僕は分からない。
「常識」という言葉がある。
社会的常識は生活を安定して円滑に回すために
必要なルールのようなものだ。
それくらいは理解出来る。
説教くさい事を言われたのなら、それは素直に
受け止めなければならない。
なぜそんなことを言ってるのか分からなければ
聞くしかない。
自分が知らない相手の常識、社会のルールだ。
分かってるようで分かっていないことは多々ある。
そもそも私は相手の話の意図を読み取れない。
自分に方向が向かってしまっているのか、
心理的に不安なのか…?
「今の話はこういう事が言いたかったのかな?」
「上司はなぜあんな指示をしたのかな?」
あまり考える事も無く、社会人4年間を迎えてしまった。
そもそもそこまで深く考える仕事でも無かった?かもしれないのだが、私は疑問思考がナチュラルに
出来ていたのかもしれない。
仕事がある程度慣れてくると人にはよるが、
飽きてもくるのでルーティン化する。
人にはよるが、もっと良くなる方法が無いのかな、
効率的に出来ないかな、など考える人もいるだろう。
私は運良く、上司や同僚に恵まれた事から
ある程度ナチュラルに緊張感によるプレッシャーは比較的小さかった。
もともと引っ込み思案であったが、沢山サポートを受けてなんとか頑張れていたのだ。
歳を重ねるとそうもいかなくなってくる。
自分で考え、自分で判断し、時に協力を得て、
また改善をし、目的に向かって進んでいく。
仕事ってどんだけ難しいねん!!
って正直ツッコミたくなる。
本当にスゴいことなんだと思う。
僕は分からない。
そう相手の立場、境遇、気持ちに共感をする事は
出来るのだが、意図が分からない。
なにが知りたい?どんな目的?考え?どうしたい?
真意はなんなのだ?
なにを言ってあげればいいのだ。
とても生きづらさを感じる。
人と話をする事が大好きだったのに。
一方通行で相手の優しさに甘え、
よく喋る子どものように一方的に話していただけだったのだ。
僕は分からない。
相手が話を振ってくれれば話そう。
僕は人が好きだ。しかし、相手はそうとは限らない。それは仕方がない事も分かっている。
いちいちそこにヘコたれはしない。
しかし、仕事になると相手の目的、考えが
読み取れない事が苦痛となる。
こちらもどうすればいいか分からない。
そう
僕は分からない。
いや
知識が不足しているのだ。
興味を拡げるのだ。
相手の話をたくさん聞いて
メモをして知るのだ。
ひとつ
またひとつ
そうやって
時間は掛かるかもしれない
社会は甘くないし待ってもくれない
それでも
前に進むのだ
自分で考え、判断し、時には協力を得て
辛さを噛み締め、苦痛を忍んで、
飲み込んだ悔しさの分だけ、
また何かが見えてくる。
人は考えられる生き物だから。
僕は分からない。
未来なんて計画通りにはいかない。
なら少しでも
楽しい方向に向かって
生きていこう。