西国街道16 宮浜宿→高森宿
本格的に街道を歩きはじめて3年目、夏は歩く時間がまとまって取れるので、ぐいぐいと街道を進む事が出来ます。1年目は中山道、2年目は北国街道・三国街道、3年目に選んだ道は西国街道。
真夏の京都から下関まで約570km、猛暑との共存も年々コツを得てきましたが、身体と会話しながら西を目指します。
2023.08.29
1.宮浜
早く出るので、宿泊先のペンションオーナーにお願いして、特大お結び握ってもらいました。
添えてあったメモから力を頂き出発。
宿泊したペンションあんばらんす。
また来たくなる様な、とても温かみがある宿でした。
残念さんには、草が伸び放題でたどり着けず残念。
気になります。
石垣に囲まれた細い道。
大袈裟ですが、沖縄の離島の小さな集落を歩いているみたいでした。
木の電柱。
西国街道を歩い2回目の遭遇。1回目は神辺宿でおそらく5本位の電柱と遭遇、2回目は上の画像の1本。どの様な経緯で残っているのか不思議です。
神辺宿の木の電柱画像はこちら↓
お楽しみの峠道。
峠を越えると街が変わり、街の雰囲気も変わります。
そんな変化を楽しみに坂を昇り峠を越えます。
自然な感じの石畳だと、往時の旅人と同じ気持ちになりやすいです。
短い峠道でしたが、石畳に心癒されました。
2.玖波宿
玖波と書いてくばと読みます。
自然な感じで街並みが残っている宿場町、何もないところが良くて、往時を想像しながら歩けます。
称名字寺 本日の言葉。
一人にになりたい 一人はさびしい
街道を歩くと実感することは、一人はさびしい。
人時計。
平日に街道を歩くとすれ違う人々をみて時間がわかるので、人時計と呼ばせて頂きます。
上の画像はゴミを捨てに来る人がみえるので6~8時頃(実際は08:12)。
朝は、駅に向かう通勤通学の人、狭い街道を急ぐ自家用車、登校班の小学生、自転車通学の中高生、みんな急いでいます。
その後夕方までは、買い物に行く高齢者未就学児を連れた親子、ちらほら見る程度ですが、急いでいません。
夕方になると朝と反対の、帰宅の人々、少し急いでいる感じです。
実際に街道を歩いて気付いた事は、都市部の駅近く以外では殆ど歩いている人と会わないことです。
3.苦の坂
”〒”マークの建物。
郵便ポストがあったのでしょうか?
”〒”マークの由来は、郵政省の前身の”逓信省(テイシン-ショウ)”の頭の「テ」の文字を図案化したものです。
竹が多いのは大竹市だからでしょうか、竹が見事に管理されています。
春になると次々と新芽がニョキニョキと成長するタケノコ、相当な労力で間伐をしませんと、この様に明るく美しい竹林は維持できません。山を管理する人の努力を感じることが出来ました。
苦の坂峠は人があまり歩いていないので、蜘蛛の天国。
木の枝を用意し、目の前にある蜘蛛の巣を払う度に、
「蜘蛛さんごめんなさい」
を念仏の様に繰り返していました。
4.安芸周防國境
太閤振舞い井戸。
秀吉が九州出陣の途中に、この井戸水で点てたお茶の振る舞いに、ご機嫌だったと言われています。
しばらくヤクルトEVと抜きつ抜かれつのレースが続きます。
ヤクルトは個人宅や企業などに訪問販売しています。
中山間地域でも人とのリアルコミュニケーションが出来るビジネスモデル、このリアルコミュニケーションの価値が数値化出来ると、唯一無二の新たな価値が生まれると思います。
両国橋。
橋の名前の通り、安芸國と周防國を結ぶ橋、國境です。
山口県に入るとガードレールが黄色くなりました。
噂で聞いた事があったので、実際に目にすると感動します。
甲州道中を歩いた際に、東京都の緑色のガードレールが珍しかったので紹介します。
5.関戸宿
西国街道で安芸國に入ったあたりから、随所で吉田松陰の石碑や句碑を目にします。現在の山口県萩市の生まれ、地元の英雄ですね。
全国の鵜飼を定期的に実施している主な地域です。2015年のデータなので変化している可能性はありますが、結構あるのですね。
どこから眺めても美しい錦帯橋。
釘を一本も使っていないと聞きました。
だからこその自然な美しさがあるのでしょうね。
錦帯橋。
外から眺める姿だけでなく、渡りながら目に入る曲線の美しさ、そして下を流れる錦川の美しさ。もう完璧です。
岩国市には5つも酒蔵があります。
獺祭は関東地方でも飲めますので、岩国に来ないと飲めない、雁木と五橋を、岩国寿司を肴にしていただきました。
6.トンネル2つの恐怖
宇野千代の言葉
自分の幸福も
人の幸福も同じように
念願する境地まで
歩いて行きたい
ラーメンの神様はいるのですね!
