陸前浜街道2 多賀→磯原
2023年に福島浜通りを訪れた際に聞いた衝撃の一言。
「昨年、11年ぶりにに歩行者が道を歩けるようになった」
11年間も人が歩けなかった道があったなんて、深く考えさせられ決めました。
「よし、年明けは浜通りを歩き、歩く事で街道に人流を復活させよう!」
ということで、2年前に江戸から水戸まで歩いていたので、その続き"陸前浜街道"を宮城県岩沼宿まで歩く事にしました。
2024.02.24
1.多賀
昨日の雪の天気から一変して、今日は雲ひとつない快晴。
清々しい気持ちで歩き始めます。
相馬碑。
相馬将士の供養塔、参勤交代の際は相馬藩主が拝礼をしたと記されています。
この碑をみていると、往時のそんな風景が目に浮かんできました。
街道沿いで、増えている業種がコインランドリー。
街道沿いで、よく居抜かれている業種がコンビニエンスストア。
居抜き物件の象徴的な風景でした。
ボウリングのピン、希少な存在になってます。
2.助川宿
エリア38。
横断歩道を渡る歩行者の、保護意識を高めるアリア。
名の由来は道路交通法38条にある、「車両等は、横断歩道等に接近する場合は、その横断歩道等の直前(停止線の直前)で停止できるような速度で進行しなければならない」から来ています。
街道歩きをしていると、道の反対側に遺構があるが、なかなか道を渡れない事が多々あるので、この考え方がもっと普及して欲しいものです。
日立社員販売取扱店。
なんだろうこの店は、気になります。
日立市内の昔ながらの喫茶店で朝食を、と思い歩いていましたが、朝から暖簾を出していた定食屋風の店があったので、暖簾をくぐるります。
なんとそこは朝から飲める店の様で、ビールを飲んでいるお客さんの隣でカキフライの朝食。
600円でこの量は半端ありません。
助川海防城。
鎖国の頃に異国線の侵入を防ぐために、高台に築かれた城。こういう目的の城もあるのですね。
御祭神である武甕槌大神が、神鹿と共に笑いながら食事をしています。
隣の表示には、
「神の笑みにより人は運を開く」
と記されていました。
良い神様ですね。
助川ささら。
日立地方では獅子舞の事をささらと呼び、集落ごとに祭事が執り行われています。
私は埼玉県に住んでおりますが、確か熊谷市でもささら祭りがありました。各地にありそうですね。
全く関係ありませんが、埼玉県川口市には、”たたら祭り”という祭があります。
たたらとは、工場の溶鉱炉に空気を送り込むのに使われる機械の名称。
川口は日光御成道の宿場町で、江戸期より鋳物業が盛んだったそうです。将軍が通った日光御成道を歩いた時の記録は↓
日立市役所。
なんだか日立の工場みたいです。
そういえば日立製作所の創業のきっかけ、考えた事がありませんでした。
調べてみると創業者は小平浪平。発電技術の仕事をした後に、久原鉱業所日立鉱山に入社。輸入品に頼っていた鉱山周辺の発電や機械の技術を、これからは国産にすべきと、自前で技術開発を続けた結果、日立製作所を分社し現在に至っています。
創業者の小平浪平は、1874年に栃木県栃木市都賀町合戦場で生まれています。
合戦場宿は日光例幣使街道の宿場で、生誕の地を記録に収めていました↓
街道を歩いていると、様々なつながりがありますね。
日光例幣使街道を歩いた時の記録は↓
ユネスコ無形文化遺産 日立風流物。
日本のさくら名所百選のひとつ、かみね公園とJR日立駅前の平和通りで開催される、日立さくらまつりで見る事が出来ます。
高さ15mの山車の上でからくり人形の芝居が催され、桜と一緒に楽しめます。
ささらの説明が、また出てきました。
陸前浜街道では、遺構がほとんど残っておりませんが、坂道の前後に馬頭観世音や馬力神の石碑が建っています。
ハワイアンズの広告。
