前提を共有して代案を出せ。

定期テストのシーズンが来る。テストを作成する期間に入ると、国語科の同僚から問題についての相談を受ける。

いまの所属校の同僚たちは、優秀な方たちばかりだ。だから、基本的には最終確認だけで足りる。しかし、その優秀な方たちが、不安に思う問題だから、相談していらっしゃるのだ。当然、私は真剣に考える。何が不安なのだろうか。どこが微妙だと思っているのだろうか。考えながら問題を読む。

すると、確かに〈問題〉がある問題になっている。例えば、何を答えるかが明確でなく、答えに意図しない幅が生まれそうな問題である。あるいは、一見よさそうだが、何を答えればいいのかがよくよく考えると判然としない問題である。作問者は、このような〈問題〉をうまく言語化できない。しかし、感覚的に、なにかうまくいっていないと感じている。

こういうとき、必ず代案を出す。「どうすればいいんですかねえ……」などと濁すことはしない。いい案が浮かばないときでも、なにか捻り出す。

安易に「この問題出すのはやめません?」などと聞かない。作問者は、意図があって、その問題を出そうとしているのである。私としては、できる限り作問者の意図を汲んで、その意図が正しく伝わるように問題を修正する提案をしたい。

また、その問題が、素材の文章に関する問いとして適切かどうかもほとんど考えない。「この文章ならこれは聞くべきだ」とか、逆に「この文章でこれを聞くのはおかしい」とか、そんななんの根拠もない言いがかりはつけない。つまり、前提を崩さないようにするのである。作問者はなにをしたいのかを考え、それを尊重する。

これは当然のことだと思ってきた。しかし当然ではないのかもしれない。

授業も同じである。なにかと自分の授業観を押し付ける人がいる。授業者がどういうつもりでその授業を考えているかを考慮しない人がいる。ただひたすら、自分の授業について(つまり自分がやりたいこと、自分ができることについて)喋っているだけの人がいる。

もちろん前提が疑わしいことはある。しかし、それならば、なぜその前提が疑わしいのかを明確に説明すべきである。なぜその前提ではなく、別の前提を採用すべきかを説明できるべきである。

前提が共有できない(するつもりでない)なら、何を言うべきではないのである。

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