北陸道12 今庄宿→木之本宿
2024.09.05
1.今庄宿
本日の行軍は約40km、"店無き道"を歩くので、1日分の水分と食料をファミリーマート茶屋で購入。
昨日、到着前の夕暮れ時に歩いた今庄宿をもう一度歩きます。
今庄宿、素敵な宿場町でした。
敦賀に向かう道とハピラインふくい線とは、ここでお別れ。
集落の墓地に"杉の年輪"と書かれた碑文があり、そこには後世に伝えたい教訓が刻まれてます。
山の地主が今庄を離れていた時の話。
戦時に造船のために、樹齢三百年の山のすべての木が切り落とされてしまいました。帰郷した際に変わり果てた姿の山を見て、言い残した格言。
「庄やは遠くあるべからず」
何事も現場に答えがあり、現場にいないと現場は守れない、人生にも言える事ですね。
後方の東の空から、太陽の気配がジリジリと迫ってきました。
逃げ切りたいですが時間の問題です。
単調な山の道を歩くと目印がなく現在地を見失いがちなのですが、1/25000の地図には送電線の線が引かれていますので、それを目安にします。
山神神社。
山の神様にご挨拶をして、峠道に向かいます。
マンホールには、地域の産品・文化・自然などが刻まれていいます。
今庄宿を後にしてしまいましたが、そばが名物だったのですね。
気温20度、今のところ最高のコンディションです。
今日の最高気温は30度を超えるそうなので、この後が恐ろしいです。
2.板取宿
十割手打ちそば いたどり。
駐車場がたくさんあったので、かなり混み合うと思われます。
板取宿の木戸が再現されています。
多くの街道を歩いてきましたが、関所以外で、往時の雰囲気そのままに再現されている木戸を初めて見ました。
茅葺き屋根の家々が建ち並んでいます。
これぞ街道の原風景。
茅葺き屋根の古民家を再生された立役者の、新聞記事が貼られてます。
茅葺き屋根の家は4軒あり、そのうち2軒には人が住んでいるようです。
しばらくは単調で退屈な峠道が続きます。
3.栃ノ木峠
栃ノ木峠。
バイクが2台休憩しています。
只今の時刻は09:48、地面に立っている生の人間の姿を見たのは、朝5時頃に立ち寄ったファミリーマート以来になります。
淀川の源。
直線距離で西に5~6km先に日本海があるのに、南西に150km位も離れた大阪湾に注ぐ淀川の源がここにあるのですね。
淀川といえば、東海道の復路を歩いた時に淀川の堤防を長々と歩きました。
淀川を歩いた時の画像はこちら↓
東海道といえば、西の起点は京都三条大橋かと思いますが、大阪の高麗橋からという説もあります。
復路を歩く計画を立てていたら、その説を知ってしまったので、東海道五十七次を歩きました。
生駒山が近づいてきました。
堤防は単調ですが、眺めが良いところが利点ですね。
朝スタートした大阪市内中心部の高層ビル群が、彼方に小さく見えます。
結局淀川堤防の上を2時間弱歩きました。
淀川堤防を歩いた日の記録はこちら↓
単調な街道の風景から脱出。
久々に見る集落に心が落ち着きます。
4.中河内宿
小峠の冷水。
口にしたところ飲めそうな感じなので、ペットボトルの水と入れ替えちゃいました。
マムシ草。
一見普通の草なのですが、芽が出た頃と実がなった時の姿が強烈です。
初めて目にしたのは、2021年秋の甲州道中笹子峠、一瞬怯むくらいの毒々しい姿でした。
最初は何だかわからず、調べたところマムシ草である事が判明。
その時は何故マムシなのか気にもしていませんでした。
おまけで、笹子峠で鹿の角を拾いました。
想像以上に重かったです。
甲州道中笹子峠を歩いた時の記録はこちら↓
マムシ草の名の由来を偶然発見したのが2022年春に歩いた、日光例幣使道の杉並木でした。
動植物好きの家内が、不思議な芽を発見します。これ蛇ににていないか?ということになり、まさかこれがマムシ草の芽では?と大興奮。
その後草むらを探索すると、芽から葉に成長している姿を発見。
葉に成長した姿を調べたら、それがマムシ草でした。
時速4㎞ならではの発見です。
おまけで、上のお画像が日光例幣使道の杉並木。
日光道中の杉並木とは違った穴場的迫力が満点です。
日光例幣使道を歩いた時の記録はこちら↓
トンネル歩きは避けたいのですが、椿坂峠の道が通行止めの為、トンネルを選択することに。
椿坂トンネルは交通量が少ないうえに歩道がしっかりしてるので快適。
しかも涼しいので最高のコンディションでした。
自動車で通過すると時はじっくり見る事が出来ない設備を、ゆっくり楽しむ事が出来ました。
椿坂トンネルを無事通過、涼しかったのでもう少し続いて欲しかったくらいです。