ハワイアンズとは、福島県いわき市にある温泉リゾート、スパリゾートハワイアンズ。
昔は常磐ハワイアンセンターと呼ばれ、私は茨城県民でしたので、家族で遊びに来た記憶が鮮明に残っています。
本日の朝食で入った店、カウンターの隣の常連さんたちの会話で、結婚25周年に家族でハワイアンセンターに行こうか、などと盛り上がってて、ホッコリしました。身近な存在なのですね。
3.田尻宿
ENEOSにつられて進んでいたら左折し忘れて直進していました。
こんなとき、街道歩き最初の頃は、曲がり損ねた場所まで戻っていました。
しかし最近は、往時の旅人もきっと道を間違えて、適当に街道に戻っていたに違いないと言い聞かせ、適当に道を進んで街道に合流する様にしています。
新興住宅地の中を抜けて、街道に戻りました。
入母屋屋根 平屋 家紋付きの家。
この付近の伝統的な建物の家には、平屋の上段の大棟と呼ばれる部位に家紋が付いています。
様々な街道沿いの建物を見てきましたが、初のケースでした。
4.小木津宿
高齢者用信号。
白い押しボタン箱が設置してある信号で、これを押すと歩行者の青の時間が長くなります。
上の画像の様に、坂をまっすぐ降りた真正面に海がみえる風景。港町ではよく見ますが、街道ではありそうでありません。
記憶の中では一カ所だけあり、そこは東海道白須賀宿の潮見坂。
西から東海道を歩き江戸を目指す道中、初めて太平洋眺められる絶景ポイントです↓
潮見坂を歩いた時の記録はこちら↓
海辺の集落に着きました。
太平洋を眺めながらの街道歩き、楽しみです。
5.河尻宿
サーファー。
好きだったら、寒いけど寒くないのでしょうね。
私は街道歩いている身ですが、なんとなくわかります、いやいや、よ〜くわかります。
だって、楽しいんですもの!
川尻宿の中心部には、漁港があるわけでは無いのですが茨城百景の海水浴場があり、個性的な建物がポツポツと建っています。
この先は、街道が工業団地に寸断されておりその東側を迂回して進むのですが、ご褒美として横穴墓群の遺跡を楽しむ事が出来ます。
木造の橋、テンション上がりますね!
木造の橋といえば、西国街道の関戸宿にある錦帯橋は見事でした。
橋の前後の街並みと流れる錦川の美しさや鵜飼などを含めて、感覚的に世界遺産レベルです。
詳しい記録は↓
横穴墓群。
素晴らしい保存状態です。
6.井師町宿
坂の上の街道。
高原のような開放感、どこまでもこの風景が続いて欲しいと願いながら、一歩一歩進みます。
街道のキャベツ畑といえば、新潟から北国街道を歩いた際の、長野県御代田町。見渡す限りのキャベツ畑は圧巻でした。
街道のキャベツ畑、もう一カ所ありました。
東海道を京から江戸に向かって歩いた際、愛知県と静岡県の県境付近がキャベツ畑だらけでした。
北国街道・東海道のキャベツ畑の記録は↓
7.高萩宿
サザコーヒー。
茨城県ひたちなか市が発祥。1969年に元の運営会社、勝田宝塚劇場がコーヒーの販売を開始し、現在では茨城県内・東京都内などに17店舗に増やしている。
桝形バス停。
かつて街道の桝形がこの付近にあったのかも知れません。
バス停の名称は現在の地名には無いが、過去にあった何かを、知ることができる貴重な情報源の宝庫です。
畳美術館。
全国から集まる畳職人の全寮制の訓練校に併設されている畳の美術館。
気になります。
8.足洗宿
ドローンの免許が自動車学校で取れるのですね。
国道6号沿いの単調な道を淡々と歩いて来ました。
この単調な風景はどこまで続くのだろうか?
9.磯原宿
本日はここまで。
今夜は磯原駅前のビジネスホテルに宿泊します。
家庭的な居酒屋のカウンターで、隣に座っていた高萩在住の23歳のお兄さんと、ゆっくり話をしていました。
ディズニーランドが大好きで、パレードをみながら踊る、かなりのオタクの様です。