西国街道21 厚狭宿→赤間関〔完〕
本格的に街道を歩きはじめて3年目、夏は歩く時間がまとまって取れるので、ぐいぐいと街道を進む事が出来ます。1年目は中山道、2年目は北国街道・三国街道、3年目えに選んだ道は西国街道。
真夏の京都から下関まで約570km、猛暑との共存も年々コツを得てきましたが、身体と会話しながら西を目指します。
2023.09.16
1.厚狭宿
本日のルートはスタート後、しばらく飲食店やコンビニが無いので、昨夜の居酒屋で握ってもらいました。
コンビニのおにぎりも美味しいですが、居酒屋おにぎりも個性豊かで美味しいです。
お祝い夢花火。
結婚・出産・還暦などの祝福や、企業PRなど、メッセージを込めた花火を打ち上げる、企業だけではなく市民も参加出来る秋の花火大会。
花火大会といえば、ちょうど一週間前に新潟県片貝町の花火を観に行きました。花火大会ではなく神事で、町内にある浅原神社への奉納煙火。
江戸時代中期以前から続いており、老若男女問わず様々な思いを込めて花火を奉納します。
今回は片貝の知人からお誘いを受け、家内と次女と三人で訪問。
ご自宅で宴をしてから会場に歩いて向かいます。お父さんの手打ち蕎麦絶品で、娘は今まで食べた蕎麦で一番おいしかったとべた褒めでした。
おそらく8割以上が、個人が奉納金を納めて打ち上げており、親戚一同がお金を出し合っての還暦祝い、同窓会一同による厄払い祈願、親が出生祝いに、男性が結婚のプロポーズ、必ず打ち上げる前に、アナウンサーが上手に説明します。
四尺玉は世界一の大きさ。
三尺玉以上は百万~数百万円、片貝の皆様は、花火に全てを注いていると言っても過言ではありません。そんな大玉を2日間にわたり、惜しげも無く打ち上げる神事です。
花火奉納者は、打ち上げる際に特設舞台で、祈りを捧げながら、「あっがーれ!あっがーれ!」と掛け声をあげたりしながら花火を見つめます。
三尺玉四尺玉が爆破する瞬間は、腹の底に波動が届き、その感覚がいつまでも身体に残ります。素晴らしい花火でした。
ご招待頂いた須田さん、ありがとうございました。
さて、街道に戻ります。
スタート地点は区画整理されており、街道の跡形もありません。
三年寝太郎、厚狭の英雄は保育園の名前にもなってます。お昼寝の時間はみんな、さぞかしよく寝る事でしょう。
幸神石碑の隣で、健康的なご婦人2人組がウォーキングの合間のストレッチをしています。
ご挨拶して、気になっていた石碑に巻いてある注連縄について尋ねると、毎年春頃に巻いているそうです。どの様な儀式をするのか見てみたいですね。
京都から歩いてきたと話したら、絶句していました。
朝の涼しい風が心地よい、美しい里山風景の中を進みます。
2.蓮台寺峠
この先、蓮台寺峠を抜ける山道があります。歩けは最短最速ルートで5kmですが通行困難で引き返すリスクがあり、舗装道路を歩けばノーリスクで7~8km。
畑仕事をしていたお父さんに、最近歩いている人を見かけましたか?と聞くも、見たけれども峠を越えたかはわからないとの返事。
今回の西国街道では二度峠道で痛い目にあっています。
二度あることは三度ある、今回も無理して峠を攻めて、途中で引き返す事になると、今日中に下関に付かなくなりそうなので、遠回りの迂回路を選択。
このフクロウは何なんのでしょう。
ソーラーパネルがついてます。目が夜になると光るのかなぁ…
収穫した稲を天日で2週間くらい干すことを、"はさかけ"と呼びます。
地域によって干し方が様々なのですが、ガードレールに掛けているのは初めて見ました。
長閑な風景でほっこりします。
もう秋ですね。
ちなみに彼岸花の毒は球根にあります。
景色が美し過ぎて、街道の迂回路を歩いている事を忘れてました。癒される風景が続きます。
上の画像の白い自動車の運転手さんが、何処まで行くんだ?載せてくよ〜
と声を掛けてくださり、歩くのが目的なのでお気持ちをありがたく頂戴しますと、丁寧にお礼。
本当にありがとうございました。
3.吉田宿
萩に行く追分、萩往還にますます行きたくなってきます。
奇兵隊ランチ。
