三国街道6 湯沢宿→六日町宿
北関東で育ち・育てられ、越後が大好きな自分が三国街道の事を知らなすぎたので、雪が降る前に山を越え、日本海を目指します。
1.湯沢宿
超大型の台風14号が、今朝新潟市上空を通過。
暴風雨が湯沢町にも吹き荒れ、11:00頃まで越後湯沢駅で天候回復を待ち、雨は激しく降ってますが、上越線は動いている事と、風が治まってきたので、出発しました。
川端康成ゆかりの地なので、雪国にちなんだ道標があります。
「トンネルを抜けるとそこは雪国だった」
小説の一文がここまで有名な作品は、なかなかないと思います。
2.台風14号
今朝乗ったタクシーの運転手さんと、台風14号は伊勢湾台風よりも中心気圧が低かったとか話をしていたら、伊勢湾台風の時、湯沢の一部の集落のほとんどの家の屋根が吹き飛ばされたと、話をしてました。
上越線が元気に走っていたので、大丈夫そう。
雨の中ぼ〜っと国道17号を歩いていたら、左下にどう見ても旧道と思われる道が見えるではありませんか。
あぁ〜、こんな時、損したなぁと心底思います。
雨は降り続きます。
もう台風過ぎたしいいんじゃないかと、勝手に思ってしまいますが、雨はやんでくれません。
3.子之権現
途中に、たくさんの草鞋が掛けてある祠がありました。説明看板が無いのでなんだかわかりませんが、存在感抜群です。
再び草鞋がたくさんか掛けられている祠、子之権現が現れます。
昔江戸に向かう旅の途中で、三国峠を前に、旅人が新しい草鞋に履き替えた場所。足を丈夫にする神様であり、腰から下の病気を治す神様でもあります。
街道を歩き、脚を大切にする身としては、本日一番の、感動の出会いでした。
石打丸山スキー場のゴンドラが、元気に動いてました。上にはお花畑でもあるのかもしれません。
スキー場では夏のことを、グリーンシーズンと呼び、どうやってスキーのオフシーズンに稼ぐか、様々な工夫をしてます。ゴンドラの上に、何かがあるのでしょうね。
4.関宿
お地蔵さんが、道中あちこちで、大切に祀られている中、越後屋酒店が異彩を放ってました。
外から一瞬覗いた程度ですが、緑川・久保田・鶴齢・八海山などが厳選され並んでます。ここまでシンプルな酒屋さんは見たことありません。
関宿は、戦国時代に関所が設けられてましたが、江戸時代に入ると、本陣・脇本陣は置かれず、宿場としての機能は持たなかった為か、宿場町の雰囲気があまり残ってませんでした。
5.蒲鉾倉庫
雪国独特の蒲鉾の形をした倉庫。
いろんなタイプがありますので、勝手に命名して紹介します。
蒲鉾倉庫は、外見だけでなく、内部の構造も多種多様なのでしょうね。
乗り物や小道具が並んでいる、男の秘密基地をイメージしちゃいます。
6.田中角栄レガシー
横道に逸れて昼食に行こうとした店を、500m位通り過ぎてしまい、わざわざそこまで戻ったら、やっていなかった。
そんな事が先程あり、物凄くショックを受けてしまいました。
街道を歩いていると、10mだけでも無駄な歩きをするだけで、脚に申し訳ないと謝ります。
関越道をくぐった先にある、"拓関越"と掘られた石碑には、田中角栄さんの事が記されてます。
「三国峠を壊せば新潟に雪が降らなくなる」という感じの角栄さんの名言がありました。原文を調べると、28歳初選挙での街頭演説での台詞だったのですね。28歳でここまで言い切れるスケールの大きさに脱帽!
三国街道行軍の初日から、雨具が機能を果たさなくなっており、連日ほぼずぶ濡れ状態で歩いてました。幸か不幸か峠道の連続だった為、身体が熱くなっており耐えられましたが、本日は平地で時折台風の風が吹くので、身体が冷え切ってしまいます。
そんな時、排水溝の蓋の上が、ほんのり暖かいに気が付きましたので、怪しく排水溝の上で小休止。ちょっとした知恵ですね。
7.塩沢宿
突然、タイムスリップしたかの様な、雁木の商店街が!小学生がワイワイ下校していきます。
塩沢の雁木の商店街に入る直前に、職場とメールのやり取りをしていたら、塩沢を通るなら、鶴齢という美味しいお酒があるよと、教えてもらったら…
ドンピシャとは、こういう事を言うのでしょうね、目の前に鶴齢の暖簾が!
入らないわけには行きません。
店員さんと長々とお話しして、今夜のお酒とお猪口を購入。
青木酒造の女将さんとお話してたら、道路の拡幅があり、それほど観光客を意識せずに立て直したら、結果的に観光地になっていたそうです。
後から建て替えたとしても、ここまでどっしりとした街並みが造れるのは、個々の建物が、元の素材を大切に立て直したからでしょうね。
塩沢宿は見応え十分、台風で昼頃の出発となり、短くなった歩行距離を満足させるには、十分お釣りがでました。
さて、後少しで本日の宿を予約した、六日町宿です。台風で出発がお昼前だったので、今日はあっという間でした。
8.六日町宿
清水街道とは、戦国時代までは江戸に向かう街道でしたが、江戸時代になり、三国街道に主役の座を明け渡しました。
地理的に上越線の清水トンネルと、上越新幹線の大清水トンネルと、関係あるのかもしれません。
漬物の鴻池屋さん、先程塩沢宿の青木酒造の方がお勧めしてました。クリームチーズの粕漬けが、ワインやお酒のお供に人気の様です。
にっぽんの宝物グランプリで、第1位に選ばれていると、お店のホームページで紹介されてました。
越前屋旅館。
江戸時代から続く旅籠で、女将さんと話をしていたら、大火事で昔の建物は焼けてしまったのですが、別の場所から当時の献立が発見され、現代語訳した書類を見せてもらいました。
若旦那は、田中角栄さんが若い頃来たんですよと、嬉しそうに語ってました。今回の道中では口述で2回、石碑で1回の登場です。
前々回の東京オリンピックの時の聖火ランナーが宿泊したとか、街道は歴史と文化がレガシーとなりいつまでも残る、人や物を運ぶだけではない、後世に残さないといけない大切な遺産ですね。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?