ゲイだからこそ与えられることってなんだろう?
そろそろ、ゲイだからできないこと、損した話にも触れます。読んでる人も、大半はゲイだから嫌な思いをした人はきっと多いと思うので。
まあよくあるのは、ゲイだから家族を持てないとか、親の期待を裏切ってしまったとか、学校や会社で差別的な発言をされて不快な思いをした、とかそういう話でしょうか。
そういう経験があったら、そもそも反射的にゲイであることをポジティブに捉えること自体、思考の癖として難しくなってしまうようにも思います。
今日たまたま読んだ記事にとても感銘を受けたので紹介します。
これを読んだ時、皆さんは何を思ったでしょうか?僕が最初に思ったことは、「与える相手が自然にいて、羨ましい」ということです。
ゲイである時点で、世間一般に言われているような家族や子どもといったつながりの難易度が急激に上がるので、与える相手を当たり前のように得ることはとても難しいことだと思います。
「ゲイだから得られること」をこそ、「ゲイだからこそ与えられること」に上手く変換できないでしょうか?
ゲイであることで得られた自分の人生経験や特徴や価値観を、ゲイであるからこそ生まれた人間関係、コミュニティに上手く還元させるということです。それが最終的に、ゲイであろうと無かろうと持っていたであろう人間関係やコミュニティに上手く還元できたら最高ですね。
それはつまり、ゲイであることをとことん活用する生き方だと思うのです。
与える相手が当たり前にいなければ、作ればいい。与えるものが当たり前に無ければ、工夫すればいいということです。それは別に教科書に書いてあるような小難しいことでもなく、単に「隣にいる友達を喜ばせる」みたいなちっぽけなことでも十分にスタートラインになるように思います。
なんとなく、自分の中の結論に近付いてきてる気がします。あんまりダラダラ続けてもなんなので、この話は一旦次でラストにしたいと思います。
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