドナウ」で披露された、バレエ・アンサンブルSOVOPウィーンによる舞いが
祝祭的コンサートに華やかさを添えます
「あけましておめでとうございます!!」

コンサートの”効果”

実はコンサート中、ほとんど目を閉じて聴いています。それはできるだけ自分を音楽のなかに沈めるというか、一体化したいという気持ちからです。文楽など見に行ったときも半分ぐらいは目を閉じて義太夫の語りを聞いているのですが、音楽は言葉ではないので、より没入しやすいですね。目を閉じて、演奏を聴いている間、頭の中にはさまざまなものが見えています。
そうすると、不思議にも翌日からの仕事にすごく吸い着きがよくなるというか、集中力や創造力が戻る感じがします。表現する仕事の起爆剤になることもあります。
曲を記憶することは苦手で翌日メロディーを口ずさんだりすることはできないのですが、なにか確実に養分になっているようです。音楽は言葉という論理を経ないぶん、身体性が高いのかもしれません。2月から3月は本を書くことに集中して一気呵成にやろうと思っているのですが、ニューイヤー・コンサートはその仕事に集中する起爆の効果をくれたみたいです。

「生で聴く」「一緒に聴く」ことの醍醐味

コロナの時期、コンサートが行われなくて、1年半ぐらい生で音楽を聴けませんでした。2021年に若いアーティストに演奏の機会をつくる目的で行われた「クラシック・キャラバン」というのがあり、そのアンバサダーをさせていただきました。コロナ禍ゆえのさまざまなルールを設け、いろんな工夫をしてどうにか演奏会を実現できました。
いざその演奏会で生の音楽を聴いたとき、音楽が身体に染み入ってきて、まるですごく喉が渇いてがぶがぶ水を飲んでいるような感覚を覚えました。ほんとうに喉の渇きというにふさわしい、生理的な渇望感があったことをあらためて感じたのです。
私の場合、日常的に音楽に包まれているわけではありません。無音の中でしか仕事はできないし、コンサートも2カ月に1、2回の頻度でしか行っていませんでした。日々必要不可欠なものではなく、周縁的な存在なのだけど、そぎ落とされてしまったら、乾いてカチカチの日々になってしまうのだということを、実感しました。

コンサートのもうひとつの特徴は「他の人と一緒に聴く」ことですが、その幸せにもあらためて気づきました。以前はコンサートで近くの人が咳き込んだり、袋をがさがさ開けたりという音が気になっていました。でも、ひさびさのコンサートでは、そうしたことさえ、愛しく感じたのです。そしてコンサート前のアナウンスがあり、いよいよ始まるぞ、という一体感が生まれる。いよいよ演奏が始まり、ステージに向かってみんなで音楽を聴いているときは、まるで海の中の海藻のよう。寄せてくる波に身を任せ、揃ってゆらぐワカメです。演奏家と一対一で音楽を聴くことはこのうえなく贅沢なことだろうけれども、みんなでともにワカメのように音楽にたゆたうことも、このうえなくすてきなことだと思います。

客席とステージが一体となって、新年を祝いました 

公演写真撮影:池上直哉

ロバート キャンベルさんが体験したコンサートはこちら
キユーピー スペシャル
サントリーホール ニューイヤー・コンサート 2025
ウィーン・フォルクスオーパー交響楽団
2025年1月1日(水・祝) 14:00開演(13:00開場)