『電磁マシマシ』回顧録❷
パーソナリティに佐野電磁さんが決まった後も、僕にはまだ悩みがありました。ディレクターが決まらないのです。
ただでさえ制作キャリア不足で人脈が少ない中、ゲームやシンセに対して多少なりとも知識がない人じゃないと、進行するのが厳しいのでは、とハードルをあげていました。
予算が限られていたので、僕が月に一度程度しか立ち会えないこともわかっていました。
しかも九段下での深夜番組です。細々としたコネクションも「終わりが23:30?いや申し訳ない。終電が…」と断られる始末。
そうこうするうち、放送まで1ヶ月を切ってしまいました。
ひとまず3日ほど泊まって知人巡りでもするかと思いながら、東京支社へ足を運んだ時、矢島ディレクターに会ったのです。
彼は都内で複数の放送局を掛け持ちしており、僕の職場ではアイドル番組を担当していました。会った時は国民的アイドルグループの番組収録を終えたところでした。
ただ、それまで面識はまったくなく、一方的にアイドル村の人という印象しか持っていませんでした。
すると「土曜夜の件ですよね?」と彼から声を掛けてきました。
しばらく意味が飲み込めなかったものの、どうやら僕の様子を知った上司から連絡を受けていたようです。
「いいっすよ。ゲーム音楽の人でしたっけ?僕、ゲーム音楽好きだし、打ち込みもやってますから」
上司がどこまで話していたのかわかりませんが、まさかの立候補者登場です。
何の迷いもなく「じゃあ任せる!」と依頼しました。
なんとかラジオ放送が送り出せるだけの、最低限の陣容が固まったわけです。すぐに佐野さんにアポを取りました。
すると佐野さんは「もしかするとお役に立てるかも、という人がいるんですよ」と、その方の同席を提案されました。
その方ともども翌日に会えるということになり、東京で一泊して佐野さんのオフィスへ。
そこで会ったのが、某大手レコード会社に勤務されながらU-StripというUSTREAM番組を運営された星野さん。
実は当時佐野さんは、週に1回このU-Stripに出演されており、春からのラジオと連動できないかを考えていたようで、星野さんもオールドメディアとUSTREAMの合体を面白がってくれました。
USTREAMの特徴は「ソーシャルストリーム」と呼ばれるタイムラインにありました。動画へのコメントをtwitterやFacebookから投稿することができたのです。
上司からの「SNS連動」という至上命題もこれでクリアできる上に、スタジオ内でソーシャルストリームを出せれば、万一スタッフが足りない時に、メールをプリントする手間も省けます。
このミーティングによりUSTは星野さん、ラジオ及びコンテンツ内容や予算面は僕が担当するという話がまとまり、ここに矢島Dを加えた4人体制が固まるのです。
ところが、再び東京支社スタジオへ戻って重要なことに気づきます。スタジオに社内LAN回線が来ていないのです。
もちろん壁を隔てた営業セクションやテレビ編成等には来ていますが、スタジオの壁まで配線されていないのです。
すぐに社のシステム担当に配線を依頼しました。しかし、答えは「回線を使用しての配信はNO」でした。
社内LAN回線はイントラネットで放送システム、経理情報に直結しています。もちろんインターネットに繋ぐことは可能でしたが、セキュリティ上問題があるとのことでした。
「それなら回線代は払うから、光回線を引いてほしい」と食い下がりましたが、今度は支社が入居するビルの諸事情でNGとなりました。
「これだから放送局は!」と自嘲しながら僕がとった解決策は、WiMAXの個人契約でした。
支社は千代田区役所の正面にありましたが、他に大きなオフィスもない上に、皇居に限りなく近いためか、通信的には相当危うい環境で、ルーターを区役所寄りの窓際に設置せざるを得ませんでした。
3年間の生配信で何度か配信が途切れたのは、こうした電波事情にありました。
ともあれ、なんとか配信できるところまで漕ぎ着け、支社スタジオと本社の回線テスト、CM送出テストなどに忙殺されているうち、広報から「番組タイトルどうなった?」と聞かれました。
広報誌に載るかどうかという、相当押し迫ったタイミングだったのです。
あわてて佐野さんにメールで連絡をとると「マシマシって言葉が気になってます」と回答がありました。ちょうどラーメン二郎がブレイクしかけていた頃でした。
すぐに『電磁マシマシ』というフレーズがすぐに浮かびました。
『佐野電磁のマシマシ大放送』でも良かったんでしょうが、口に出して最もしっくりきたのが『電磁マシマシ』でした。
佐野さんにも気に入ってもらえ、すぐに広報にも伝えてことなきを得たんですが、『電マ』と省略されることまで考えておりませんでした。
(つづく、たぶん)