放送と通信とタクシーと(ちょい改稿)
インターネットの普及が進んでいた2000年代、「放送と通信の融合」というフレーズをよく目にしました。
テン年代になるといくつかのプラットフォームが現れては消え、インフラ的にもハード的にも「融合はムリポ」というムードが醸成されてしまいました。
最近はなんですかね、「放送と通信の両立」みたいな感じになってるのかなあと思います。
電波を預かる放送事業者は、地上波だろうとネットだろうと、とりあえず観てもらう手段を広くとって、結果的にマネタイズできればいいんでしょ、という。
でも地上波とネットではあまりに広告単価が違いすぎ、どちらに固執しても明るい未来が見えなくてどうしましょう、というのが現状かと思います。
そしてコンテンツ数で圧倒的に不利なローカル局はさらに能動的なアクションが求められることでしょう。
自分の縄張りであるラジオについては、スマホの普及が進みつつあった2010年、radikoというプラットフォームができてしまいました。
送り手が「放送?通信?どっちでもいいから聴いてくれ」という感覚になったのは、テレビより早かったはずです。
地上波のトピックは2015年にワイドFMが始まったくらいですが、radikoではエリアフリー、タイムフリーと機能が追加され、どこでどの端末でどんな方法で聴いているのか、完全に把握できなくなっています。
今や地上波ラジオ番組は「聴き手に委ねる音声コンテンツ」としか言いようのないものとなっているのです。
先日もこんな記事を書きましたが、タイムフリーやポッドキャストなど、放送局側がリスナーの利便性を推進しちやってる以上、リアタイ聴取が全ての聴取率調査で数字が下がっだからと言って「セッツが、セッツが」と慌てふためいても後の祭りです。
現状ネットコンテンツのマネタイズだけでは数十人を養えるほどの収益は望めません。
ゆえに各位がこうした聴取習慣と、その価値をクライアントに啓蒙していくしかないんだろうなあと、ぼんやり虚空を眺める日々であります。
ところでネットにはない地上波ラジオならでは利点として、不意に出会う偶発性というものがありました。
これはプラットフォームでのレコメン機能以上の影響力があり、たまたま入ったラーメン屋、知り合いの運転するクルマなど、接触機会があちこちに転がっていたのです。
その最たるものがタクシーでした。
飲み会の後に拾って、野球中継の途中経過を知ったものです。
しかし昨今は、助手席背面に取り付けられたサイネージ広告が支配する空間となっています。
客から「ラジオつけて」と言わないとカーラジオのスイッチが入ることはありません。
以前運転手さんから「ラジオつけてると『うるさいから消せ』って言われちゃうんですよね」と言われ、世も末と思ったもんです。
ところが先日、会議からの帰りに拾ったタクシーにはサイネージが見当たらず、しかも我が職場のオンエアがカーラジオから流れていたのです。
目的地である勤務先を告げたところ「いつも聴いてますよ」との返答。
さらに「ラジオつけてると眠気も消えるんで」とのこと。
そこて「お客さんから『うるさい』って言われません?」と聞いたところ、「ふたりとか3人で乗ってきたらボリューム下げるから、言われたことはないですねえ」と。
もはや天然記念物になりつつあるタクシーのカーラジオに嬉しくなった反面、いつまで残るかなあと寂しくもありました。