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10年前と10年後

今夜のオンエアで、清水藍がこの曲↓かけながら、急に昔のハナシをし始めたんですけども、ヒトの将来を「失業」言うな。

そういや10年前の今ごろ、2014年の秋に何してたのかなあと思い返すと、その清水を面接してたんですよね。

この稿の後日談を書いておくと、翌年4月に清水がレポーターとして「初鳴き」したのは、僕がPを担当していたワイド番組だったんですね。

スタジオに立ち会っていた僕は、素っ頓狂な声と火力の強いレポートに、桂三枝のごとく華麗に椅子から転げ落ちたのでした。

実はその年からP業務に専任したため、僕が清水と一緒に仕事をする機会はほとんどなかったんですが、その間彼女が周囲のスタッフに「初音ミクを仕事にしたい」と猛アピールしていたと、人伝に聞きました。

面接から5年後の2019年12月、僕は広報担当としてコラボ企画提案のために、清水を札幌に連れて行きました。
最終兵器の登場に場内は騒然とし、初音ミクとのコラボ計画は無血で実行に移されました。

翌年の夏、清水と初めてマンツーマンで仕事をしたのは『30分じゃ伝えきれない初音ミク』でした。
それから彼女とはイメージキャラクターを決めたり、レギュラー番組を始めたり、キャンペーンソングを決めたりと、まったく未知の領域に踏み込んだのです。

お互いポジションを変えつつ、初音ミクの仕事を始めてから5年もの歳月が流れたわけで、10年なんて早いもんだなと思う次第です。

で、ハナシをまた10年前に戻すと、当時小学生の我が娘も、お古のiPadやニンテンドー3DSで、ニコニコのボカロ動画閲覧にハマっていたのです。
「これは何かあるぞ」と予感めいたものはありました。

その娘も、ゲームシナリオライターを目指して来年には(たぶん)大学生です。

当時の僕は『電磁マシマシ』というゲーム音楽・DTMに特化した番組を担当し、伸び伸びと健やかに暮らしておりました。

その頃を思い返すと、この番組を自分の集大成にしようと意気込んでいて、曲作りをする若い才能をバックアップする役割になるつもりでした。
まさか50歳を超えてDTMを再開し、初音ミクに歌わせることになろうとは、夢にも思ってなかったわけです。

つまるところ「三つ子の魂百まで」の通り、人間は根本的に何も変わらんし、歳をとるだけ好きなことに邁進するもんだなと実感しております。

しかし、今日までの10年のベクトルを未来へ向けると、なんと僕は65歳で前期高齢者の仲間入りです。
制度が変わらなければ、今の職場では働けなくなるので、この「みくばんP」は事実上の引退という運命にあります。

まあ肉体も精神もボロボロになって弛緩しまくりだと思うので、その前のリタイアも充分考えられますし、運が悪けりゃ土饅頭のあんこになってるかもしれません。
その時は娘もアラサーだし、清水もさぞかし立派な(中略)になってることでしょう。

そして僕らを繋げてきた「初音ミク」は、機能の進化こそあれ、歳もとらずに相変わらずヒット曲を量産してるんだろうなあと、改めて思うところであります。

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みくばんP
ラジオ局勤務の赤味噌原理主義者。シンセ 、テルミン 、特撮フィギュアなど、先入観たっぷりのバカ丸出しレビューを投下してます。