北陸道13 木之本宿→鳥居本宿〔完〕
2024.09.06
1.木之本宿
木之本地蔵の参道は石畳になっています。
あまり意識した事はありませんが、自動車が頻繁に行き来する道が石畳になっているケース、日本では珍しいです。
本陣跡 竹内家住宅。
江戸時代は本陣、明治維新後は本陣薬局を開業し、現在もなお営業中。
往時の薬の看板が、屋外に掲げられています。屋外でこのクオリティを維持するのは、並々ならぬ努力があったにちがいありません。
こんな大きな杉玉見たことありません。一体どうなってるのでしょう。
宿場町はここまで。
桝形の場所で関ヶ原に行く道は左に、鳥居本へ行く道は右に分かれます。
関ヶ原に向かう道。
歴史が好きな人にはたまらない道。
ただいまの時刻は、午前5時30分、工事現場ではもう10人以上の人が働いてます。
494.7キロメートル。
北陸道を上越高田塾から歩き始め、国道8号線に合流した頃はまだ100キロ前半でしたから、ずいぶん歩いてきたものです。
マンホールの下ってこうなってるんですね。まだまだ知らない世界はたくさんあります。
上の画像の岩を力持ちの男が投げたと言う伝説。
伝説って、どのタイミングからこのように語り継がれていくのでしょうか。
伝説という習慣が永遠に続くなら、今の世の中に生きている偉人や豪傑が、数百年後にどの様に語り継がれていくのか、タイムマシンで見に行きたいものです。
昨夜の夕飯でお世話になった店の女将が、この観音堂の表情が美しいと熱く語っていました。
次に来た時は、ゆっくり見たいです。
上の画像、正面が山本山その左の裾野の下が琵琶湖です。
長浜で琵琶湖を拝むのが楽しみです。
500キロポスト。
こちらも新潟市からの距離です。
街道歩いていると、国道と同じ道をある事が少ない為、100キロごとの締めの表札に合う事は滅多にありません。
2023年夏に西国街道を歩いた際に、運よく500キロポストに遭遇しました。
西国街道は真夏の21日間の行軍。
命の危険を感じる事があったり、過酷でしたが、だからこそ今も鮮明に想い出が、心に深く刻まれています。
2.馬渡
京都周辺で流行っている黄色いランドセル、今日も見ることができました。
ハイビスカス。
鉢植えでこんな見事なハイビスカスを見たことありません。
速水青物神輿。
神輿の上に乗っている鳳凰が、野菜で出来ています。
水路の水を使って、野菜などを洗うための作業小屋があります。
べんがら色の家。
近江地方に入ると、べんから模様の建物が一気に増えてます。
べんがらとは赤色の顔料で、漢字の表記は、弁柄または紅殻です。
堤防の上からふり返る街道の風景。
この目線から眺める、街道沿いの家々の瓦屋根が、緩やかに続く風景が大好きです。
砂漠の中に聳え立つ、ドバイの高層ビル群みたいです。
ビール 喫茶 定食 ひまわり。
入りたくなります。
こんなに多くの鷺を見たことがありません。少し恐怖を感じました。
3.御前水
水路の水を、じょうろで水をすくっている人がいました。
驚いて見ていると近所の方が声をかけてきて、この水路の上流1km付近では伏流水が湧いていて、明治天皇にその水でお茶を汲んだ事から、御前水と呼ばれていると、説明してくださりました。
路面に謎の紋様が、等間隔でしばらく続いてました。
2022年に東海道の復路(京街道)を歩いた際に、同じ様な路面の謎の紋様が、大阪市旭区にも多数ありました↓
東海道復路(京街道)を歩いた時の記録はこちら↓
鷺が描かれたマンホール。
先程鷺の群れを見ましたので、この付近は鷺のに群生地の様です。
建築家 遠藤秀平 別荘。
突然目を見張る様な近代建築物が現れました。
調べたところ、長浜市出身で海外でも評価が高い建築家、遠藤秀平氏の別荘で、作品名はSpringtecture。
2004年にベネツィアビエンナーレで特別賞を受賞しています。
手際良く、テキパキと作業をしていました。なかなかお目にかかれない光景なので、ずっと眺めていたくなります。
今朝宿泊施設のご主人から差し入れで頂いたお茶、大切にいただきます。
中央が伊吹山、右奥が関ヶ原方面です。
滋賀県が誇るスーパー平和堂の、快適なイートインコーナーで小休止。
4.長浜宿
郡上八幡宮の大きな石灯籠、長浜宿の賑やかさが期待できます。
街道の中心部は想像以上に観光地になっており、土産店が多く街道の歴史を感じられるような資料館などが、見つけられませんでした。
TRIP 旅するスープ。
世界中のスープから着想を得ながら作った、妄想スープの店。
ちょっと裏道に入ると落ち着いた雰囲気で待歩きが楽しめます。
5.琵琶湖
慶雲館。
命名は初代内閣総理大臣の伊藤博文。
明治時代に、明治天皇巡航のために作られた建物です。
玉座。
玉座は、一生肉眼で見る事は出来ないと思っていましたので、びっくりしました。
玉座の間の前で30分ぐらいのんびりしました。
食事をして終点の鳥居本宿に向かいます。
寄り道はここまで、そろそろ街道に戻ります。
琵琶湖は海の如く大きかったです。
行列ができる人気店の様で、閉店間際に5分くらい前に並んび最後の客で入れました。いつも食べているラーメンの倍くらいの値がしましたが、物凄く美味しかったです。
6.伊吹山
山の半分くらいに植物が生えていません。
ラーメン屋に一緒に並んでいた人に聞いたところ、鹿が草を食べ尽くしてしまったそうです。
波の上のホタル。
いい名前ですね。
提灯の絵付・製造・販売をしています。
京都周辺の小学生が利用する、名物黄色いランドセルを背負った子どもたち。
伊吹山と東海道新幹線。
いい写真が撮れました!
7.米原宿
米原は鉄道の街なんですね。
市街地の土地の半分くらいが、鉄道の敷地に見えるくらい、線路と電車だらけでした。
中山道を歩いたときに、歩いていなかったもう一つの中山道と合流。
中山道の番場宿から鳥居本宿迄は、二つのルートがあったそうです。
新幹線のテスト車両でしょうか、見たことがない車両です。
8.鳥居本宿
ついに到着しました、鳥居本の追分。
ほっとして気が抜けてしまいました。
鳥居本宿の象徴的な建物、存在感があります。
上の画像の建物の扉が、かつての本陣のものだそうです。
こんな形でも本陣の痕跡を残す心意気が素晴らしいです。
帰りの東海道新幹線、のぞみ号もひかり号も3人席の中央しか残っていないので、ゆっくりこだま号で帰る事に。
街道仲間のグループチャットに、歩き終えて米原からこだまで帰ると報告したところ、伊東市での出張帰りの大谷さんが熱海で一人で飲んでおり、一緒に帰ろうと言うことになり、静岡の地酒と海の幸を購入して合流!
楽しい旅の最後になりました。