毎食昼にラーメンを食べ続けていましたが、錦帯橋周辺に提供する店がみつからず、この先も暫く飲食店が無いので記録が途絶えると諦めていたら、なんと自動販売機コーナーで販売していました。
いや~怖かったです。
途中から後ろ振り向けませんでした。
独り言で、ついてくるなよ!と何度も声に出して最後は小走りで駆け抜ける有様、考えすぎですね。
しかし、恐怖はこれで終わりません。
心霊よりもこっちのトンネルの方が遥かに怖かったです。
トレーラーが通過すると風圧と恐怖で身体が動けなくなり、肩を狭めて歩き続けた358mでした。
私もそうですが、ドライバーさんも怖いでしょうね。
7.中峠
千体仏。
法事を営む際に、お堂の中の千体仏から、亡き人に似た仏像を選び読経を行う風習に使用されている仏像。江戸中期の作で現在は795体残っているそうです。
見学希望者は記載された電話番号に連絡すると、鍵を開けてくださるそうですが、今回は時間が無いので断念、見たいですね!
街道を歩いていると、ノーマークの峠道が結構身体に堪えます。
中峠がそれで、車で運転したくなくなる位の急坂でした。
東海道を歩いた人が、口を揃えて想定外のきつさだったという坂が、日坂宿と金谷宿の間にある小夜の中山。
一直線の凄まじい坂道で、昇り切ると天空の茶畑が広がっています。
詳しくは↓
8.玖珂宿
中峠が周防國の道の中で一番きつかった旨の記録が記されています。
いつの間にか道を間違えていた様で、玖珂駅の跨線橋で反対側に移動して街道に戻ります。
往時の人々は街道歩きで道に迷わなかったのかが気になります。
今ほどは道の数が少なかった事と、道標や常夜灯がもっとあったので、迷わなかったのかもしれませんね。
只今の時刻は18:52。
明後日が満月で、今年一番のスーパームーン。その影響か、月が明るく感じます。
街道を歩いていて暗くなると不安になってきます。
往時の旅人は今の様に電気が普及していなかったので、月灯りや常夜灯を頼りに歩いていたと思われます。
常夜灯といえば、東海道の脇往還の姫街道。
立派な常夜灯があり眺めていたところ、通りがかった近所のご婦人が、
「一年前まで地域の人々が輪番で蝋燭に火を灯していた」
と説明して頂き、驚いて開いた口が暫く塞がらなくなりました。
一年前まで蝋燭の火を灯し続けた地域の人々の常夜灯愛、御伽噺の世界の様です。詳しくは↓
おまけで、姫街道見付宿でみた現役の常夜灯がこちらです。
西国街道に戻ります。
9.高森宿
くたくたでチェックインしたら、女将さんから、疲れたでしょうとの労いから、いつの間にか世間話になり、マシンガントークが止まらず、なかなか部屋に入らせて貰えなくて、なんだかもう話の途中から可笑しくなってきました。
そんなこんなで、20:00を過ぎてしまいましたので、洗濯と風呂は後にして、飲食店が閉まる前に夜のパトロールに出かけます。
カウンターで暇そうにしている私に、お店の従業員さんが頻繁に声をかけてくださり、今回の7日間の旅の最終日の夜、あたたかい時間を過ごす事が出来ました。