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教育とはなんだろう。

娘が第一志望大学の総合型選抜に合格しました。
少なくとも、いま彼女が目指しているゲームシナリオライターという目標に近い学部なんだろうと思います。

そしてふと「オレ、親としてなんかしたっけ?」と振り返りました。
そもそも娘には「大学に行け」と言ったことなど一度もないのです。

中学生のある時、妻と進路について話し合ってるのを耳にして、「大学行きたいの?」と尋ねると、彼女は「○○大学に行きたい」と答えました。

それで僕は「自分で考えたのか」と理解し、進路に関しては尋ねられたら答える程度の存在に徹し、今回の試験前に面接のアドバイスをした程度です。

放置という言葉が相応しいかはわかりませんが、娘には自分の人生、あるいは叶えられたかった願望を託すつもりはなく、本人の自主性に任せてきました。
進学より早く目標に辿り着く道があるなら別にそれでいい、と思っていたほどです。

僕は音楽に目覚める中学1年生まで漫画家を目指していました。
そのことを話してないのに、娘は小学生になるとマンガを描き始めていました。

それから中学では「マンガが上手くなりたい」と美術部へ入り、高校では漫画部に入りました。

僕自身、仕事でクソコラやデザインはしていましたが、絵からは遠ざかっていたので、娘に刺激を受けて久々に絵を描き始めました。
iPad miniとApple Pencilを買った2年前からさらに加速していますが、一方の娘はマンガよりも文芸の方に関心を持ち始めていました。

娘の所属する漫画部では、いわゆるコマ割りされたマンガではなく、イラストとショートストーリーによる冊子を代々制作していました。
たぶん冊子作りの過程で、文章を考える方に楽しさを見出したんでしょう。

思えば現在の僕も毎日1万文字以上の記事に目を通し、テキストメディアの編集を苦もなくやれているので、少なくとも読み書きに抵抗はなさそうです。
音楽制作を除けば、マンガからのイラスト、文章、俺メディア作りと、僕が辿ってきた過程をそのまま受け継いでるんだろうと思っています。

科学に疎いので軽々しく「遺伝」と言うつもりはないですけど、万人が好きで取り組むジャンルではないだけに、教えた覚えがないのならそう考えるほかなさそうです。

それで思い出したことが。
以前担当した番組のパーソナリティが、当時高校生になった自身の子について語ってくれたことがあります。

「大人になるうちに直してきた性格を、息子が全部デフォルトで受け継いちゃったんで、自分の若い頃を見ているようでツラい」

その話を聞いたのは娘が小学生になる前後でしたが、それから10年以上経ち、やっぱり遺伝みたいなものはあるんだなと思ってます。
デフォルトというのか、テンプレートというのか。

たぶん娘が小学生の頃、「尋ねられたことには、ごまかさずにちゃんと答えなさい。わからないことは素直に『わからない』と言うこと」と諭したのが、唯一の親らしい助言だった気がします。
それは僕自身が時間をかけて矯正してきたことでした。

そう考えると親の教育というものは、放置しておくと良くない、いずれ直すべき自分の悪癖を、客観的に修正する程度でいいんだろうと思います。

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みくばんP
ラジオ局勤務の赤味噌原理主義者。シンセ 、テルミン 、特撮フィギュアなど、先入観たっぷりのバカ丸出しレビューを投下してます。