『RADIO MIKU』の右往左往❶
先日こんな投稿をしました。
じゃあ『RADIO MIKU』は面白くないのか、というわけではありません。
正しくは「日に日に楽しくなってきた番組」です。
先日7クール目に突入したこの『らじみく』ですが、最初の3クール(2021年1月から9月分)を振り返ろうと思います。
出演者はひとりの想定
前にも書いたような気がするんですが(見つけられなかった)、当初『らじみく』の出演者は斉藤初音アナひとりで、清水藍はディレクターとしてサポートし、たまに登場させるつもりでした。
実質9分の帯番組で楽曲を紹介するなら、女性ふたりが喋るにはあまりにも短すぎること、そして3ヶ月後にスタートする『RADIO MIKU EX』では清水がメインとなること、このふたつが理由でした。
さらに清水には斉藤アナのために台本を作り込んでもらい、彼女が登場する時だけアドリブで展開しようと考えていたのです。
ところがクリプトンさんや社のスタッフを交えて制作が具体化する中で、「清水が斉藤アナに闘魂注入する」という案が出てきました。
そこで清水にディレクターも兼任できるか尋ねたところ、まんざらでもなさそうなので、ふたりをMCにすることにしました。
成長と卒業
実はその時、僕のアタマの中には「成長と卒業」というフレーズが浮かんでいました。
このコラボレーションはあくまで開局70周年のキャンペーンでもあり、無制限に「初音ミク」を利用させていただくことはできないだろうと考えていました。
そこでキャンペーンの終了とともに、斉藤アナが清水の指導でめでたく「ミクスパート」になり、そこで番組が終わるというストーリーを描いたのです。
清水にそのことを話した記憶はありませんが、番組では折に触れて斉藤アナの成長を確認するような演出がありました。
清水については、それまでのファンとしての個人的活動や2020年9月の『30分じゃ伝えきれない初音ミク』が認知されたこともあり、特に不安はありませんでした。
一方斉藤アナについては、名前の出落ち感やポテンシャルが未知数だったので、ファンからお飾りに見られないようにしたいと考えていました。
清水も腐心したところだと思います。
そこで初週収録の際、ある程度の台本はあるものの、彼女には「思ったことは正直に話していい」と伝えました。
番組がゆるくなった理由
1月のある時、エンディングを自己紹介で締めた後で、清水がトークを始めてしまいました。
斉藤アナもリアルに反応してしまい、なんとも締まらないエンディングとなりました。
ふたりはNGだと考えたようです。
「もう一回録り直した方がいいですよね?」
そう尋ねてきた清水と斉藤アナに、僕は「ラジオっぽくていいじゃん」と返し、その回はそのままオンエアしました。
いま思えば清水は『30分じゃ伝えきれない初音ミク』までの間、僕と仕事をしたことがほとんどありませんでした。
もちろん職場の同僚としてバカ話はしてましたが、ディレクターとプロデューサーの関係において、僕がどういうタイプなのか、あまりわかっていなかったと思います。
『らじみく』はリクエスト曲以外の余白(この場合はパーソナリティが個性を発揮する箇所)が大きいので、面白い展開が起こればそれを伸ばす方向でいいと思っていました。
この余白は、当事者ではない僕が「こうしなさい」と言って埋まるものではありませんが、第三者として聴いて面白いと思ったら、それを伝えるのが僕の仕事だと思っています。
果たして、この回のエンディングはTwitterのタイムラインで好評だったため、清水もかなり安心したようです。
そしてこの回をきっかけに、ふたりは「ここまでやっていいんだ」との感覚が掴めたようで、3月にかけてそれまで固さのあった番組が徐々にゆるくなっていくのです。
ボカロネイティブに申し訳ない
『RADIO MIKU』はボカロネイティブをラジオに引き込みたいと思って始めた番組ですが、当初はいわゆる「古参」の皆さんに支えられていました。
やがて20代と10代のメールも増え、3月に入る頃にはローティーンからの投稿が目立つようになりました。
狙い通りではあったんですが、その裏では手放しに喜べないこともありました。
というのも、春改編で24時台に移動することが決まっていたのです。
21時台は野球の影響を受けるので、毎日のように放送時間が移動するのは確実でした。
野球の終了時刻を見ながら告知のために毎日残業したり、radikoの番組表を弄ったりするのは正直ハードでした。
そもそもradikoの放送時間調整は完全に反映するのに1時間近く要します。
ライブ聴取はまだしも、ちょっと遅れて聴き始めた人はタイムフリーで聴いても、興味のない野球中継を聞く羽目になります。
