実際年齢と実感年齢(2020年4月)
私は現在一九歳で、約半年後には二十歳になる。その実感はありますか、と問われれば、情けないながらも、無い。
数年前までは、むしろ実際年齢≪実感年齢だった。小学生のころから、自分は周りの子より老成している感じがあったし(ついでにいうと身長も高かったし、老け顔なのか、外見からも相当上に見られた)、中高では友達や先生にまで「人生三回目くらいなの?」と言われた。なぜこんなにフレッシュさに欠けるかと我ながら悩んだ。
しかし高校三年生の十月に一八歳になったとき「え、私心の中ではまだ一八歳じゃないんだけど」と初めて、かすかに実際年齢≫実感年齢に思った。いつのまに不等号がひっくり返ってしまったのだろうか。これはたぶん、受験生活という比較的波の無い一年を過ごしたために、自分が成長したいう確かな手ごたえを感じることのないまま一つ齢が増えてしまったことに因るのだろうと思う。もちろん受験生活にもドラマはあるし、一〇月までは学校もあったわけで、真っ平な一年ではなかった。けれども、規則正しい寝食と勉強のリズムを崩さないことを意識していた当時の私の日々は、毎日が同じことの繰り返しだった。それにその時点ではまだ何の合格も手にしていないわけで、その日々の努力の成果も何ら形になっていない。極論を言えば受験勉強を始めたその日から自分は何も変わっていない、何の記録も更新していない気がする、そんななかで突然ある日一八歳だねおめでとう、と言われても実感が湧かないのも仕方ない。
しかし私はこの不等号の逆転は、良くないことだと思った。なにしろそこにある理屈は、典型的井戸端会議オバサン達のものと同質のものだからだ。十八歳になった私の「いやいや私はまだ十七歳の気分」というのは、延長すればオバサンの「あら私は永遠のハタチよ、おほほ」。一緒ではないか。こう気づいた私はぞっとすると同時に、「私は心と体の年齢が一致しているし、去年よりも一つ年を取った今の自分が好き」そういう人になりたいなと思うようになった。だって「二十二歳のころの自分が一番輝いてた…もう一生あの頃の自分でいたいわ」なんて恥ずかしいではないか。
されば今はどうか、と言われると両辺が十九歳の等式が成り立っている感じがする。十八歳の時に実感年齢が若干実際年齢に後れを取ったものの、予想外に波乱のあった受験生活と、新しい刺激にツンツンされつくした大学一年間を通して、また追いついたのだと思う。しかしあと半年で社会的にも完全に「大人」とみなされる二十歳に、両方の面でなれるだろうか…。急いでもう少し自分を磨いておいた方がよさそうである。