陸前浜街道3 磯原→湯本宿
2023年に福島浜通りを訪れた際に聞いた衝撃の一言。
「昨年、11年ぶりにに歩行者が道を歩けるようになった」
11年間も人が歩けなかった道があったなんて、深く考えさせられ決めました。
「よし、年明けは浜通りを歩き、歩く事で街道に人流を復活させよう!」
ということで、2年前に江戸から水戸まで歩いていたので、その続き"陸前浜街道"を宮城県岩沼宿まで歩く事にしました。
2024.02.25
1.磯原
野口雨情生家。
♪七つの子、♪赤い靴、♪シャボン玉、♪十五夜お月さん、知っている歌がたくさんあります。
そういえば、奥州道中の氏家宿に野口雨情の石碑がありました。氏家宿の隣・喜連川宿には野口雨情の奥様の実家があったため、何度か訪れていたからだと思われます。
氏家宿を歩いた時の記録はこちら↓
看板な文字の看板。
昨日みた運送会社の看板も独特な文字でした。
常陸大津の御船祭の横断幕が飾られています。
御船祭とは、佐波波地祇(さわわちぎ)神社で、五年に一度開催され、海上の安全と大漁を祈願する春の例大祭。見どころは10トンの船が町中を練り歩く曳き船の儀、国指定重要無形民俗文化財に指定されています。
2.二ツ島
二ツ島。
なず一ツなのに二ツ島なのか?調べてみると、以前は北の島と南の島2つの島があったから。東日本大震災前の影響で、現在は南の島は崩落し、北の島がかつての3分の2の姿になって残っています。
すき家。
初めて入りましたが、メニューの豊富さに感動しました。子ども向けメニューがあったりして、もはやファミリーレストランです。
海洋センタープール。
笹川良一さんが作ったそうです。
東海道を歩いた際に、日本橋と品川宿の間で、笹川良一さんが母を背負っている銅像と出会いました。
↑この日は、街道歩きのバイブル的な書籍、ちゃんと歩けるシリーズの著者、八木牧夫さんのご自宅を始めて訪問する日でした。
ちゃんと歩けるシリーズは、五街道と伊勢参宮道・善光寺街道が山と渓谷社から出版されており、五街道を歩いている人の半分が持っていると思われます。
八木牧夫さんのご自宅が神奈川宿にあるので、せっかくなので日本橋から歩いて行こうと、30年ぶりに東海道を歩いて行きました。その日の記録はこちら↓
独特な文字の看板。
磯原付近から、みたことがある様なない様な、独特な文字の看板が増えてきました。ご当地の有名な看板屋さんがあるのでしょうか?
鳥居越しに見える列車って、絵になりますよね。
鳥居の目の前に線路があり、かつタイミング良く列車が走る姿を撮影できるチャンスは滅多になくて、記憶の中では東海道小田原宿と湯本の間にあった、牛頭天皇神社の参道から眺めた小田急電鉄、これがロマンスカーだと絵になるのでしょうね。
牛頭天皇神社から、小田急電鉄を眺めた日の記録はこちら↓
サザンカとツバキの見分け方。
それは花がバラバラに散るのがサザンカ、花ごとボテっと落ちるのがツバキです。
3.平潟港
独特な文字の看板。
上の画像の看板、中段の看板が一連の独特な文字の看板。上段と下段の看板はその派生の様に見えます。
こんなにたくさん旅館・民宿があるのですね。
海水浴場があるわけでもないのに、釣り人向けか漁業関係者向けでしょうか。
独特な文字の看板。
このトラックに描かれている姿、どこかで見たことがある様な気がしたので、”北茨城文字 独特”で検索してみると驚きの事実が!
