4年間、白旗を振り続けています。
初めて仕事で初音ミクと関わった番組のオンエアから、今日でちょうど4年となりました。
もっと時間が経ってる気しかしないんですけども。
この頃には翌2021年からのコラボも決まってましたが、よりによってコロナ禍の真っ只中。
クリプトンさんも我が陣営もリアルイベントのオンライン化などで、毎年のルーティンが一変してしまい、定期的なミーティングもできず、「2本のレギュラー番組を放送する」以外、何も決まっていない状況でした。
そもそも我々にどの程度の番組を作れるのか保証がなく、また社内にも「初音ミクで何ができるんだ?」と疑心暗鬼な雰囲気が募る中、時間だけが過ぎていき「何かしないと」と焦るばかり。
2020年9月5日、たまたま編成に30分の空きができ、パイロット版として作らせてもらえたのが『30分じゃ伝えきれない初音ミク』という番組です。
11月のリリースに先んじて公になったコラボ企画第一弾となります。
制作にあたり真っ先に考えたのは、メディアの特性上、不意に耳にするのを想定して「初音ミク」というコンテンツを正しく知るきっかけにすること、そしてファンの皆さんに「私たちは敵ではありませんよ」という姿勢を見せることの2点でした。
すでに清水藍は既存リスナーの間でトリッキーなレポーター/パーソナリティとして認知されていたので、前者については心配してなかったんですが、やはり懸念は後者でした。
それは2007年、テレビで起こったある事件に起因しています。
10年以上前のことで、我々が直接関係してないとは言え、一介のDTMユーザーとして、メディアの人間として、取材対象や協力してくれたはずのクリプトンさんへの無礼は憤りを禁じ得ないものでした。
僕自身「テレビなんかに任せておけない」とラジオの可能性を模索するきっかけでもありました。
電波媒体への敵意を感じる逆境で「絶望的なムラだけど、こんな珍種がいるんですよ」と声を挙げることは、今なお抱える個人的なテーマでもあります。
この後、2012年に初めてプロデュースした番組がDTM関連だったのは、いま考えれば僕なりの贖罪だったのかもしれません。
まあ当時は番組を盛り上げるのに必死でしたけど。
清水にとってほぼ初めてのディレクション兼任。
現在とはまるで違って台本も極めてまじめに作りました。
本当に、現在とはまるで違います(遠い目)
オンエア後はTwitterの反応が想像以上に良く、僕なんぞは大沢たかおの顔で「またいい番組をプロデュースしてしまったぞ」と腕組み夢気分でしたが、後の『RADIO MIKU』が今のようなあり様に至ることは、ある程度想像していました、僕が喋るハメになること以外は。
とにかくこの番組については「我々は敵じゃありませんよ」という白旗だったのです。
そしてその白旗は今も僕の頭頂部にはためいております。