制作のモチベが上がった楽曲(個人の感想です)
もうかれこれ40年以上シンセサイザーを弄りながら、誰の役に立ってるのかわからないまま楽曲を作り続けていますが、さすがにそれだけの期間、毎日のように楽器やDAWに向かい合っていたわけじゃありません。
時には恋愛、時にはゴジラ、その他に関心事があればシンセに埃が積もる時期もありました。
それでも音楽の摂取を欠かした日はほとんどなく、再び音楽制作へ駆り立ててくれる楽曲やアルバムもありました。
今回はそんなトラックを紹介します。
Hard Normal Daddy(1997)/Squarepusher
1997年は音楽的にはものすごい豊作の年で、例えば電気グルーヴの『A』、ピチカート・ファイヴの『ハッピーエンド・オブ・ザ・ワールド』、コーネリアス『FANTASMA』といったターニングポイントとなるアルバムが相次いでリリースされました。
その中でスクエアプッシャーことトーマス・ジェンキンソンが日本で初めてリリースしたアルバムが『Hard Normal Daddy』です。
「ジャングル」の発展形である「ドラムンベース」が浸透し始めた頃、さらに細かい分解能の打ち込みにより「ドリルンベース」とも呼ばれたのがスクエアプッシャー。
本作ではベーシストとしてのプレイも多く、かなりフュージョン的なアプローチが見られました。
ジャングルにはさほどチンピクしなかったワタクシですが、このアルバムを通じて聴かれるリズムは初めての体験でした。
ちょうどこの頃、RolandのグルーヴボックスMC-303を購入し、本作のリズムパターンを必死でコピーしたことから、就職して3年ぶりに曲作りを再開しました。
ドラマチック(2001)/クラムボン
ep『はなればなれ』(1999年)で小洒落た渋谷系フォロワーとして注目されたクラムボンですが、この3rdアルバムでは、一連の椎名林檎仕事で脚光を浴びていた亀田誠治さんをプロデューサーに迎え、「音響系」とも言えるサウンドに激変しました。
当時NHKホールのライブも観に行きましたが、3人のメンバーはプレイヤーとしても一流。さらに機器類もステージ上で操作し、アルバムのサウンドを同期なし(おそらく)で再現していたことに驚かされました。
本作のハイライト「サラウンド」をはじめ、もともと作曲センスも演奏力もあるところにエレクトロをマッチさせ、唯一無二のバンドになったクラムボン。
たぶんこの時期最強でしたね。
本作の影響で、イシバシテルミンやXecooのミニテルミンなど、シンセ以外の飛び道具を購入することになりました。
アルクアラウンド(2010)/サカナクション
サビの「僕らは今うねりの中を」だけで100年聴けます。
サウンドは前述のクラムボンをさらに洗練させた音響系ですが、曲の骨子には4つ打ちのベードラやシンドラ風のタム、シンプルなシーケンスなど、テクノポップ的な味付けがされ、サビ以降のバンドサウンドへの展開にメリハリが付けられています。
本当のヒット曲とは、こういうものなんだなと、14年経っても感心するばかりです。
dancemusic(2011)/ROCEKT MAN
言わずと知れたふかわりょうさんのひとりユニットROCKET MAN。
2011年に配信限定シングルとして放ったこの曲は、それまでの「交響曲第4126番『ハトヤ』」(1998)に代表されるお笑い要素を封印したガチ曲としてヒットしました。
クレジット不詳ですが、おそらくふかわさん自身がアレンジも手掛けており、プリミティブかつ定石のハウスサウンドとシンセサウンドを駆使しています。
その定石ぶりがあまりにも定石すぎて、逆に清々しかったです。
この当時は生ピアノを使うのがダサいと思っていた頃で、この曲に刺激されて真似事をした記憶があります。
不離威騎!(2014)名古屋おもてなし武将隊
すいません、めちゃくちゃ身内です。
実はこの曲、僕が彼らのラジオ番組をプロデュースする直前に発売が決まっていて、聴かせてもらって「めちゃくちゃカッコいいじゃん!」とあちこちに売り込みまくってました。
作曲はAKBグループなどへの提供で知られる井上トモノリさん。
アレンジはさまざまなアイドル仕事も手掛ける楊慶豪さん。
当時EDMの全盛期でしたが、わかりやすく和風テイストが施されたアレンジは、シンプルゆえ強烈なアイデンティティを保っており、「どうせノベルティソングだろ?」との偏見を吹っ飛ばしてくれます。
T69 Collapse(2018)/リチャード・D・ジェームス(エイフェックス・ツイン)
最後に紹介するのは、リチャード・D・ジェームス(エイフェックス・ツイン)のこの楽曲。
エイフェックス・ツインとしてはかなりわかりやすい曲だと思いますし、ビートやサウンド全てが究極に突き詰められたとんでもない曲なんですが、このMVがまたサウンドを見事にビジュアル化したもので、これ以上音に奉仕したビジュアルを他に知りません。
同僚3人に観せたところ、押し並べて無反応という哀しみしかない心境になりました。
実は拙作の「楽耳未来神社」は、この曲が制作の発端となっています。
まあ誰も気づかないし、こう書いても「どこが?」と言われると思いますけども、ええ。