相手の目を見ずに話すのは悪いことか?
公には「月に1回」とありますが、だいたい2ヶ月に1度のペースで、生配信番組に出演しています。
ラジオ番組の配信とは言えどカメラも使い、一応は動画配信の体裁となっています。
ただし、パーソナリティの清水藍の正面下方に、広角のWebカメラをフィックス(固定)で置くだけでズームもしません。
また相方となる僕は、彼女に向かって斜め左に座っています。
配信はふたりの会話に終始するため、清水の目線はずっと画面の左上にあり、カメラに目線を落とすことはほぼありません。
また僕はWebカメラの真横に座っているため、顔がほとんど映りません。
とりあえず存在をアピールするため、初音ミクのお面を被り、清水の横にアクリルスタンドを立てて映り込ませてはいます。
ふたりによる動画配信は、たいてい出演者の真ん中にカメラが置かれています。
そしてふたりは正面を向き、もしくは斜に構えて並んで座っているものです。
つまり『らじみく通信』はかなり変わったアングルで配信していることになります。
僕がこんなアングルで配信している理由はごくごく単純で、喋りに集中したいから。
その一点です。
実は僕が話している時、清水と目が合うことはかなり稀です。
別に仲が悪いわけでも、照れているわけでもありません。
考えながら話したり、相槌を打とうとすると、目線が正面から逸れていくのです。
配信はツイキャスのため、配信しながらコメントを読むことはできますが、そこに視線を送るわけでもなく、読み終えたメールのプリントや、PCのキーボード、あるいは自分の指をボーッと見ながら喋っているのです。
それは考えながら会話しているからです。
だから、たまに清水と目が合ってしまうと、ぎょっとして言葉を失うことがあります。
考えてみると、僕がディレクターとして、あるいはプロデューサーとしてスタジオにいる間、特に放送中はあまりパーソナリティの方を見ていません。
話に集中しようとすると、顔を見るのが邪魔になるんですね。
ディレクターやスタッフの反応を知りたいから、本番中もサブを見ながら喋ってくるパーソナリティがほとんどですが、僕が目を合わせないため、一方的に「自分は面白くないのか」と落ち込まれたこともあります。
逆に僕なんかは、カメラ目線で、あるいは相手の顔を凝視しながら喋る人には「器用でうらやましいな」と思うわけです。
僕が同じことをすると、相手の顔が気になって言いたいことの半分も言えなくなり、相手の喋っていることが脳に残らなくなるのです。
困ったことに普段の会話も同じで、例えば管理職として部下と面談する時も、視線のほとんどは手元の資料に行き、相手の目をあまり見ていません。
一般的に、相手を見て話すのは美徳とされているようです。
例えば「相手の目を見て喋る」で検索すると、いきなり「目をよく見て話す人は、明るく社交的な性格である」などと書かれた記事が出てきたりします。
自分じゃ暗く自閉的な性格とは思ってないんですが。
よく面接マニュアルで「質問には面接官の目を見て答えましょう。好印象と映るはずです」みたいな文章を見かけますが、個人的には「怖い怖いやめれやめれ」と思ったりします。
もちろん、ずっと視点も合わさずうつむくより、相手に顔を向けた方がいいことは確かです。
ただ、質問に対して何かを考える時、ずっと正面を見ていられるものでしょうか?
ましてや面接なんて、自分の一生を決めるもの。少しでもいい回答をしたい。
だから必死で考えるわけじゃないですか。
なのにそんな芸当ができるなら、シミュレーションで事前にアタマへ入れた回答をしているのかな、と思っちゃうわけですよ。
「相手の目を見て話せない人間には何かやましいことがある」なんて決めつけるネガティブキャンペーンもあります。
一方、前述の検索結果には、目を見ながら喋る人のイメージとして、怒りなどの感情をぶつけるとか、怪しげなセールストークとか、一方的なコミュニケーションをとってくることを挙げる意見もあるようです。
僕はたとえ目を合わせてくれなくても、一生懸命考えながら喋ってくれたり、自分の話を聞いてコミュニケーションをとってくれる人が好きです。