トンネルといえば、北陸道を歩き始めて4日目に歩いた親不知の洞門は、恐怖の連続でした。
洞門はトンネルとは違い、山の中を貫通するのではなく、崖に沿って作られた落石から車を守る屋根付きの道路。
難所に差し掛かると、歩くスペースが無くなります。
車が来たら、柱の隙間に駆け込みます。
恐ろしいですが、崖っぷちを歩く故こんな絶景が楽しめます。
今は高速道路があるお陰で交通量が少なかったので、なんとか凌げました。
北陸道の親不知洞門を歩いた時の記録はこちら↓
しばらくはこのような単調な道を歩きます。トンネル内が涼しかったので、暑さが身に沁みます。
椿神社跡。
神社跡の石碑は初めて見ました。
これから先、後継者不足などの事情で"廃神社"が増えると、この様な石碑が建つのでしょうね。
八幡神社。
広々とした境内で休憩していると、見慣れない大きさと形の生き物が、ヒョッコリと現れました。鹿だと思われます。
石積みの上の地蔵堂、大きな石を組み合わせて造られています。
赤い暖簾が掛けられていて中が見えません。
道がわかりずらく、いつの間にか北陸道の上り線下り線の間の道を歩いていました。行き止まりにならない事を祈りながら、暫く歩いたら地下道があり無事に脱出成功。
5.柳ケ瀬宿
家の前の水路には野菜などを洗うための洗い場がありました。
上の画像中央右側の階段近くをよく見ると、洗い場に水を堰き止め板を挟む溝があります。
その溝に板を挟むことによって、水が詰まる様になっています。
洗い場の名残り、野菜などを洗うタイルの台が置いてありました。
八幡神社の境内に入ると、入母屋屋根の個性的な拝殿に目を奪われていると、その左側には本来は寺にあるはずの鐘楼(しょうろう)がありました。
明治時代の政策で、神社から仏教色を払拭する、廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)を乗り越えて来たのでしょうか、非常に珍しい光景です。
大山道を歩いていた時に、神奈川県西部で、鐘楼がある神社を見る事ができました。
大山道を歩いた時の記録はこちら↓
稲刈りをしています、もう秋ですね。
6.余呉
ちょうど下校の時間に市立の小中学校前を通りがかると、バス2台とタクシー1台が児童生徒たちを送迎し始めました。市内の学校を合併する代わりに、公費で送迎経費を負担しているものと思われます。
人口減少の時代、機能を1カ所に集中し移動の負担を公費で賄う、教育現場の取組みの現場を目にする事が出来ました。
少子高齢化の課題先進国である日本が実践しているひとつの事例ですが、更に先を考えると、人が住まなくなる廃村の様な地域を定め、自然の姿に戻す、そんな時代が来るのかもしれません。
黄色いリュック型ランドセル。
テレビのご当地特集番組で紹介されていました。
京都では当たり前らしく、お隣の滋賀県にも普及してるのですね。
家々の間に張り巡らされている水路、美しい光景ですね。
バケツでスイカを冷やしてます。
旧余語小学校解体工事現場。
文化財級の校舎なので、何らかの形で保存すると思われます。
菊水飴本舗。
ただならない雰囲気、自宅の土産に購入したいのですが旅はまだ続くので見送ります。
意波閇(おはせ)神社。
階段を数段昇り鳥居を通り過ぎた瞬間から、神聖な空気が張り詰めていました。広々とした広場の先に石垣が積まれ、その上に社殿が建てられています。
7.木之本宿
賤ヶ岳SAの飲食店の幟がでています。外からも入れる様で、駐車場までありました。
本日はここまで。
札ノ辻付近の路面は、ヨーロッパの道路のように、ピンコロ石と呼ばれる9cm四方の石を円形に美しく並べて舗装されています。
国内でヨーロッパ風の石畳の車道は、殆ど見た記憶がありません。
街道を歩く際は、小さなショルダーバック一つなので、毎日洗濯をします。
宿泊施設に洗濯機が無い場合は、部屋の風呂や洗面所で洗っていましたが、本日の宿は、風呂と洗面所が共同利用のため、街道歩きで初のコインランドリー利用となりました。
宿から1kmも離れており、周りに何も無いので終わるまでぼ~と過ごしました。そんな時間も大切ですね。
店の女将さん、バイタリティーに満ち溢れていて、60歳位から店をめ、かれこれ10年になるそうです。今はゲストハウスをつくるのが目的で、夢は口に出すと実現すると、何度も仰ってました。
夢を聴かれたので、「65歳で街道作家デビューです!」と宣言しました。
北陸道最後の宴は、滋賀県の料理と酒を堪能し、人生の先輩からパワーを授かりました。
ありがとうございました、また来ます!
さぁ明日で北陸道も最終日、しっかり寝て臨みます。