どんなメニューなのか、食べるだけで気合いが入りそうですね。
騎兵隊とは、江戸時代後期の幕末に結成された長州藩の部隊です。
4.木屋川
木屋川吉田河川公園。
眺めが良く、ソロキャンプを楽しんでいる人がいました。
街道を歩いていると、除草作業をしている草刈機のエンジン音をよく聞きます。草がよく伸びる梅雨から秋にかけてがピークで、蝉の鳴き声と同じ様な時期に聞こえる、街道の音の風物詩。
草を刈るみなさんのおかげで、快適に歩けますし、こまめに草が刈られている里山の風景は特に美しいです。
ずっと一緒に歩んできた山陽新幹線の姿も見納めかもしれません。
終わりが近づき寂しくなってきます。
5.間の宿 小月
鳥居の上の石。
かなり大きな石が乗ってます。こうなると投げたのではなく、置いたのでしょうね。
日本一の庚申塚。
確かに大きい!注連縄がかけられており、迫力が倍増して見えます。
庚申塚とは、60日毎に訪れる庚申の日に、身体の中にいる三尸虫(さんしちゅう)という虫が、寝ている間に天帝にその人の悪事を報告しに行こうとするのを阻止する為に、寝ないで酒宴を開いたり、勤勉したりして過ごす場所。
西国街道では殆ど目にしませんでしたが、山口県に入り増えてきました。
この付近が、間の宿小月の中心地。
萩へ向かう街道との追分もあり、往時は賑わっていたと思われます。
木製電柱。
時速4kmで歩いていると、様々なモノが目に飛び込んできます。
その一つが木製電柱。何か普通ではないオーラを放っているのか、不思議と気が付きます。ペタペタと検印証が貼ってありますが、いつの日付かは判別不能。
まだまだ現役で頑張っている姿に励まされてます。
清末八幡宮。
赤い屋根の回廊があり、首里城の様です。
首里城といえば、私が沖縄に単身赴任中の2019年10月31日、首里城の正殿などの建物が焼失する事故がありました。
内地ではどの様に報道されたかはわかりませんが、沖縄の人たちは犯人探しに躍起になりません。吊し上げる様な報道もしません。
私はそんな沖縄の人たちの心が好きでした。
下の画像3枚は、火災一年後の首里城の様子。正直火災の直後は、何故かわかりませんが、恐れ多くて近寄れませんでした。
道端に竹と紙垂が立てかけられてました。
紙垂と書いて"しで"と読みます。
山口県に入り、どこかの峠道でも見かけました、何を祈っているのでしょうか。
最後の昼食。
西国街道21日間の昼食、ラーメンとビールを貫きました。
原則は普通の醤油ラーメンなのですが、山口県に入ると九州の文化圏に入り、とんこつラーメンやちゃんぽんを食べましたが、ラーメンはどこに行ってもあるものですね。
山陽本線もそろそろ見納め。
神戸駅が起点で、西国街道は神戸駅のロータリーをかすめてました。
神戸を歩いている頃が一番熱くて、熱中症にならない様に、身体を冷やしながら慎重に歩いてました。
神戸駅の画像を一枚紹介します、見るだけであの時の熱さが蘇りました↓
珍しい、緑のコカコーラ自販機です。
自販機が置いてある、かえるのコインランドリーは、下関市内で何店舗か目にしました。
6.長府宿
土壁の家。
突然土壁の家が増えてきました。
かなり年季の入った壁が歴史を感じさせます。
忌宮神社。
忌という漢字が入ると、ドキリとしますね、"忌宮"と書いて"いみのみや"と読みます。古代に中国から蚕種が渡来した伝承の地、凄い場所ですね。
小串屋。
毛利藩のお抱え宿、高杉晋作や乃木将軍が通った、下関で最も歴史がある老舗料亭。建物全体からオーラが溢れ出ています。
壇具川が現れると、突然宿場町らしい雰囲気が出てきました。
川に沿って歩いていきます。
壇具川沿の石畳道と周辺のお屋敷街、見事な景観でした。
只今の時刻17:04。
下関赤間関まであと8km。
時間に余裕がないのですが、上の画像の案内図の、古江小路のイラストを見る限り、少し散策した方が良さそうなので、寄り道をしてみます。
総社とは、平安中期以降に国府が置かれた地に、その地域の神社を統括する神社のを総社と呼んでいた。
この付近の現代の地名は惣社町、総社は残っていない様であるが地名として残っています。
素晴らしい景観!
