北陸道5 富山宿→高岡宿
2024.08.25
1.スタート地点まで
歴代最強クラスと呼ばれた台風10号サンサンが列島に接近中、スケジュールがどうなることやら。
とはいえ台風は1日中風が吹くわけではなく、ピークは2時間くらいなので、予定は変えず間際まで風速と降水予想を見ながら進みます。
台風の街道歩きと言えば、2022年の夏に三国街道を歩いてる時に。台風14号、カテゴリー4のスーパー・タイフーン"ナンマドル"が列島を直撃しました。
その時は越後湯沢駅の待合室に避難し、新潟市上空を台風が通過するのを2時間くらい待ち、小雨の中を歩き始めました。
1番怖いなと感じたのは川の増水、かなりの勢いで濁流が流れており、いざ現場にいると何もできなくなる気がしました。
今回の街道歩きで台風が直撃した場合は、増水しそうな川の近くだけは近づかない様にします。
台風の中、三国街道を歩いた時の記録はこちら↓
スタート地点の富山まで、大宮駅での乗り換え1回で行けます、便利ですね。
昨夜テレビで熱中症特集をやっており、深部体温を下げる事について触れていました。
身体の表面だけを下げていて安心しては行けない様です。これは行軍に出る私に対する、街道の神様からの警告に違いありません。
水分塩分補給以外で、街道を歩きながら出来そうな深部体温を下げる主な方法は次の二つ。
1は知りませんでしたので、心掛けて歩きます。
あっという間に最寄りの、さいたま市与野駅から富山駅に着きました。
所要2時間2分、通勤より短かったです。
2.富山宿
富山駅に着きました。
富山市の町並みは前回歩いたので、本日は街道から外れますが、駅の反対側の環水公園に行ってみました。
LOVEARS。
こちらの像は、富山県出身の彫刻家 吉野美奈子さんの作品。
私の前職の同僚で、2000年にアーティストになるために、退職して単身ニューヨークに。
ニューヨークでいくつかの作品を残しながら、イタリアのカラーラ産の大理石を使った彫刻を、イタリアに数ヶ月滞在し現地で人を雇いチームで彫り、日本に船で運び設置しました。
文章で書くと短いですが、彫刻をやった事がないOL10年目の社員が単身渡米して、故郷にこれだけの作品を建てる、努力と夢に向かう力がないとできません。
LOVERSは富山駅北口ロータリー前にいます。
富山駅の真下に富山地方鉄道富山軌道線の駅があります。
路面電車のホームの奥は新幹線改札口。この様な構造の駅は日本でも他に類がないような気がします。
神通橋を渡り、富山市の中心地から外れて行きます。
3.神通川
全ては撮影はしきれてませんが、街のあちらこちらに地蔵堂があります。
京都みたいですね。
マンホールのデザインよく見ると、神通川架かっていた舟橋のイラスト。
水の都富山らしいマンホールです。
きれいな地層堂です。
ご近所の方がお水をお供えしてました。
4.追分茶屋
追分茶屋。
北陸道が通った後に高岡の街ができたため、高岡に向かう道を整備するために出来た追分。
今回は高岡の街に寄りたいので、追分を右に曲がります。
急に辺り一面が梨畑に変わってきます。
梨といえば収穫しやすい様に、枝を低く整枝している印象が強いのですが、所々で自然に伸びた梨の木が見受けられました。どんな味なのか気になります。
呉羽タクシー。
上の画像以外の車含め、残りの車3台くらいのナンバーも908でした。
明治天皇願海寺御小休所。
旧道がこの先線路があり寸断され行き止まりになってます。
広い敷地に建つ立派な旧家なのですが、もう人の気配がなく、一抹の寂しさを感じてしまいました。
この付近は区画整理されており街道の面影が全くありません。
こんな時は適当に歩きます。
5.小杉宿
黒光りしてかなり濃厚な醤油味、見事なまでの富山ブラックでした。
上の画像の美しく繊細な造りの竹を使った塀、ここまで来ると芸術です。
北陸道は富山市内を通らずに、海側の岩瀬浜を通るルートがありました。道標を読み込むと、ここがその追分だと思われます。
道幅が急激に狭くなってきました。
往時の道幅に限りなく近く、見ているだけで興奮してきて、さらに桝形まで登場すると、失神しそうになります。
伊勢神宮の鳥居。
式年遷宮で譲与された御用材を用いて作られた鳥居です。
代々引き継がれてきた、伊勢神宮年遷宮リサイクルですね。
伊勢神宮からこんなに離れた場所にも遥拝所があるのですね。神聖な空気が張り詰めています。
ちなみに伊勢神宮の正式名称は神宮です。
6.鏝絵
竹内源造記念館。
鏝絵という左官職人が創り出す、壁面芸術。記念館では様々な作品を身近に見る事ができます。
竹内源造の作品に感動した後は、街のあちこちに飾られた鏝絵を楽しみながら街道を進みます。
街のあちこちに鏝絵がありました。
額縁に入ってましたが、魅せ方をもっと工夫したら魅力が倍増すると思います。
7.大門
盤持石。
若者が担ぎ上げる事で一人前と認められる目安となっていた石。
一つ二つは時々見るのですが、七つも揃って残っている場所は極めて珍しいです。
北アルプス連峰がいつの間にか、後ろに見えるようになってきました。
街道歩いていると、自然と山が道標になります。
その山を目指して歩いていると、いつの間にか後ろになってる時があり、歩いた満足感を実感できるわかりやすい瞬間です。
和菓子屋が軒を連ねています。
街道歩きの法則、寺が多いと和菓子屋が多い。
この付近の地名が大門なのでおそらく寺町、街道歩きは面白いですね。
突然、銅板壁の家が建ち並ぶ一角に入ってきました。これはびっくりです。
隣の高岡市が銅器で有名なので、その影響かも知れません。
高岡銅器のルーツは、江戸時代初期に加賀前田家が、高岡に七人の鋳物師を呼び寄せたこと言われてます。
屋根瓦の色だったり鏝絵の壁だったり、時速4kmで街道を歩いていると、ちょっとした建物の変化も楽しむが出来ます。
橋の欄干には大門曳山祭りのモニュメントが飾られています。
大門大橋を渡ったら射水市から高岡市に入ると思いますが、渡ってすぐの琵琶首地区は射水市の飛び地。
旧琵琶首村は、読売新聞社経営者・読売巨人軍初代オーナー・日本テレビ創立者の正力松太郎生誕の地でもあります。
10月の大門曳山祭りでは、琵琶首地区の曳山が大門大橋を渡るそうです。
川を渡る曳山、見てみたいですね。
8.高岡宿
定塚神社拝殿前の三角形の屋根、雪除けにしては中途半端な気がします。
謎です。
夜のパトロールに出発。
高岡駅前には、ビジネスホテルがいくつも立ち並び、商業都市としての繁栄ぶりが感じられます。
日曜日なので、飲食店はほぼ閉まってますが、夜のお店が多いですね。
入った店はものすごく賑わってました。終始ほぼ満席。
従業員さんのてきぱきとした動きも素晴らしく、人気的な理由がわかります。
あと4日連続で歩くので、初日の夜はほどほどにして切り上げます。
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