何より大きい懸念は、放送時間が安定しないことで聴いてくれる人が減ることでした。
そこでせっかく聴き始めてくれたローティーンに申し訳ないと思いつつ、野球の影響のない24:20への移動を決めたのです。
もちろん秋改編ではしれっと21時台に戻しました。
開局記念番組ではない
7月に開催した『らじみくサミット』がオンラインになった経緯は、何度か書いたので割愛しますが、MCのふたりはもちろん、ねじ式さんやたかぴぃさんがスタジオで顔出し出演したことをきっかけに、スタンドアロンだった番組が有機的に動き始めます。
青柳ういろうとのコラボをきっかけに、当社他ワイド番組で『らじみく』が触れられるようになったのもこの頃です。
9月1日の『らじみく生』と2日の『らじみく生DRY』は、対称的な特別番組として企画しました。
ふたりのMCに僕を加えたスタンドアロンの前者、そして『らじみくサミット』を発展させてゲストを加えた後者。
2夜連続というお題を与えられ、それぞれ違うものをお送りしたいと考えたわけです。
実は当初、編成からこの2夜連続放送は「開局記念番組」と言われていました。
2日とも24時から25時までの放送でしたが、25時からは『オールナイトニッポン』を受けるために、終了時刻は固定でした。
ところがどういうわけか、直前の22時から放送される番組は野球が延長しても必ず2時間放送するというのです。
つまり野球が30分延長すれば、『らじみく生』は24時30分から25時までの30分番組となるのです。
「野球に合わせて縮む可能性のある番組が、開局記念番組を名乗るなんておかしい!」
こう言い放ったのはプロデューサーである僕ですが、つまりは『らじみく生』が便利なクッション番組扱いされたことに怒り心頭だったのです。
だから番組内では「記念番組」という言葉は使うことをやめました。
両日とも野球中継は22時前に終了し、予定通り1時間放送できたのは幸いでした。
『らじみく生』の手応え
番組制作前にはまだまだ大きな問題がありました。
特に9月1日の開局記念日は特別番組が重なり、さらに深夜ゆえ人手がまるで確保できなかったのです。
数少ない人的リソースは『らじみく生DRY』に割り当て、『らじみく生』は僕がプロデューサー兼ディレクター兼ミキサーを担当することになりました。
内容でスタンドアロンを狙ってはいたものの、制作体制まで3人きりになってしまったのです。
僕が生放送でディレクターを務めるのは実に7年ぶり。
さらにミキサー兼任は生まれて初めて。
しかもジングルも含め20曲以上を送出し、残り時間の計算もし、ふたりのMCに指示をするのです。
誰よりもこの放送に不安を感じていたのは清水でした。
普段の『らじみく』はコメントだけを事前収録し、清水が何時間もかけて編集しています。
それと同じカラーの番組を、普段の6倍となる1時間の生放送で、しかも普段生放送もミキシングも担当していない52歳のオッサンが再現しようというのです。
オッサンがミスを連発すれば、8ヶ月かけて築き上げてきた『らじみく』のイメージが崩壊するのです。
それで何日も前から何度も何度も「大丈夫ですか?」と聞いてきたわけです。まあ、そりゃそうだろうな。
ところが当事者の僕はと言えば、野球で短縮するかもしれないことも込みで、この状況を楽しんでいました。
そしてオープニングからすべての曲をノーミスで送出し、24時59分、エンディングの「時代を超えた遊び場で」をぴったり完奏させ、余韻の間に斉藤アナの「おやすみくー」できっちり終了しました。
僕はサブで「よっしゃああああああああああ!」と完投完封したピッチャーのように雄叫びをあげ、清水と斉藤アナは「すごいすごい!」と興奮しながらブースから出てきました。
コ口ナ禍でなければ熱い抱擁が見られたかもしれません。
熱のこもったメッセージとリクエスト曲の紹介、リアルタイムのツイート読み、半年間のピアプロコラボジングルの振り返り、そしてこの頃には定番となったふたりのMCのわちゃわちゃ感。
これをすべて生放送で出し切ったのです。
『らじみく』はこれで完成した、という確かな手応えを感じました。
対する『らじみく生DRY』は、清水とねじ式さんの掛け合いが弾み、ラジオの達人であるholyのディレクションにより、たかぴぃさん出演によるハプニングを盛り込み、まったく正反対の楽しさを提供できたと自負しています。
そして『らじみく生DRY』での有機的な遊びが、10月の『The VOCALOID Collection 〜2021 Autumn』と『マジカルミライ2021』で大爆発することになるのです。
続きは、また近日。