日々の話(とりとめなく)
①生きていると、自分の力ではどうにもならないことと、自分の努力でどうにかできることの両方が立ち続けに起こります。その時の自分のチカラで、それらを「これはどちらだろう」と判断できることが、この世の中を上手に生きる大切な術のひとつであると強く感じています。
②しばらく会っていなかった人、しばらく連絡をとっていなかった人と話すことは、自分の生活に刺激を与えてくれる良い機会になります。いつもの生活ルーティンの外側にある体験をすることで、これまで時間を設けて考えることのなかった事柄について「ああ、そういえば」という、思考の奥にある引き出しから忘れ物を引っ張り出してくるような思考も大事です。
先日、しばらく会っていなかった他部署の人から電話がありました。どうしたのかと思っていたら、相手は休日で、近況報告と「またどこかに遊び行こう」という世間話のようなものだった。でも以前にその人と出かけた楽しかったとき、バカをやってたなぁという記憶が蘇ってきて、とても思考が刺激されたんですね。また、同じ日に「近くにきたから」ということで別の方が会いにきてくれました。声をかけられて一瞬誰だかわからなかったのですが、相手は病的な痩せ方をしていて、言葉は悪いのですが、その方の後ろに大きな鎌を持った死神が立っているかのような恐怖を感じた。ただのダイエットだったのかもしれませんが、そうだとしたら、明らかにダイエットが原因で、べつの病気に罹患しているということがはっきりとわかるものでした。
一緒にいると、生命エネルギーをとられる人っているじゃないですか。大体が「ただ相性の悪い人」なんですが、その方からは一生懸命、命を燃やそうとしているような、健康な相手からエネルギーを吸い取って少しでも長く生きようとしているような「したたかさ」を感じたのです。僕は背中に汗が流れるのを感じながら、どうやって早く会話を切り上げるかばかり考えていました。
やっとその方との会話が終わると、ふと電話のあった他部署の人のことが頭に浮かんできました。そういえばやけに落ち着いた話し方をしていたなぁという印象が急に浮かんできたんですね。ドラマで見るような、自分で命を終わらせてしまう人が、最後にいろんな人に電話をかけるシーンのようだったのです。あれ?もしかしてという恐怖もあり、逆に自分が死んじゃうフラグなのか?とぐるぐると考えてしまった。でもなんとか生き延びてこうやって文章を書いています。
年齢を重ねれば重ねるほど、普段の生活の中で印象に残るような出来事というのは起きにくくなっています。ルーティンで生きているから、新しいものに触れる機会が少ないのもひとつ。できるだけトラブルに出くわしたくなくて、安心できる場所の中で移動し、暮らしていることもひとつ。
僕は数日、先ほど書いた人との会話のことが頭の中から離れなくなっていました。その人のことを知っている誰かに「◯◯さんて何かあったんですか」と聞こうとした。でも「なんでそんなこと?」と聞き返されたときのことを想像して、結局心の中にしまっておくことにした。でもやっぱり思考の中でぐるぐるしてしまい、夢にまで出てしまった。だからここで書き記して成仏させようと思います。
③誰が聞いても仮病だなとわかってしまう理由なのに、何回も同じ手を使って会社を休むやついますよね。今年入ったばかりの部下がもうそれなのですが、こういうときに「ピンときたんですけど」ってワクワクした顔を浮かべながら話しかけてきた同僚に「それはピンとくる、じゃない」とイライラ返事してしまいました。ピンとくるも難しいですね。そういえばピンとくるっていう言葉もおもしろいですよね。なんだ?ピンとくるってって思いませんか?まずそもそもピンがなんなのか全くわかりません。でもピンとくるのです。
シフト勤務をしていると、一人欠けただけで、その日の仕事が何も回らなくなることがあります。人手不足の世の中なので余計にその傾向は強い。もちろん、僕がいる小売業だけではなく、どの業界でもそうでしょう。しかし就職の人気ランキングに出てくるような一流企業は違うんでしょうが・・・という自分より恵まれた環境にあるんだろう場所のことを、かなり皮肉る言葉が出てきてしまいます。例えば連続勤務が続くと、そのうちの1日は絶対に休むとか、希望で連休を取った日の翌日は会社に行きたくないから休むだろうなと思ってたら「偏頭痛で」とやっぱり休むとか、パターン化しています。理由も「頭痛で」「腹痛で」「気持ち悪くて」「腰が痛くて」など、枚挙にいとまがありません。ただ、舐められてるんですよね。それだけなんです。まぁ少し前の組織だったら「やめちまえよ」とか言われているころですね。
でも今の時代にそれを言ったら「病欠しているのに、辞めろとか言われた」と大騒ぎになる。むしろ、有給がない状態でズル休みして給料も減ってるのに、それだけ休んで余裕なら「良い暮らししてるんだなぁ」とうらやましくなってしまいます。自分もそうやってなんのストレスもない人生を送りたいなぁと思う。そういうことをしても平気なメンタルが欲しいなぁとも思う。考えれば考えるだけ羨ましいんです。
あるとき、同僚から「親は学校の先生らしい」と聞きました。ああそうなのか。僕はよからぬことを考えてました。「先生の子供ってめちゃくちゃ優秀か、とんでもないひねくれたポンコツになるかどっちかだよなぁ。そっちに転んじゃったか」という偏見です。どんどんそういった思考に支配されて、良い面を見られなくなる。まぁ今後のキャリアを考えても、ここにいても良いことないからとっとと辞めろ、としか思えない。自分の心の奥底にある黒い感情がボコボコと溶岩のように湧き上がってくるのを感じます。最近こうやって湧き上がる黒い感情をどこかに逃せなくなってきました。年齢のせいだと思うのですが、口に出して誰かに言ってしまうことがとても増えた。マネジメント失格ですね。
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