
三国街道7 六日町宿→堀之内宿
北関東で育ち・育てられ、越後が大好きな自分が三国街道の事を知らなすぎたので、雪が降る前に山を越え、日本海を目指します。
2022.09.21
1.六日町宿









舟で物資を運んでいた場所の石垣が、復元されてます。
昨夜、宿の女将さんが説明してくださった江戸時代の献立は、舟運の関係者が米を運ぶ前の晩に食べた時のものと語ってました。昔は船運が輸送の主力であった事が実感できますね。








街道や里山を走る、宅配業者の姿が何故か好きです。
街道で荷物を運んでいた飛脚と重なるのかも知れません。ヤマザキパンのトラックも風景に溶け込んでいました。
2.魚沼コシヒカリ発祥之地









自宅前で出勤前にタバコを吸っているご主人と挨拶し、三国街道を歩いていると説明したら、江戸街道のことかい?と聞き返されました。
そういえば、水戸街道と川越街道でも、江戸に向かう地域では、江戸街道の表示がありました。










八海山が、綺麗にみえます。
黄金の魚沼産コシヒカリとの共演、毎日この美しい稜線を眺められるなんて、羨ましい限りです。
3.五日町宿





五日町宿に入りました。地名の由来は、毎月市が立つ日の名残で、近くでは六日町と十日町が大きな町です。






無意識に写真を撮ってますが、雪国らしい画像が3枚続いてます。面白いですね。




猫道、気になる名前です。猫が付く地名は初めて見ました。


丸い石碑です。
甲州道中を歩いた際、甲府盆地付近にだけ、丸い道祖神がありました。

丸い道祖神に興味がある方は、甲州道中の記録をご覧ください。


なんと九日町もあるのですね。
いろいろ調べてみましたが、すべての数字は揃わない様です。








稲刈や精米をしている風景を、あちこちで目にします。この地域は魚沼産コシヒカリの産地。半年間大切に育ててきた稲の収穫期に、この地を歩ける幸せを噛み締めてます。
4.浦佐宿







浦佐スキー場は2011年で閉業。
リフトセンターがその名残りで、地元では昔からあり、認定試験が行われていた有名なスキー場でした。






浦佐宿は、宿場町らしい雰囲気があまり残っていません。大規模な区画整理か、大きな火事があったのでしょうか。
5.晋光寺




日光東照宮陽明門に似ていると思ったら、山門を作った棟梁が作る前に日光まで視察に行ったそうです。天井絵の双子龍も立派でした。





裸押合い大祭。
これは凄い祭りです…、ローソクの重さは30~50kgもあるそうです。そこらじゅうが、ローソクだらけ。


日本一の石像仏と言われる不動明王。この前の水の中で、真冬に水行をやるそうです。浦佐の祭りは寒さとの戦い・共存ですね。







浦佐宿の街並みもこの付近まで。私には、晋光寺の裸押合い祭りと巨大ローソクのインパクトが強すぎました。
6.水洗い場








お花の手入れをしているご婦人の話。
リゾート開発業者がこの付近の土地を買い占め時に、道路の反対側にあった水汲み場が、現在の位置に移転させられたものの、リゾート開発が頓挫して、今は住宅地になっている。なんとも気の毒な水汲み場ですが、今も大切に守られています。






結構な勢いで坂を昇り、新幹線を見下ろす、ここまでは良かったのですが、急斜面で歩くのも危険な場所に辿り着いたら、よりによってスズメバチがブンブン飛んでいて、威嚇してきます。その先を見ると、普段人が通らない道なのか、薮が深くて歩けそうもないので退散。あぁ〜、進んだ道を戻るのは本当に嫌です…









この直線道路で信じられない事が起きます。私を抜かした自動車から、女性の人がにこやかに降りてきます。
なんと宗教の勧誘で、先を急いでますのでと断ると、歩いてついてきます。10分くらい色んな話をしてくるのですが、「私は歩いて悟りを開いてますので結構です」とご断りし、彼女はトボトボ戻っていきました。
7.栃原峠









階段を結構昇り、降りるは勿体ないので、戸隠神社の裏山から栃原峠に行ける抜け道を探します。
すると、突然高台が現れ、大きくて美しい田圃が広がり、誰も人が来そうもない場所でご婦人が草むしり中。
挨拶をして、こっちから栃原峠行けますか?と聞くとカタコトの日本語で、行けるとの返事、中国から日本に来ている方でした。
妙に田圃の周りが綺麗だったのは、きちんと草むしりをしているからですね。








寄道をした高台の田圃を抜けて、元の道に向かう途中に、上越新幹線のトンネル横坑の出口があります。工事の時に使っていた坑です。






峠道を昇り始めて20分後位の場所に、"この先堀之内方面通り抜けできません"の看板が…。普通この様な看板は、峠の入口にあるはずなので、信じずに前進します。
連日悪天候の中の行軍で、身体が弱ってきており、峠を超えた先で本当に通行止めだったら、心が挫けて埼玉の自宅に帰っていたかもしれません。
結果的には、峠の反対側にも同じ様な看板があり、ホッとしました。崖崩れなどは無く、一体何だったんでしょう。








旧三国街道栃原峠入口の標柱があります。残念、昔の山道があったのですね…。峠道が終わると、錦鯉の養殖場がありました。この先小千谷は錦鯉の産地です。
8.堀之内宿




三国街道では、峠道が多いくどこまで進めるか予測が困難なため、宿泊先は当日の昼に宿に連絡します。この日は川口宿になりそうなので、歩いて行ける範囲にある1件しかない宿に電話をすると、満室ですとの回答・・・・。呆然としていると奇跡が起きます。
前職の同僚で、独立して現在は錦鯉の輸出をしている須田さん、この付近に住んでいた筈なので、昨日、タイミングあえばお顔だけでも、と連絡していました。すると、こんなメッセージが入っていました。
『宿泊の予約まだでしたら、実家の部屋がたくさん空いているのと、両親は人が泊まりに来るの大歓迎なので、是非来てください!』
これこそ神の声です!お言葉に甘えて泊めて頂く事に。










堀之内宿は大神宮を中心とした、峠と川に挟まれた小さな宿場町ですが、道筋や建物の雰囲気が、街道らしさを感じさせるいい町でした。







昼食のお店、土佐屋さんは人気店の様で、14時過ぎですがお客様が続々と入ってきます。生姜ベースの醤油ラーメン、長岡地域独特の味であることが翌日判明しました。









堀之内P前の食事処駐車場で須田さんと待ち合わせ。
会うのは10年ぶりくらいでしょうか。1台の車が近づき人が降りてきて、私に向かって歩いて来ます。須田さんに似ていないのですが、マスクをしているので、久しぶりですとか1分位話していたら、何か嚙み合わない。
場が持たなくなり、ちょっとベンチまで荷物をとってきますと背中を向けて10秒後くらいに振り向くと、車ごと影も形も無くなっていました。お互いに人違いしていて、気付いた相手は電光石火の速さでその場を去ったのでしょう。その5分後くらいに、無事本人が現れました。
9.錦鯉の世界






錦鯉を育てている養鯉場に訪問し、餌箱がクマに壊されてしまう話を聞いたり、養鯉場を重機で作っている現場をみたり、絶景から棚田を眺めたり、普段では、接する事や見る事が出来ない体験をしました。
夜はご実家にてご馳走を頂き、のんびりと寛がせて頂きました。
須田さん、ありがとうございました。