引き返して寄り道をして、本当に良かったです。
そういえば長府の街に入ったら、年季が入った練塀の屋敷が急激に増えましたが、昔は街中の家々は土壁が主流だったのでしょうね。
練塀。
意識したことがありませんが、これから街道を歩く際に練塀を見る度に、長府古江小路を想い出す事でしょう。
7.雷雨と下関
街道を歩いていると、赤以外のポストに出会います。水色のポストは斬新ですね。
過去に街道で出会った、茶と白のポストを紹介します。
終点の赤間関を目前に、街道は山間部に入り、途中からかなり激し目の雷雨に見舞われます。
全国屈指の落雷多発地帯、茨城県・栃木県で四半世紀生活してきたので、庭先に落雷し突き上げる様な地響きを経験したり、目の前の電柱に落雷し火柱が上がっていたり、日光杉並木に落下し倒木で道が塞がれている光景などを見てますので、恐ろしさはそれなりに体感して来ました。
しかし、それは全て建物が自動車の中、今歩いている場所は屋外の山道、とにかく逃げ場が無いのです。推定距離で100~300mの範囲で、轟音と共に、3発落雷しています。
今のこの状態で、落雷確率が高そうな場所を考えると、
1位:電柱
2位:木
3位:私
この後、避難所となる軒先まで彷徨った、死と隣り合わせの20分間は、一生忘れません。
彷徨いながら、人生で初めて死を意識しました。
脳裏をよぎったのは、
もう55年生きたし、いいか
子ども三人も成人したし、いいか
家のローンは保険で賄えるし、いいか
好きな街道歩きの最中だし、いいか
天国に行けば両親居るし、いいか
今置かれている状況を正当化するかの様な、いいか・いいかの連発。そんなこんな考えながら、街道の前方を物凄い形相で睨み、俺は死なないと、唱えながら歩きました。
ようやく逃げ込めた郵便局の軒先で呆然と雨を眺め、やがて雷雲が九州方面に遠ざかって行くと、雨が小降りになって来ました。
その時です、雨の彼方に関門橋の姿が、ぼんやりと浮かび上がって来たのです。
頭の中が恐怖で真っ白になっており、あと少しで終点の赤間関である現実に引き戻されました。
下関中心部が近づくと、建物が密集しており、街の雰囲気が変わって来ます。
先程の雷雲が九州に上陸し、空を輝かせていましたので、適当にシャッターを切った時に映った1枚がこちら↓
先程の試練は、街道の神様が人生は甘くないと訓示をくださったのか、手洗い祝福だったのか、両方だと解釈することにしました。
航行管制信号。
潮流を表してます。
数字:潮流の速力 単位はノット
EW:E東への流れ W西への流れ
↓ ↑:↑今後速くなる ↓今後遅くなる
8.赤間関〔完〕
只今の時刻は18:38。
心地良い波の音と船のエンジン音が静かに交錯し、塩の香りと船舶の燃料の匂いが漂っています。
海の向こうに見える夜景、規模感は別として、30.40代の頃に行った香港や上海で感じた空気感と全く同じ、その時の光景が蘇って来ました。
赤間神宮の水天門。
1957年に竜宮城をイメージし建立。
翌年に昭和天皇・皇后両陛下が通り初めをされてます、凄いですね。
この付近は商店街を抜けるのですが、どの道が街道かよくわかりませんので、終点まで適当に歩く事に。
そして終点はあっけなく現れます。
2023年9月16日19:24
終点に到着、私の熱く長い夏が終わりました。
ここまで支えてくれた、両脚と丈夫な身体と、励ましてくださった皆様、街道の神様に感謝申し上げます。
宿に到着。
ルーティンの洗濯と入浴を済ませて、夜のパトロールに、1人で打ち上げをして参ります。
一軒目では、萩のお酒と甘口醤油で新鮮なシマアジを嗜みながら、旅の想い出に浸ります。
カウンターのお隣のカップルから、おつまみを頂いたりして、楽しいひとときでした。
自分にご褒美で、二軒はしご。
二軒目を出て歩いていたら、同じ店のカウンターで飲んでいたお兄さんが、私が店に忘れてしまったスマートフォンを、100mくらい追いかけて走って来てくれました。
あぁ感謝感謝、心地良く眠れました。
西国街道、ありがとうございました。〔完〕