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三千円の使いかた

人は三千円の使い方で人生が決まるよ、と祖母は言った。
え?三千円?何言っているの?

冒頭

著者は原田ひ香で神奈川県出身の女性の作家。独学でシナリオを学びはじめ、コンクールの最終選考、テレビの企画からキャリアをスタートさせた。「はじまらないティータイム」ですばる文学賞を受賞している。

本書はある家族のそれぞれお金にまつわる小さいエピソードが5話収まった小説である。80万部のベストセラーでドラマ化もされた。2022年の文庫本部門で年間1位のとのことである。最初は2018年に単行本として出版されている。
一応の主人公は次女となるが、第2話は次女、その次が祖母、長女、祖母の友人、母、再び次女と各話に主人公家族の誰かが軸となってお金にまつわるあれこれが展開される。次女は社会人2年目くらいの24歳でまだまだお金に疎い感じで、一方長女は専業主婦でどけちというわけではないがお金にしっかりしている。対する母親はルーズ、祖母は更にその逆できっちりと、それぞれがシンプルな性格付けをされている。

エピソードもお金にまつわるといっても全然ドラマチックなものではなく、本当に日常的な些細なものが続く。毎日のし好品、老後の生活費や奨学金、子育てのお金などである。多くて1千万円の話で正直ちょっと退屈なくらいである。
ただクリック数を稼ぐためにクリエイトされすぎた「記事」ばかりがネット上に転がっている現状を見ると改めて「小説」のリアリズムの偉大さを感じさせるものである。
そのリアリズムゆえに多く人にとって自分のことのように思える内容になっていると思う。自分の近い年代の主人公のエビソードを読めば感情移入できること間違いないように思う。普通さを非凡に描かれておりある種の人生訓の教科書のように本書を自分の本棚におきたくなるかもしれない。怪しげなノウハウ本よりもお金と人生について漠然と不安を持っている人にはお勧めしたい1冊である。

最後に少し前に八日目の蝉を読んだ影響で1つ穿った見方を。
この小説は男性同士の会話がない。(一応次女の婚約者と次女の両親が話すシーンはあるが家族での会話である)エッセイストの鴻巣友季子さんがマーガレット・ミッチェルの風と共に去りぬを解説する際に小説におけるフェミニズムの基準として「女性同士の会話」があるかどうかであると言っていた。女性を男性の付属物として考えているような小説は女性同士の会話がほとんどないそうだ。たしかに風と共に去りぬは主人公スカーレットと友人メラニーの会話が非常に多く、しかも物語の1つの軸となっている。そしてその基準で考えると女性同士の会話しかないこれはもっともフェミニズム的な小説であるといえるのだろう。その小説の解説のタイトルが「他人は他人、自分は自分とあなたは心の底から割り切れてますか?」というのはなんともいえない思いを感じてしまう。
風と共に去りぬはフェミニズム的な文学の先駆けであるのでまだ男性中心の世界観が随所にみられる。ただその中でスカーレットもメラニーも上記のような疑問はもたず、お互いが自分の道を歩んでいる。翻って最先端のフェミニズム小説は上記のような悩みを抱えている。他人の言動が自分の人生にかなり影響を与えるというのが女性の人生の顕著な特性の1つなのだろうかと思ってしまった(国と時代が全然違うので結論とするにはまだまだ未熟であるが)

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