ダウ90000『旅館じゃないんだからさ』の旅館の部分
黒豆茶を飲むたびに、思い出す旅館がある。
ダウ90000第6回演劇公演『旅館じゃないんだからさ』の千秋楽を観た。ちょうど三年前の同じ季節に、渋谷ユーロライブで上演されていた作品の再演。うれしいことに、今回は大阪で。最近になってダウ90000を追い出した大阪人の私からしたら、またとない機会だった。
半年前にコント単独の『30000』を下北の本多劇場で観て、配信でも観て、友人にも観させて。ダウ90000の「コント」のおもしろさはもう体に染み込んでいたが、「演劇」の方は未摂取。そもそもミュージカルではない演劇自体になじみがなく、周りに演劇好きもいなかったので一人で行くことになった。ただ、緊張はしたものの、一人でも観に行ってよかったと思えるすばらしい公演だった。
『旅館じゃないんだからさ』は、閑散とした某レンタルビデオショップで繰り広げられる、平成ノスタルジック恋愛群像コメディだ。
演劇公演ということで身構えていったのだが、いざ始まってみると客席は爆笑に次ぐ爆笑で、もちろん私も腹を抱えて爆笑。めちゃくちゃおもしろかった。肩に力の入っていない軽妙な会話がずっとおもしろく、その間にパンチの強いフレーズも入り、後半では積み上がってきた展開と登場人物の感情が爆発していく。演劇とコントの境界はわからないけど、コントが好きな人なら間違いなく楽しめる「演劇」だったと思う。
110分間の演劇のなかには、おもしろいだけではなく沁みる部分もあった。「つまんない映画って最近観れないし」「言葉の表面の意味しか見えてない」「映画はあくまで口実」「カードの中の小さい俺が、まだ同棲してる」。どれも、知っている言葉だった。ただ、こういう染みる部分も結局はおもしろさの一部のようにも思えてきて、そうなると自ずと感想もおもしろいに集約されていくような気がした。
これは、あくまで私の個人的で勝手な憶測として。『旅館じゃないんだからさ』は、時間の経過で更新されるものと、更新されずに残るものの話のように思えた。住所が変わった元カノは会員カードを更新する。元カレと観た映画の記憶を今カレが更新させようとする。レンタルビデオショップは衰退してサブスクへと更新されていく。
一方で、他のなにかとくっついているものは、そのくっついたものがある限り残り続ける。毎年咲く花とくっついた元カノ。映画のDVDとくっついた同棲生活。この時、くっついたものは「もの」であることに意味がある。そのリアリティが、手触りが、過去の思い出を連れてきてくれる。脚本を書いた蓮見翔には、きっと、レンタルのDVDにくっついたものがいっぱいあるのだと思う。
『旅館じゃないんだからさ』というタイトルは、最後までよくわからなかった。場面はレンタルビデオショップから旅館に変わることはなく、セリフでも「旅館」は一度も出てきていない。セットの中に旅館が舞台の映画があったのかもしれないが、そんなことはどうでもいい。
考えられる「旅館」はいくつかあった。亜子がレンタルビデオの泊数について「泊まって観ていかなきゃいけないんですか?」と言ったところ。延長コードのスイッチを入れるとUFOキャッチャーのBGMが鳴り出すところ。栗原が持ってきたコーヒートラベルの延滞料金が77,550円だったところ。片山と塚田が消灯後のレンタルビデオ店で信玄餅を食べながらDVDプレイヤーの光に照らされているところ。
ただ、もう少し引いて見るといろんなものが「旅館」に思えてくる。言葉の表面しか見えていない片山と目には見えない温泉の効能。昔は便利な場所だったのにノスタルジーを感じさせる場所になったレンタルビデオショップ。
最近読んだ三浦哲哉の『LAフードダイアリー』という本のなかで、谷崎潤一郎の『陰翳礼讃』について書かれていた部分があったので、少し引用する。
もちろん、全然違う解釈の可能性もある。というか、全然違うと思う。私にとっての旅館は黒豆茶の香りで、しかも私が旅館だと思っていたところは、ちゃんと調べてみると和室の豪華ホテルだった。旅館の認識も、旅館とくっついたものも違うので、違ってあたりまえだ。蓮見翔のなかでは、エピソード込みでレンタルビデオショップと旅館がくっついているのだろう。
公演が始まる前、斜め前の席に座る人のスマホに映るモンストが目に入った。今時モンストなんて珍しいなと思って、公演後もずっと頭に残っていた。もしかしたら、今後モンストを見かけるたびに『旅館じゃないんだからさ』を思い出すかもしれない。モンストを見かけることなんてこの先なかったとしても、私のなかでモンストは英単語帳とくっついているので、書店に行けば『旅館じゃないんだからさ』を思い出すことができる。書店がある限りは。
追記:ダウ90000『旅館じゃないんだからさ』の配信が開始されました。少しでも興味を持った方、あるいは劇場で観たけどもう一回という方もぜひ。
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