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『電磁マシマシ』回顧録❸
前回から10ヶ月ほど置いての続編であります。
えっと、どこまで書いたんだっけ。
そうそう、番組が始まる10日ほど前の2012年3月下旬、佐野電磁さんと矢島ディレクターが都内で打ち合わせをしました。
僕は立ち会えなかったんですが、この時レギュラーコーナーは「株式会社DETUNE 代表取締役社長 佐野ちゃんの一週間」しか作らない、ということになりました。
矢島Dからその連絡を受けても不安はありませんでした。佐野さんならなんとかなるだろうと考えていたからです。
ただ、困ったのが新番組の説明。
公式サイトやら印刷物に何をどう書いたらよいものか。
佐野さんとのミーティングでは「昭和」「サブカル」がキーワードになっていました。そこでは「ゲーム」「シンセ」という単語は特に出なかったように思います。
例えば最初に「シンセのガチ勢大集合!」と書いてしまうと、本当にガチな皆さんが聴いてくれるのはわかってましたが、逆にシンセのシの字も知らない人は遠ざけてしまいます。
マニアが満足、というよりマニアだけが満足できるものを作る気はありませんでした。
なので、開始の頃の番組解説は広報担当者に丸投げしてしまいました。苦労をかけたのお。
それと佐野さんから、番組ゲストに出ていただける方に声がけする時間がほしいと依頼され、最初の月については主に僕がゲストブッキングを行いました。
初回のゲストはニッポン放送の吉田尚記アナウンサーでした。
吉田さんは業界のツイッター仲間として既知でしたが、当時「トーンコネクト」というサウンド版QRコードを開発されていたことと、USTにも積極的だったことからお願いしました。
ラジオ好事家の間では「初回に系列ではない局アナ出演」ということが過激だと話題になったようですが、僕としては「SNSとサウンド」というコンセプトを打ち出す意図のあったキャスティングでした。
そして打ち合わせに全くなかった、本番での吉田アナのトークが、番組カラーを決定づけました。そのことについてはまた後で詳しく。
いよいよ2012年4月7日土曜日、初回放送です。
僕がスタジオに入ったのは16時。オンエアの5時間前です。佐野さんには19時で、と伝えてあったんですが、どうにも気が高ぶってしまって、名古屋の家で昼食を済ますとすぐに家を出てしまいました。
もちろんそんなに早く来ても、窓際にWiMAXのルーターを置いて、UST用カメラのポジションを決める程度しかすることはありません。
するとスタジオの扉が開きました。
矢島Dかな、と思ったら初めて見る男女が。
「佐野電磁さんの番組はこちらですか?」
「はい、そうですが…」
当時MAGES.にいた中村方俊さんと、まだまだ新人だった声優の諏訪彩花さんでした。佐野さんと合流する予定が、早く着いてしまったとのこと。
え、どうすりゃいいの。何にも聞いてないッスよ佐野さん!
互いに自己紹介を済ませ、なんとなく間を持たせようと、お仕事について伺ったり、諏訪さんのご実家のハナシを聞いたりしてるうちに、名古屋弁でいうところの「おぼこい子だな」と思えてきました。とにかく素直な方だな、という印象でした。
そんなこんなで、スーツケースを持参して佐野さんが登場しました。この日までに何度かお会いしてるので、挨拶は軽く済ませ、早速4人で話したのは「今後諏訪さんにどうやって番組へ参加してもらうか」ということ。
ここからわかるように、もう僕の中では「諏訪さんはレギュラーになる」と決めていたのです。
それは決心とかそういう強い気持ちではなく、とにかく神頼みみたいなもので、新人プロデューサーとして心許ないので、最初に手を挙げた人を味方に引き込んでしまえ、という気分でした。RPGの序盤のような感覚です。
この「味方に引き込め」という感覚は、他の番組を抱えて業務に慣れてからも続き、佐野さんが招かれたゲストの皆さんはもちろん、「ブロガーズミーティング」や「リミックスコンテスト」「マシマシ娘」などの企画も発作的に行いました。
さらに名古屋では見かけないプロモーターからの出演依頼も多かったのですが、断り続けるのも気が引けたので「一度でもオンエアを聴いて(もしくはUSTを観て)面白かったと思われた方」という条件を付けて、何組か登場いただきました。
佐野さんとは初対面というゲストの場合は、事前に番組を観て、その上で改めて依頼された方が多いのです。
特に印象的だったのは、何度も出演してくれた恵比寿マスカッツ。メンバーの山口愛実(現・桜代真名)さんに至っては、コルグさんの熱心なお誘いで、ソロでもご出演いただいたほど。
これらはマネージャーの坂元博文さんが熱心な番組ファンであったことが影響しています。
スタジオに来られた時はもちろん、付いてこなかった時も翌週「●●(メンバー名)面白かったですね。次も盛り上げますから絶対呼んでくださいね!」とメッセージを下さりました。
残念ながら、その坂元さんは一昨年亡くなられましたが、熱意あるゲストやスタッフに恵まれたことが、番組の下地にあったのです。
さてハナシを初回に戻すと、ニッポン放送吉田アナが突然BASIC(プログラミング言語)について語り始め、後半はそこからパソコン雑誌などの話題に振り、完全に「わかる奴にはわかる」というノリになりました。
それまでの1時間半ほどは、ハッシュタグdg1053には、以前からの局ファン、あるいはニッポン放送や吉田アナのファン、佐野さんのファンが、各々違うタイミングで盛り上がっていたのですが、BASICバナシをきっかけにタイムラインに一体感が生まれました。
違う民族同士が一隻の客船のデッキで肩を組んで合唱するという、よくわからん例えではありますが、とにかく後に「バズる」と言われる現象が、その後の『電磁マシマシ』を方向づけることとなったのです。
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