
日記(2025/01/29) 『母という呪縛 娘という牢獄 / 齊藤彩』読了 #まじ日
noteには写真を貼るといいと学び、カメラロールにある適当な写真をつけているのだが、昨日の写真、あまりにオバっぽかったな。富士山と草。
『母という呪縛 娘という牢獄 / 齊藤彩』読了。
勝手に小説だと思っていたけど違った。
娘のことは書かれていてわかったけど、こうなるまで追い詰めた(追い詰められた?)母がわからない。なんでこうなってしまったのか、何にこだわったのか、母の人生や思考に興味が湧いてしまった。少なくとも、思考に関しては、もう語られることはないのだが。
例えば私が母親だったら、自分と殺された母親との境界か肉薄してることにゾッとしたりするんだろうか?私の母親ももしかしたらこうなっていただろうか(もちろんここまでではないが、まぁそれなりに厳しく、枠組みと烙印を押すタイプではあった)?母親が外で働くタイプでよかったのかもしれないと自分に引き寄せることが現象を矮小化しているような気もする。
最終章は司法の希望みたいなものが感じられた。罰と更生と、バランスが難しいなと思うことがある。加害者の人権なんて被害者にとってはどうでもいいだろうし、そんなことに思いを馳せられるのは被害も加害も受けていないものの特権だろう。だけど、どこかで、人間を信じていたい気持ちがある。ぬるいか。
最近かけたパーマがゆるくて、かけ直しをお願いしたら快諾してもらえて安心した。ゆるいかもしれないので何かあったら言ってくれと言われたので言ってみたが、ドキドキした。かけ直すぜ、パーマ!