西国街道18 徳山宿→富海宿
本格的に街道を歩きはじめて3年目、夏は歩く時間がまとまって取れるので、ぐいぐいと街道を進む事が出来ます。1年目は中山道、2年目は北国街道・三国街道、3年目に選んだ道は西国街道。
真夏の京都から下関まで約570km、猛暑との共存も年々コツを得てきましたが、身体と会話しながら西を目指します。
2023.09.13
1.スタート地点まで
さぁ4回に分けて歩く西国街道、今回が4回目、最後の行軍が始まります。
1回目 4日間 7/15-18
2回目 6日間 8/6-10
3回目 7日間 8/24-30
4回目 4日間 9/13-16
今のところ怪我や大きなトラブルもなく、ここまで来ました。心身共に丈夫に産んでくれた、天国の両親に感謝です。
広島に行くフライトは、本州の中心を飛行する事を前回学んだので、さいたま市の自宅を空から眺めたく、進行方向右側のK席を予約。
空から眺めるの楽しいですよね。飽きることがありません。
秩父の街が見えてきました。
夫婦で6月に秩父往還を熊谷から秩父まで歩き、その続きが山梨まで続いているので、歩こうか検討中。
上の画像中央左側の山中を抜けるのですが、この険しさだと厳しいかな・・・・。日が短くなる前に行かないと駄目なので、早めに計画しないと行けなくなりそうです。
広島空港→バス→広島駅→新幹線→徳山駅。
広島駅ではバスロータリーから新幹線まで走って、きっぷを買い5分で乗り換えが出来た事が功を奏し、予定より30分以上早い10:03に徳山駅に着きました。
自宅を出てから6時間、長いですが満足のスタートです。
2.徳山宿
ふくのふるさと。
フグの漁獲量山口県が1位かと思っていたら大間違い、下記は2021年の農林水産省のデータ。近年海水温が上昇したからと言われてますが、この数値は驚きです。
奇をてらった店名の高級パン屋さんが最近多いのは、どうしてなのでしょうね。街道を歩いていて見かけた、不思議な名前のお店を紹介します。
小麦の奴隷は、堀江貴文さんがオーナーのFC店。
セントラルキッチンでパン作りで一番大変な生地を作りを行う、効率的な経営手法のビジネスモデル。
東海道で見かけた原宿の店は閉店していました。
道が細かいと、どの道が旧街道なのかわからなくなります。
そんな時旧街道を推測する方法がGoogleマップ。地図上に郵便局がある道が、極めて高い確率で旧街道です。その他の推測方法として、地図で"史跡"を検索して、その印が点々と続く道が概ね旧街道になります。
上記画像右奥の今から歩こうとしていた街道と思われる道、検索すると郵便局や史跡があったのはもう1本右側の道でした。軌道修正し正しい道を進みます。
街道が集合住宅に遮られています。
西国街道の姫路宿では、街道に配慮したのか、道路の機能を維持し、その上に集合住宅が建てられていました。
只今の時刻は10:46。
資さんうどん、昼前なのに多くの自動車が停車しています。
美味しいらしく、北九州のソウルフードとして有名で、テレビか何かで見たことがあります。
食文化で九州が近づいている事を実感します。
赤鬼。
美味しそうなオーラが出ています。
調べてみると、人気の山口名物の瓦そばからヒントを得た焼めん、お客さんの大半が注文する看板メニューで、わかめを練りこんだうどんを、カリッと焼き、牛肉などがトッピングされています。
様々な店舗で提供出来ると、相乗効果で徳山のソウルフードとしての地位が確立されそうな気がします。
徳山市内は第二次大戦中に、海軍燃料庫を狙った空襲を2度も受け、市街地の90%が焼失した為、市街地が往時の原型を留めていません。
市街地を抜け、ようやく街道らしい道が見えてきました。
祭りのポスターがあちこちに貼られています。
貴重な祭事である事が想定されますね。
3.山﨑八幡宮
街道を歩いていて長めの橋を渡る際は、橋の中央付近から、流れの速さ・水の色・魚の存在、などを観察します。
冨田川にかかる音羽橋の中央から左下に目を移すと、庭園の池の畔にある、餌やり台の様な場所があります。
なんと、その付近には錦鯉の群れと鳩の群れがいて、驚きながらぼ~っと眺めていたら、錦鯉の大群が私の方に向かって一斉に泳いできます。餌がもらえそうもない事に気付くと、一斉に退散していきました。
餌やりの瞬間は大賑わいになるのでしょうね。
山口県に入ると、西国街道ではなく山陽道と呼びます。
沿道の住民やお店の人と話す際も、旧山陽道を歩いてますと話しませんと通じません。
山﨑八幡宮。
参道の中央が芝生の坂になっており、左右に鳥居がある不思議な配置。この理由が、拝殿まで昇ると理解できる様になります。
先ほど画像で紹介した、参道中央の芝生の坂の意味がわかりました。
本山神事では、芝生の坂の上まで山車を引き上げ、そこから山車を落とし、五穀豊穣を祈ったそうです。
女優の名取裕子が説明する祭のナレーションが、境内にずっと流れ続けていました。
参道の延長線上に聳え立つ煙突が気になります。
調べてみると、東ソー株式会社の煙突。1933年に山口県都濃郡(現周南市)で創業した、売上1兆円超の総合グローバル科学メーカー。
歩いてくる途中の公園には”TOSOH PARK 永源山”と書かれた看板がありましたので、ネーミングライツで地域に貢献しているのですね。
先程紹介した本山神事の紹介冊子を境内で読んでいたら、協賛企業にも入ってました。
徳山はキリンビールとご縁があるようです。
海が近い街の雰囲気溢れる一枚。
4.福川宿
周南子ども百人一首。
素晴らしい!
