IV 皇帝

 最近、メンタルがやられると占いに頼るようになってしまった。不安定で不確かなものに頼るのはさらに自分を追い込むことになると分かっているのに。


 恋をした相手は身長175センチ細身のアルパカのような目元の人で、見た目は私好みだった。いわゆるイケメンではないが、それこそまさに"ちょうどいい"といった具合で、一目会った瞬間に「私はこの人をすきになるだろうな」と思った。しかし私もそこそこ生きてきて、この相手が"遊び相手"を求めていることも分かっていた。


それなのに、だ。

実に情けない。

会えば優しく穏やかで冗談も言い合えて一緒にいる空気がたまらなくよかった。

そして"相性"がよかった。

自分が足先からズブズブと沈んでいくのを感じながら、「抗ったらさらに沈むのでこのまま流れに身を任せよう」と、沼ではなく春の小川にいるように思わせた。

彼の言う「かわいい」「好き」という言葉はきっちり跳ね返してきたが、この人の持っているこの人の時間に私はこころを奪われていた。
ゆっくりと穏やかにそれでいて彼はその時間をコントロールしながら生きているように感じた。
自分のやりたいことにまっすぐで大きな覚悟を決めて進んでいるにも関わらず、嫌な熱量がないのだ。
胸の中には燃えたぎる炎があるのに、この人はそれをあまり見せないで落ち着いた焚き火のように思わせてくる。
だから、一緒にいると、ぽかぽかとあたたかいのだ。

この人の持つ空気がすきだ。


でもこの人の女慣れは異常なほどで、扱いが甚だうまいのだ。
案の定私も餌食にされた。さらさらと春の小川を流れるつもりが、蟻地獄にゆっくりと身を預けていたのだ。


ただ私も私でこの体と心で三十余年生きてきた。これは恋であるが、また依存でもあることを知っている。
その依存だって抜け出す方法も知っている。

ただ一つ、「切る」ことだ。

毎夜毎夜寂しくなる。彼の声もその大きな手も優しく丸い声もあつい腰も、愛おしくなる。
その僅かな欲望に耐えるだけだ。
簡単なことだ。

その簡単なことが、本当は一番難しいことも私はよく知っている。

私が向かうべきは、彼ではなく、私自身なのだ。


自己肯定感の低い私はいつも依存する。私を受け入れてくれた人に全てを預けてしまう。それは私の弱さだ。


そんな中、私は私をほんの少し認められた。

ある人に溢した、彼との関係や彼への気持ちをその人はじっと聞いて私に言った。
「君は頭の回転が早くて、危機回避能力が高い。だから考えすぎてしまう。ただ未来を予測するなんて無意味だ。今自分がどうしたいかで決めろ。君はきちんと丁寧に言葉を選んで伝えられる人だ。だから大丈夫。当たって砕けても君は大丈夫。」

私は私の持つ優しさは自分を守る盾で本当は優しさなんかじゃないと思っていたし、選ぶ言葉だって相手に嫌われるのが怖いから顔色を窺っているだけだ。
それでもそれはそれでいいのだと思えた。

自分を肯定するのは難しい。
否定の言葉ばかりが頭に浮かぶ。
けれど、すきな人にはいつもまるくて温かい言葉を送れる。
それならきっと自分にだってそういう言葉を送れるんじゃないだろうか。

まるっと肯定するなんて無理だ。
だって私には何もないから。じゃあ何かがあればいいんじゃないのか。
エビデンスをいつも求める私だから、私が私を認めるに値するエビデンスを持ってくればいいだけのこと。

テレビの中の人が言っていた言葉がふと過ぎる。
「見た目は自分じゃ選べないから自信にはならない。けど、自分で選んで努力して得たことは自信になる」

私にないものは「自分で努力しでに入れた」という事実だ。
その事実があればそれは私の自信になるのだ。


また一つ恋が終わる。
一つ恋を終える度、何かを糧にしなければ勿体無い。
今回得たものは今はまだ分からないけれど、私の奥の奥のほうで何かに気づいたと思う。そうであってほしい。

私は大丈夫。
今日もまたよくきれいに晴れたし。
ロングコートチワワがほほえむ私に向かって吠えてうなったけど、私は大丈夫。

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