磯原にある、すずき工芸社が手掛ける看板の書体がその正体で、通称”すずき文字”とも呼ばれているそうです。
デコレーショントラック、通称”デコトラ”の車体や看板に描かれている文字によく使われており、デコトラオーナーに人気で予約が3年待ちにもなるとか。
小学校の頃、菅原文太主演の映画、トラック野郎シリーズをよく観に行っており、プラモデルを作る位デコトラが大好きでしたので、大満足です。
砥上屋旅館。
あんこう料理も食べることが出来る様で、次回来たときは食べてみたいです。
平潟港は福島・茨城県の太平洋側で唯一の天然の港。
港町としてのはじまりは江戸時代初期、仙台藩が年貢米を江戸へ運ぶ際の寄港地として築港され、明治に入り鉄道が開通するまでは、物流の拠点として大いに賑わったそうです。
冬が旬のあんこうは、“西のふぐ、東のあんこう”と並び称される高級魚。
かつて漁師があんこうを食べていた”どぶ汁”が、後のあんこう鍋とななりました。平潟はあんこう鍋発祥の地でもあります。
この付近の海域は寒流と暖流がぶつかり、大量のプランクトンが発生するため、おいし魚が水揚げされます。
常陸国(茨城県)と磐城国(福島県)の沿岸で獲れるため、常磐ものと呼ばれ、近年脚光を浴びていいます。
常磐ものの名の由来をみて今更ながら気付きましたが、陸前浜街道と並行した走る常磐線の名の由来は、常陸と磐城の名をとっていたのですね。
本日は日曜日ですが、漁船が港に見当たりません。
漁協では船の帰りを待っている人々が集まり始めている感じでしたので、漁がおこなわれているのですね。一番最初に帰港する船の姿が見えました。
平潟洞門。
洞門とは山道を歩きやすくするために、切り通し状に山を掘削した道。
街道の峠道で時々目にしますが、なかなか気が付きません。
長崎街道の難関、日見峠に明治新道と呼ばれる見事な切通しがありました。
150mくらいの距離なので2分くらいで歩けますが、峠道を歩いたところ20分かかりましたので、1/10の時間短縮効果、凄いですね。
長崎街道日見峠越えの記録はこちら↓
温泉スタンド。
この様なものがあるのですね。
勿来海水浴場。
夏場は賑わいそうな感じのビーチでした。
4.勿来関
街道からそれますが、折角なので勿来関に向かいます。
勿来関跡は推測の場所の様です。
風船爆弾打ち上げ基地跡。
基地は福島・茨城・千葉県にあり、偏西風を利用して太平洋を横断し、時限装置でアメリカ本土を空襲したそうです。
5.関田宿
見事な街道松が残っています。
道もリスペクトして松を迂回しており、ふり返ると道のど真ん中に立っている様にみえます。こういった風景、良いですよね。
八坂神社。
1200年前の創建の歴史があり、地域方々に愛されている様で、境内は隅々まで手入が行き届いていました。
初めて曳家をみました。
工事は日曜日でお休みの様でしたが、なかなか迫力がある光景です。
双葉町の学校の道路標示。
福島第一原発の影響で、近隣の住民が避難していた話は聞いていましたが、この様な道路標示を目の当たりにすると、言葉を失います。
6.植田宿
うどんの昼食。
街道歩きの昼食は毎度毎度ラーメンを食べ続けているのですが、昨夜の飲食店で知り合った、植田出身の若者にすすめられた地元人気の店に入ってみました。
行列に並んだだけあって、つるつるでこしがあり、とても美味しかったです。
二つの木が抱き合うように生えています。
近くに行きませんとどうなっているのかわかりませんが、恋人の聖地になるかもしれません。
単調な道がしばらく続きます。
突然、ゴルフリゾートが現れて驚きました。
かなりお金をかけた様な造り、ホテル・乗馬・いちご狩りが楽しめる総合型リゾートです。
7.渡部宿
八幡神社。
小さな神社の小さな拝殿なのですが、木彫りの龍に鮮やかに彩られていて、今にも動き出しそうでした。
渡部宿は、建物は残っていませんでしたが、道の形状などが宿場町らしく、歩いていて心が落ち着きました。
8.湯本宿
温泉スタンド。
勿来にもありましたが、湯本の温泉スタンドは規模が違います。
業務用なのか市民向けなのか、どんな人が買いに来ているのかが、気になりました。
独特な文字の看板。磯原のすずき工芸社の”すずき文字”、いわきにもありました。
いわき湯本温泉。
ほんのり濁り、身体がほくほくと温まる、気持ちの良いお湯でした。
いわき在住の私の師匠が、とっておきのお寿司をご馳走してくださると、お連れ頂いた店に行きました。
もう味は最高!
ごちそうさまでした。
寝酒は会津ほまれを少々。
さぁ、明日も楽しく歩くぞ!