私が歩いていて喜怒哀楽を感じた時、先人たちはどんな気持ちで歩いたのか、先人たちはどんな風景を眺めていたのか、など気持ちを切り換える時の考え方と全く同じです。
石仏堂。
上の画像の様な石仏を守る建物を何と呼んだらよいか。
地蔵の場合は地蔵堂という言葉がしっくりきます。
祠でもないし小さいので仏殿でもない、いろいろ言葉を考えましたが、仏堂が一番しっくりきます。これからは石仏堂と呼ぶ事にします。
5.夜市
ENEOS。
往時の旅人には無かったが、現代の旅人には欠かせないインフラのひとつがガソリン。ガソリンスタンド国内シェアの半数近く、15,000店舗を有するENEOSをずっと定線観測しています。noteの投稿回数が今回の投稿で144回目、1回の投稿時のENEOS店舗数が3~4店とすると、500店位は撮影しています。
そんな中で初めて、灯油専門のENEOSの看板を掲げる店舗に出会いました。サイズが小さくて可愛かったです。
夜市。
風情がある地名ですね。
余市と書いて”やじ”と読みます。かつては矢地と書いたそうですが、文字が土地を失うとも読めるので不吉であるので、漢字を改めたという説が有力。
余談ですが、JR発足時に、”鉄道”という字が、”金”を”失”う”道”と縁起が悪い理由で、”鉄”の字のつくりを”失”ではなく”矢”を使用していたのを思い出し、改めてJRのHPを見たところ、不便だったのか普通の”鉄”に戻されていました。
九州が近いので細麺ですね。
画像ではわかりずらいですが、コバルトブルーのカワセミが獲物を狙っていました。綺麗ですね。
煉瓦の塀の家が登場しました。
イギリス式でもフランス式でもない、独特な積み方をしています。これから増えて来るのか楽しみです。
6.宮島様
道端でお母さんが休憩しています。
画像では伝わりませんが結構な熱さ。
「こんにちは、熱いけど大丈夫ですか?」
と声をかけると、こんな熱い中ガツガツ歩いている私の方が大変そうに見える様で、あなたこそ大丈夫?の様な表情で、
「大丈夫ですよ」
と返事が返って来ました。
船山神社の説明看板が良く読めませんでしたが、船の名が付く事と、街道が通っている事から、この辺りが海岸線であったと思われます。
煉瓦の塀の家が急に増えてきました。
宮島様。
参道も拝殿も無くて池にはたくさんの亀が。
水の中に社が建てられているので、安芸の宮島にちなんで、宮島様と呼ばれているそうです。
覗き込んだら、亀が一斉にのそのそと向かって来ました。
7.椿峠
9月になり稲が徐々に黄色くなり、おじぎをし始めます。
お彼岸も近くなり、稲刈りの風景が増え始める時期、秋の足音がかすかに聞こえてきました。
なんと美しい景色。
しばらく立ち尽くして眺めていました。
前方に見えるは今夜宿泊する富海宿の街並み、楽しみです。
8.富海宿
本日はここまで。
宿泊先は里山の中にある、藍染工房の離れの宿泊施設。
宿泊先は藍染工房の宿泊施設、野田西村邸。
シンプルでスタイリッシュな内装と、心温まるおもてなしに感動。
洗濯機を貸して頂き、夕飯の買物に車で送迎して頂き、頂き尽くしのおもてなしに感謝感激でした。
夕食は、フグの刺身や鱧の湯引きなど、山口の魚を満喫!
東海道を歩いていた夜に、スーパーで刺身の醤油をもらい損ねた苦い経験があったので、しっかりと醤油をもらい、いざ一人宴会開始。
その時、箸を貰い損ねた事に気付き呆然・・・・。時間が遅く宿の人も帰宅して不在なため、手でワイルドに刺身をいただきました。
おまけに、買ったうどんは茹でるタイプで、それも手づかみでそのまま食べちゃいました・・・・。