『劇場版プロジェクトセカイ 壊れたセカイと歌えないミク』観てきたよ。
ネタバレしない方向で書きますよ。
実はボカァね、キミ。同じ「劇場版」でも『孤独のグルメ』を観たかったんですよ。
それをウチの清水藍が先週「初音ミクの番組をやってるプロデューサーたる者がこの映画を観ないとはけしからん。観たまえ、いいかい、これは命令だ」、そしておとといは「まだ観てないとは男の風下にも置けんヤツだ。オトコオンナのトミコ!トミコ、トミコ、ト!ミ!コォォォ!」というような内容を10ガロンの湯で薄めたようなプレッシャーをかけてくるので、耳をピクピクさせながら席を取りましたよ。
ろくに確認せず開いたのはなんと応援上映回の予約ページ。
それならと、ゆったりとしたプレミアムシートを押さえ、大沢たかおのように最後列から腕組みしながら豆腐たち(プロセカユーザー)の様子も楽しもうと思ったわけです。
実は清水から追い立てられる前、公開日にタイムラインで評判を予習してたんですけど、ほとんどが高評価だったんですよ。
「初音ミク」界隈には厳しめの古参ファンもいて、我々の番組すら開始前から否定コメントがありました。
当然本作にも辛口コメントが付くだろうと考えましたが、実際に足を運んだ方からは「プロセカあまり知らないけど、むしろそういう人向け」というようなポストもありました。
僕もそれで安心して「観てみようかな」と思っていたところだったんだよ清水。
プロセカは僕も2年ほど楽しみましたが、楽曲プレイを急ぐあまり台詞はほぼスキップしてしまい、ユニット名やキャラの名は覚えたものの、細かいストーリーはアタマに入ってません。
さらにアプリが結構メモリを喰うため、自作曲やらクソコラ動画やらのデータを守るためアンインスコせざるを得なかったんですよごめんなさいすいません。
そして本作の内容ですが、「プロセカ』について僕程度の知識でも、いやもしかしたら「初音ミク」の存在さえわかっていればすぐ飲み込めるはずです。
ひとまず渋谷界隈には4人の若者で作られた5つのユニットが活動していて、それぞれのセカイには、姿は違えど初音ミクたち6人のバーチャルシンガーが彼らをサポートしていること、その基本設定さえ押さえれば理解は早いと思います。
そして5つのセカイにいるミクたちが複数並ぶことはありません。
TDLで同時に複数のミッキーマウスを見ないのと同じ理屈ですね。
ところが本作には、ふたりの初音ミクが相対し、さらに会話するシーンが存在します。
メインビジュアルにも描かれたX型の髪飾りをしたミクは、渋谷もタワレコもカフェも高校もない別次元のセカイからやってきたのです。
この別次元のセカイが、やがて5つの(もしくは無数の)セカイにある事件をもたらすわけですが、この先の展開はネタバレとなるので描写を控えます。
ついては映画を観て気づいたことをざっくり書きます。
本作はプロセカというゲームが、マルチバース構造であることを改めて認識させてくれます。
「マルチバース」とは、私たちのいる宇宙とは別に、観測できない別の宇宙が存在する概念を示す科学用語で、近年『スパイダーマン』シリーズなどにも応用されています。
これ、日本の作品で例えると『大決戦!超ウルトラ8兄弟』(2008/監督:八木毅)が近いかなと。
テレビで『ウルトラマン』を放映している現実世界に突如怪獣が出現。それを追ってきた新人ウルトラマンのメビウスは、自身のセカイから現実世界に入り込んでしまいます。
横浜の一市民として暮らすハヤタをはじめとする4人のおじさん、そしてダイゴをはじめとする3人の幼なじみたちは、ささやかな幸せを踏みにじる怪獣になす術もありません。
メビウスの働きかけにより別世界の記憶を呼び覚まされた7人は、各々ウルトラマンに変身してメビウスと共闘するという展開の作品でした。
2008年と古い作品ながら、マルチバースの概念がわかりやすく描かれています。
閑話休題。
『劇場版プロセカ』では同時に、表層化していなかったセカイが追加されたことにより、初音ミク現象の原理である「創作の連鎖」がストーリーを通じて理解できます。
そして「創作の連鎖」には、誰かに届くことが必須であるというメッセージも込められているのかなと。
その意味で本作はゲームをベースにしたn次創作でありながら、バーチャルシンガーと人間の関係、創作の意義とそのあり方など、基本理念を単発作品として網羅しています。
関係者のインタビューなどを多角的にまとめた評論ならあったんですけど、ストーリーとして紡ぐ映像作品は珍しい、というか初の功績かもしれません。
既存メディアが滅多に取り上げないのに、また情報量が多く人気が定着しないと言われるネット界隈なのに、どうして「初音ミク」は20年近く愛されているのか、少しでも疑問に思っている方にはぜひ観ていただきたい作品です。