心に残った建物
最近建築関係の仕事をしているので、心に残った建造物についてあれこれ思い出しながら書いてみようと思う。
一番心に残っているのは、ルワンダにあるキガリタワーだ。
キガリの中心部において、アフリカには似つかわしくないガラス張りのオシャレな建物で異彩を放っていたというのももちろんあるが、一番のポイントはキガリの虐殺祈念館から見た、丘に一本そびえたつ様子であろう。
虐殺祈念館は、ジェノサイドの際の人々の墓も併設されていて、亡くなった方々への弔いの意味も込めて、こんな素晴らしい建造物を作ったんだろうな、と想像していたらなんだか泣けてきたことを思い出した。
建築というのは単に地図に残るだけでなく、人々の想いや記憶を呼び起こす装置としての機能も持っているんだろう。
他に記憶に残っている建造物でいうと、いろいろあるんだが、趣を変えるとインドのタージマハルなんかも興味深い。あちらは無くなった妃を弔うために建てた墓としての建造物だ。
たった一人愛する人を弔うために何万人もの人の力を借りてあんなに立派な建造物を建てるだなんて、僕自身からすると今一つ想像できないけど、それだけの愛の深さであったり、亡くなった時の絶望感が大きかったのであろう。
日本の建造物でいうと、最近再開発された渋谷一帯もとても好きだ。大人が入ってしまって町の文化が廃れた、という見方もあるのかもしれないが、僕はこれまでの単なる箱物的なビルが増えただけでなく、道路や公園や景観自体がアップグレードされた姿を見て、日本のクリエイティビティもまだ捨てたものじゃないな、と心から思った。
人為的に文化を作ることは難しいし、そんなことはおこがましいとも思うけれど、純粋な祈りをもって作られたものは美しい、とも思う。
建造物とはあまりに絶対的にそこに「ある」ものであるからこそ、意味や存在意義を過剰に作りこむのではなく、そこへ解釈の余地や誘導みたいなものがあるほうが美しさを感じるものなのかもしれない。