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第3回 2022年5月14日

森はすでに黒く、空は未だに青し……/ねえきみ、空がきみにとっていつまでも青くありますように。
(『失われた時を求めて 1』、261頁)

 ルグランダンが「私」に対してそう語ったように、母は祈ってくれただろうか。たとえルグランダンのそれがスノッブな身ぶりだったとしても、もしかすると母が祈ってくれたかもしれないその願いを胸に抱くだけで、わずかばかりの幸福が自らのうちにとどまってくれるように感じる──そう書いたあと、手が止まってしまう。いくつかの引用を打ち込むうちに(例によって端の折られた頁を辿ってその前後を読みなおす。なにしろ『失われた時を求めて』を読むことは、読んだそばから忘れていくこととほとんど同じことで、ぼくはそれでよいと思っているのだが、決してよい読者とは言えないのかもしれない。自らを読書家などと思ったことは一度もないのだが、そのことがぼくを悩ませるのと同じように)、書くつもりだったはずのコンブレーの庭の緑と青空は、午後からの薄曇りのなかに飲みこまれ、引用された文字はまるで死んだようで、確かに感じていたはずの幸福などなかった、と疑念に支配されてゆく。ルグランダンが「私」の若さ/青春を愛するのは、すでに失われてしまった自らの姿をそこに見出しているからだ。スノッブな身振りというのは、失った輝きを、かつてそれと似た輝きを身代わりにして得た死骸で覆い隠そうとするようなものではないのか。だとすれば、いま、ぼくは思い出を身代わりにただ死骸を積み重ねているだけに過ぎない。

そのうえ思考もまた一つの避難所のようなものではなかったろうか? 私は外で起こっていることを眺める場合でも、自分がその避難所の奥に深くもぐりこんでいるのを感じていた。外部にある対象を眺めるとき、それを見ているという意識が私と対象のあいだに残っていて、その対象を薄い精神的な縁でかがってしまい、そのためにどうしても私には直接その物質にふれることができなかった。
(同書、186頁)
というのも、たとえ人がたえず自分の魂にとり囲まれているような感覚を持つにしても、それはびくともしない牢獄の壁にとり囲まれているといった性質のものではないからだ。むしろ自分のまわりにいつも同一の響きを、つまり外部の音の木霊ではなくて内部で顫えているものの反響を聞きながら、一種の失望を抱きつつ、魂の枠をこえて外部に到達するための不断の跳躍によって、いわば魂ごと人は持ち運ばれてゆくのである。魂の投げかけた光のために、貴重になった物があり、人はそうした光の反映を、その物のなかにふたたび発見しようと試みる。だが物は、思考のなかでこそある種の観念と隣りあっていたために魅力を備えていたが、自然のなかではそのような魅力を奪われているように見えるので、それに気づいた人はがっかりしてしまう。ときにはこの魂のすべての力を、巧妙さ、華麗さに転化させて、人びとに働きかけようとすることもあり、しかも私たちは、その人びとが自分の外部に位置づけられていること、彼らには絶対に到達できないことを、はっきり感じているのだ。
(同書、191-192頁)

 夕食を買いに出ると小雨に降られ、そのあいだぼくは「父は、どうだったろう?」と靄に覆われた頭で考えるのだった。父のことはこれから幾たびも思い出されるだろうが、むしろ、彼は記憶のなかにはすでに存在せず、想像のなかへ遠く離れてしまったかのようだ。なにしろ、いまもまだ生きているのかも知らず、たとえ何れかの地で生を全うしていたとしても、母以上に「生き生きとした姿」など見せてはくれないからだ。
 それから、夜中のあいだ、眠れずに過ごす。かすかに降っていた雨は、強い風が予感させていたとおりに、嵐に変わり、身体中が軋みはじめる。数年前に見つかった病が、ぼくの生活に強制するもののなかでもっとも強固なものは習慣を妨げる力だ。いくつかの書物を通してあちこちに走り広がろうとする思考は、途端に、身体の痛みのもとへと引き戻される。そのことはいまだ、自らの身体性へ再領土化されるものとして肯定的に捉えることはできず、むしろ、ある種の資本主義リアリズムのなかでもたらされる苦悩とほとんど同一のものとしてある。なぜいつもこうなのか。紅茶を淹れて気を落ち着かせるも虚しく、とても本を開く気持ちにはなれない。暗闇を愛すこともできず、むしろ明るみのなかで、その訪れを待つことしかできず、そのうちにほとんど覚醒したままの眠りが、母の夢を見せる。目を覚ましたぼくは、深い悲しみとありもしない幸福を書きとどめようと、意識をほとんど失い、何度も打ち間違えながらメモを取る……それだけで、夢はこの現実のなかに張りついて留まってくれる、そのことをぼくは知っている……。しかし、それすらも忌々しい痛みのなかに回収されるのを嵐の音とともに確信して、数日仕事を休むことになるだろう。


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