長崎街道1 大里宿→小倉宿
関東地方に住んでいると、遠い九州の街道を歩くには相当の覚悟が必要です。
2023年9月16日、西国街道を歩き終えた夜の下関で関門海峡を眺めていると、長崎街道の起点 門司の灯りが間近に見えます。なんだ、近いじゃないか長崎街道!
明日、博多で友人と会う待合せ時間まで、少し歩いてみよう。という事で長崎街道の旅が始まりました。
2023.09.17
1.スタート地点まで
昨夜西国街道を歩き終え、宿泊した下関のホテル。是より関門海峡を越えて、スタート地点の、門司"大里宿"に向かいます。
ふく処 喜多川。
昨夜西国街道の終点に着く前に、店の前を通りましたが、かなりいい雰囲気でした。コースは上の画像のお得な6,050円から、12月下旬以降限定の天然ふぐを用いた最上級の27,500円まで、幅広いメニューを取り揃えてます。
亀山八幡宮。
関の氏神として祀られており、この地はかつては島だったそうです。
対岸の門司には門司の総氏神、甲宗八幡神社があり、向かい合って海峡を護っていたのでしょうね。
決闘の聖地巌流島。
私の中で巌流島の決闘といえば、アントニオ猪木とマサ斉藤の試合。
松明が焚かれ、夕暮れから暗くなるまで無観客の状態で2時間以上戦った2人の目には、なにが映ったのでしょうか。今頃天国で戦っているかもしれません。
雨の中九州に上陸しました。
赤レンガの建物がたくさん残っており、門司港レトロという微妙な呼ばれ方をしています。
門司港駅。
中学生の頃旅行が大好きで、お年玉を全て投入し、春休みに青春18きっぷで5日間の旅行をしてました。
その頃、普通列車なのに"ながさき"という名前がついていて寝台車が1両だけ連結されている夜行列車があり、それに乗った時以来の門司港駅。
それから40年の月日が過ぎ、まさかここまで京都から歩いて来るなんて、人生何が起こるかわかりませんね。
長崎街道起点の大里宿がある門司駅まで、鉄馬車=鉄道で移動します。
2.大里宿
"大里"と書いて、"だいり"と呼びます。
かつては、下関行きの船は大里宿から発着しており、当時は街道の際まで海岸線でした。
海を越える渡しが、海路ある宿場町。
江戸時代に関門海峡の渡しが何と呼ばれていたのか、わかりませんので"関門の渡し"と呼ばせて頂きます。
江戸時代前半は陸路の街道の整備が不十分であった為、東に向かう際は九州から瀬戸内海海路での移動が多かったのですが、街道の整備が進むにつれ、"関門の渡し"が主流になったそうです。
海路といえば、伊勢湾を渡る東海道の"七里の渡し"が有名です。七里の渡しが結んだ、桑名宿と宮宿の渡船場周辺は、いまだに往時の活気を肌で感じることができました。お気に入りの画像4枚を紹介します↓
桑名宿は特に雰囲気が良く、名物の蛤も堪能しました。ご興味がある方はご覧ください↓
さて、長崎街道に戻ります。
上の画像、奥の道路付近が往時の海岸線です。右の屋敷では接岸した船から荷物が上げ下ろしされ、賑わっていたのかもしれません。往時の雰囲気を想像するだけで興奮してきます!
左奥に赤レンガの大きな建物が見え隠れしています。
江戸時代中期以降は、九州の参勤大名の8割以上が大里宿から渡海していたと記されています。
もっと少ないと思ってましたので、想像以上に陸路の街道が整備されていたのですね。
3.赤煉瓦
倉庫は旧海岸線に向けて建てられてます。醸造棟は商品が上から下に流れて生産される機能を凝縮した造り、そして事務所棟だけが、茶系のレンガで違いを見せつけていました。
一番見応えがあったのが醸造棟。
こんなに背が高いレンガ建築物は、東京駅以外で見た事がありません。
大満足、そろそろ街道に戻ります。
前方の高架道路付近から先は、JR九州の巨大な貨物ターミナルに寸断されておりますので、国道199号を歩きます。
4.寸断区間
北九州らしい製鉄所の煙突が見えてきました。夜は綺麗でしょうね。
国道199号は飽きるので、地図に旧街道の面影があったらその道を進みましたが、残念ながら行き止まり。
旧街道が見つかって嬉しくで夢中になって歩いていると、地図を読み取る事を忘れてしまい、この様な目にあい、激しく落ち込みます。
長崎街道は福岡市を通過しません。
下関から長崎までの地図を見るとよくわかるのですが、福岡を回ると遠回りなるからです。
福岡藩の人々は、北九州市の小倉や若松から福岡を経由して唐津に行く唐津街道を利用していました。
5.小倉宿
突然立派な赤レンガの建築物が工場の敷地内に突然現れます。
昔はたくさんあったのでしょう、レンガ建築最盛期の街の様子を、タイムマシンで、見に行きたくなりますね。
この付近は街道のすぐ隣が海岸線で、白砂に美しい根上がり松が群生していたそうです。
先程松並木があったのもその名残ですね。さぞかし美しい風景だったと思われます。
門司口橋。
往時とほぼ同じ場所に架けられています。途中で橋の広さに変化が加えられており、どことなく優雅な感じの橋。
門司口橋を渡ると、往時の小倉城内敷地に入ります。
突然大都会になり、一瞬怯みました。
西鉄と郵便局のビル。
西鉄こと西日本鉄道は、福岡市を拠点に福岡県内南部の久留米方面に鉄道路線を伸ばしてます。
県内東部の北九州方面には鉄道路線はありませんが、バスや商業施設など積極的に事業展開をしていますね。
"曲輪"と書いて"くるわ"と読みます。
"郭"とも書き、堀や土塁などで区画された空間の総称。
説明看板の地図を見ると海を利用して見事な曲輪が完成してます。
6.常盤橋
銀天街という名のアーケード、そういえば以前住んでいた沖縄県の沖縄市にあったなぁと思い出し、ひょっとしたら全国各地にあるのかと調べたところ、中国四国地方以西南に、たくさんありました。
なんと小倉北区の魚町商店街が、全国の銀天街の発祥の地。名の由来は、6,000通の公募作から、銀の天井に輝く街を意味する"銀天街"が選ばれて命名されました。
昭和の街並みが思い浮かぶ様な、風情がある名前ですね。
柴川沿いは、時代を超えた街並み。新しい街と城が一体化してます。
そしてこの橋が常盤橋。
大都会のど真ん中で、大きな建物に囲まれても、圧倒的な存在感で他を寄せ付けない強烈なオーラを醸し出してます。
今まで歩いてきたエリアが町人の町"東曲輪"、常盤橋を渡ると武士の町"西曲輪"。本日はここでおしまい。
常盤橋を渡る楽しみは次回に残します。
次回は2023年12月末の予定、楽しみです!
7.帰路
埼玉に帰宅する前に、博多で会っておきたい男に会いに行きました。
前職で苦楽を共にした同期、人生山あり谷ありを体現した男、どん底から自分を見つめて這い上がった話に、心打たれながらの180分1本勝負!
こういったタイミングで会えるって、ご縁だとつくづく思います。
頂いた手土産、家族に大好評!小さなお菓子なのに、しっかりとしたしっとり感。
ありがとうございました。
帰りの飛行機は、本州を西から東に横断、東京は空気は悪いですが夜景は綺麗です。
秋は仕事に専念する為、日帰り圏内の街道歩きを楽しみます。
長崎街道の続きは冬以降にお預け。
続きが楽しみです。
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