公開録音やってみた【赤】
先日公録について書いたんですけど、見返したら「ちょっと意味わかんね」という表現がありました。
そこだけ書き直してもよかったんですが、意外と深いハナシになりそうなので、別投稿としました。
「成熟」と書いたのは、個々のリスナーさんについてではありません。
あくまで『RADIO MIKU』のリスナーを総体的に見た表現です。
仮想リスナー像
2021年の元日に始まった『RADIO MIKU』ですが、開始4ヶ月前にプロトタイプとなる特別番組を放送しています。
上は再放送版の告知ページですが、初回は2020年9月オンエアでした。
この特番から『マジカルミライ2020 TOKYO』でのブース出展を経て、『RADIO MIKU』放送からしばらくの間、番組を支えてくれたのは、超ストロングかつ大人のボカロファンでした。
一方でラジオの電波は、Webと違ってボカロにまるで興味のない方、またいわゆるアナヲタという界隈にも届きます。
気になった人にとっては、翌日・翌週も聴く習慣となるわけです。
そして、番組を始めるにあたり最大のミッションは、リスナー率の低い中高生が聴いてくれること。
企画段階では『セカイ・ステーション』はおろか、ご本尊の『プロジェクト・セカイ』も始まっておらず(初回放送はサービス開始から3ヶ月後)、中高生へのPRはクチコミ頼みでした。
つまり制作上どうしても必要だったのは、ストロングなボカロファンを満足させつつ、ビギナーにも入り込めるわかりやすさの両立でした。
僕も初期の収録では、細かい説明を入れるようアドバイスしたものです。
あくまでパーソナリティ
これらと別に、出演するふたりには別の課題も要求していました。
トーク主体のラジオ番組では、出演者を「パーソナリティ」と呼びます。
原稿を読んで曲名を紹介するだけの「ナビゲーター」なら人間でなくてもできますが、出演のふたりには文字通りの「パーソナリティ」になってほしいと考えていました。
特に斉藤初音アナには「思ったことをそのまま話すように」と伝えました。
ボカロ曲にしか興味がない人には邪魔になる要素です。
しかし出演者の人間性がないものを作るなら、わざわざ手を挙げる必要はないのです。
本題に戻ると、この「誰に向けた番組か?」「誰が喋る番組か?」の2要素のテーゼを許してくれるリスナーの存在を「成熟度」と表現した次第です。
創って当然
そして送り手目線で言えば、『らじみくサミット』『サミット2』の頃は、自分たちで全てやりきることにまだ不安がありました。
やれないことはないけど、たぶんできちゃうんだけど、まだまだ許される状況ではないと思ってました。
この番組を企画した際、ボカロ楽曲界隈特有の文化である「創作の連鎖」を体現しよう、という目論見がありました。
『RADIO MIKU EX』にねじ式さんを講師に迎え「ボカロP講座」をやったのもその一環です。
ただし『サミット2』の頃までは、正直なところ「やってみた」レベルだったと思います。
ラジオ番組が創作側に加わること自体がトピックになる状態だったわけです。
それから1年半経ち、リスナーのみならず番組を見守る人たちの反応から、「創ってるのがデフォ」という空気をようやく感じるようになってきました。
実は勝負だった
今回の公開録音にあえてゲストを入れなかったのも、意識しての試みです。
そして『マジカルミライ』でのブースのように、何かのついでに立ち寄ってもらえるものではありません。
決して便利と言えない新栄なんぞに、わざわざ足を運んでくれるリスナーがいて初めて成立するものです。
実は番組としては、勝負に打って出たということです。
結果としては「やれてよかった」と、ひたすらに思いました。
あとは番組継続がどうなるか、だな。