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自分が面白がらないと意味がねぇんです。

最近、拙担当番組『RADIO MIKU』で「やっててよかったな」と思えることがいくつか続いてます。

そのうちのほとんどがここでは書けないヤバい案件なので、差し支えのないものなど。

パーソナリティの清水藍がディレクションを担当している番組に高校生が出演しました。

まったく別々の日ですが、雑談中ふたりの高校生が初音ミク、もしくはプロセカ好きであることがわかり、そこから彼女が伝道師となる「らじみく」を知ることになったのです。

しかもそのうち一人は、清水がMCを務める『セカイ・ステーション』を聴いていたそうです。

興味本位で覗いた蟻地獄に吸い込まれるように堕ち、アリジゴクの餌食になると思ったら、そのままマントルの中を通り閻魔様が待つ地獄の本殿までスピード輸送されたような感じですかね、例えると。

いや、これはものすごくいい話なんですよ。
『フランダースの犬』の読後感並みに心に沁みるエピソードなんですから、なにしろ。

まさに中高生が『らじごく』もとい『らじみく』に接触してくれて、聴き続けてくれることこそが、僕と清水が番組を立ち上げた最大の動機ですから。

こうしたエピソード、我が職場では『らじみく』以外の番組にもいくつかあって、そういう報告を受けると「これがラジオってものなんだぜ」と口元がゆるむのです。

特に昨秋に立ち上げた番組のうち、スポンサーもつかないうちにスタッフが「何か面白いことを始めよう」とスタートしたものは、その後専門誌から取材を受けたり、自分たちでデザインしたグッズを売り始めたり、スポンサーがついたりという展開になっています。

去年の秋に上の記事に書いた番組が、まさにグッズも作り、スポンサーも付いた番組です。
20-30代に向けた企画と聞いて「オレにはよくわからん」と正直に答えましたけど、自信を持って企画した若手の後輩たちに任せてよかったと思います。

そして、僕らは単にラジオ番組を作るわけではなく、人や企業を繋ぐハブを作ればいいと考えています。
使い古された言葉ですが、面白い「コンテンツ」を作り続けていけばいいんです。

重要なのはただひとつ、作っている当人が心から面白がれるかどうか。
「提供つけよう」「ひと儲けしよう」とか、邪心など最初から必要ないです。
よく設計図をガチガチに固めてないと不安だという人もいますけど、とりあえず勢いで走って面白くなってきたら、後からつければいいのです。

実は『らじみく』も営業的に売れるかはわかんないけど、これまでボカロ楽曲を扱ったどのメディアよりも面白くする自信はあったし、さらに自分がどんどん面白がらせたくなる番組だったわけです。

「初音ミク」について書くと、僕には仕事続きで情報を取りに行けなかった10年近い空白期があります。

でも周年企画を立てる前、娘や清水からあれこれ言われるたびにその間に起こっていた出来事や、関連動画を追っかけて思ったのは、「僕らは飾らず引っ込めず、ありのままを出せばいいんだ」ということでした。

最初は尖っていたシーンも、すごく許容力のあるカルチャーになっているなと感じたのです。

『電磁マシマシ』にせよ『戦国音絵巻』にせよ、僕が作った番組では、聴いてる人はもちろん、自分が楽しむことしか考えてません。
『らじみく』も、いずれ肩肘張らなくてもよくなる自信だけは最初からありました。

悩んだのは「来年4月で終わるだろう」と考えていた一昨年の秋くらいです。
その頃には『らじみく通信』も始まり、『らじみく生』をやりとげ、ボカコレのすったもんだを経て、面白くて仕方ない番組になってたんですね。
だから悩んだんです。

つまるところ、若手も考えることは同じで、まず面白がることから小さな成功体験を積んでいって、また新しいコンテンツが作れるわけです。

僕は疲れたので、新しいことは控えて、今やってることをちょっとでも長く続けるつもりです。
あとは任せた。

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みくばんP
ラジオ局勤務の赤味噌原理主義者。シンセ 、テルミン 、特撮フィギュアなど、先入観たっぷりのバカ丸出しレビューを投下してます。