骨折が完治したと思ったら、臼蓋形成不全が発覚して寛骨臼回転骨切り術で入院した25才女の話 #4
人生初の入院生活で人生で初めて深く「看護」というものに触れる機会ができた。
私の病室のほかにもどんな患者がいるのか聞こえてくる音でなんとなくわかることがある。
この十数日間でも様々な人が多種多様な症状を抱え入院している様子がうかがえる。それを支えるのは紛れもなく「看護」という仕事である。
また看護にも、同様にそれを支える人が存在する。
医者、看護師、看護助手、理学療法士、事務さん、病室の清掃員、ゴミ収集、備品整理、病院食を作る人、はたまたその仕入先、、、
たどっていけば切りがないが、人間の数だけで言えば患者の倍であることは明確。
一人の人間に対してどれだけの人が回復を目的に関わっているか、入院前は気づきもしなかったことがたくさん見えてきた。
私が経験してきた「仕事」というのは、いかにスケジュールの中で業務を分解し、タスクとして作業するかがよく問われてきた。
今日が無理なら、明日、納期までにここまで終わらそう、と1日を締めくくることもあり、あきらめも必要な場合もあった。
だが看護に関してはそうはいかない。
患者が人間という不確定要素を含んでいる以上、イレギュラーのふり幅に関わらず対応しなければいけない仕事なのだ。
患者の容態や精神状態や、設備の故障や、緊急の外来患者や それら含めたすべてのイレギュラーに対応せざる追えない場合もあり、また「もちこし」ができない要素も多く含んでいる。
患者のためにそれらが行われていると考えると、私には到底こなすことのできない仕事だなとしみじみ感じて、多大なる感謝を申し上げたくなった。
このノートを書いている最中も
「ほどほどにね」
と一言かけられた。
患者であることを忘れないでね、というふうに私は受け取って今日はここまでにしようと思う。
世界の医療従事者に心より感謝します。
ありがとうございます。