街道歩き温故知新3 陸前浜街道 相馬野馬追編
街道歩きは前に進む事で精一杯。寄り道できず、又来ようと心に誓った場所は数知れず。そんな場所を訪れるシリーズ、街道歩き温故知新。
今回は、2024年冬に陸前浜街道を歩いた際に、野馬追祭に関連する三社の内、二社が冬の暴風の寒さに負けて訪れ損ねたので、リベンジします。
2024.08.07
1.スタート地点まで
前日は南相馬市と福島市で働く前職の仲間と一献。
このお店に来るのは3回目。お通しが4品出る他に類を見ない不思議なお店。そういえばメニュー見た事がありません。
当日の道中、福島の仲間(写真左)と浜通りのカツオが食べたいと盛り上がっていたら、先読みをしたのか南相馬の仲間(写真中央)が前日にこのお店に来て仕込んでくださり、美味しいカツオを食べる事が出来ました。
神対応に感激!
記念撮影!
ぐっすり眠れました。
この鍵を持ったまま出かけようとしたら、無くさないでくださいね、とフロントの方から念を押されました。
製造していない可能性があります。
只今の時刻04:43。
昼過ぎにさいたま市に戻る予定があるので、夜明けとともに活動開始。
陸前浜街道は今年の3月に歩きました。
福島県の太平洋沿岸の浜通りを歩いた時に、台風レベルの低気圧が直撃。
あまりの寒さに涙を流しながら歩いていたら、顔面に塩の道が出来てました。
強風の中、陸前浜街道を歩いた時の記録はこちら↓
あぶくま信用金庫。
本店の工事をしています。
陸前浜街道を歩いていた際に、浪江町で忘れられない光景がありました。
東京電力福島第一発電所の北に位置していた為、2011年3月に住民が避難生活を余儀なくされ、街から人がいなくなりました。
2017年3月、帰還困難区域を除き避難指示が解除されましたが、生活基盤が移った為になかなか住民が戻って来ません。
愕然としながら歩いていると、ほのかに活気を感じる建物が目に飛び込んで来ました。
あぶくま信用金庫浪江支店。
なんと、人が戻ってくる前の町で営業をしています。
この経営スタイルに心が揺さぶられました。この様な企業が、地域に必要とされ、長く続く企業になるのだと確信しました。
原ノ町宿は馬尽くしでした。
南相馬市の原町宿から、鉄馬車(鉄道)で、本日の最初の目的地、相馬市の中村宿に向かいます。
2.相馬野馬追とは
相馬野馬追は、千年の歴史がある相馬藩当主の氏神である相馬三社(相馬太田神社・相馬小高神社・中村神社)の祭典。国の重要無形民俗文化財に指定されています。
三日間執り行われ、2024年の行事スケジュールは下記の通り。
過去は夏開催でしたが、現在は暑さから馬や人の命を守るために5月に変更となっています。
相馬野馬追の目玉行事、神旗争奪戦会場の雲雀ヶ原祭場地と、相馬発祥の地にある相馬太田神社は今年の三月に、土砂降りの中参拝をしました。
雲雀ヶ原祭場地。
この広大な地で繰り広げられる甲冑競馬と神旗争奪戦、どの様な雰囲気になるのか観ないと想像が付きません。
今回の旅の目的地は、陸前浜街道を歩いた際に参拝が出来なかった、相馬野馬追所縁の二つの神社、中村神社と相馬小高神社です。
3.相馬宿
鉄馬車常磐線で相馬駅まで移動し、中村神社を目指します。
道路元標。
前回歩いた時に見落としてました。
前回歩いたときには気付きませんでしたが、街中に馬に関する飾りなどがたくさんありました。
4.中村神社
本日一つ目の目的地、中村神社に到着しました。手水舎で馬がお出迎え。
お繰り出し会場。
祭りの初日、この場所に騎馬が集い、出陣式が執り行われます。
5.相馬城
中村城址の庭園が見事でした。
枯れた芝生を使い、模様を作りあげています。
中村城は輪郭がほぼ残っており、王子の姿が想像しやすくて楽しかったです。
では次の相馬小高神社に向かいます。
6.相馬小高神社
あぶくま信用金庫は、隅々まで根を張ってます。
本日二つ目の目的地、相馬小高神社に着きました。
野馬追行事最終日に行われる、野馬懸(のまかけ)の会場です。
中村城と同じで、城跡に神社があります。
7.帰路
野馬懸行事は、千年の歴史を誇る相馬野馬追行事の中で、古来の姿で受け継いだ唯一の行事と記されています。
仕事でも私生活でも、引継ぎはエネルギーを使います。それを千年も続けてきた、更に東日本大震災後の二次災害の影響で、行事が途絶えた後にも引き継ぐ地域の人たちの努力と思いを、しみじみと感じました。
小高にはリニューアルか新規か定かではありませんが、様々なお店が営業をしています。挑戦している様にもみえ、目に見えない地域の力を感じました。
haccoba クラフトサケ醸造所。
JR東日本スタートアッププログラムの一環で実現した、日本初の無人駅舎を活用した醸造所。
只今の時刻は午前08:46、残念ながらオープン前の時間でした。
大熊町の祭りのポスターが貼られています。
大熊町には東京電力福島第一原子力発電所があり、震災前は約11,000人が住んでおりましたが、全町民が町外の会津若松市やいわき市に避難。避難区域解除後の現在は約1,000人が居住しています。
3日前に会津若松市内の東山温泉に行った際に、見事な盆踊り大会が行われていました。
会津若松市には大熊町から3,000人が避難しました。
その盆踊り大会は4日間行われ、訪問した日は大熊町の日でした。
特急ひたち号の車窓から、ぼ~っと景色を眺めていたら、湯本駅の手前にある石炭化石館が見えてきました。
前回歩いた時は震災の影響で閉館しており、もう見る事が出来ないのかと思っていたら、駐車場に車がとまっています。今年の春に営業再開した様で、次回の陸前浜街道の温故知新の目的地がひとつ増えました。